第六話『家族』

 目の前の煙突にアーサーが飛び込んだ。炎が轟々と燃え盛っているのに正気とは思えない。

「隠れ穴!」

 ハラハラしながら見つめていると、アーサーの姿が消えた。灰になったわけじゃない。彼は家に帰ったのだ。
 煙突飛行。魔法使いが長距離を瞬間的に移動するための手段。

「さあ、父さんみたいにノエルもやってごらん」

 魔王に言われて名乗った偽名だけど、中々慣れない。

「う、うん!」

 フルーパウダーという魔法の粉を煙突に振りかける。すると炎が美しいエメラルドグリーンに変わった。
 だけど、やっぱり炎に飛び込むのは勇気がいる。尻込みをしているとビルが僕の肩を抱いた。

「大丈夫だよ。ちっとも熱くないんだ」

 そう言って、彼は片手を炎に翳した。

「ほらね」
「うん」

 意を決して中に入ると、ビルの言う通りちっとも熱くなかった。
 
「隠れ穴!」

 第六話『家族』

 熱くないとは言っても灰が舞っているから咳き込みそうになったけど、なんとか言えた。
 途端、目の前がグルグル回転し始めて、気が付くと知らない場所に立っていた。

「こんにちは」

 アーサーに手を取られて暖炉から出ると、恰幅のいい中年女性に出迎えられた。

「ようこそ、ノエルちゃん。辛い目にあったそうね。もう大丈夫よ」

 そう言って、彼女は僕を抱き締めた。あまりの事に硬直していると、暖炉からビルが現れた。

「母さん、ノエルを離してあげて」
「あらやだ。歓迎の挨拶をしているだけよ?」
「ノエルが震えてる」

 ビルの言葉にビルのお母さんはハッとした表情を浮かべて僕を見た。
 申し訳ないと思いながらも体の震えを止められない。

「ご、ごめんなさい」
「謝らないでちょうだい! 私の方こそ、いきなりビックリしたわよね? ごめんなさい」

 慌てたように謝るビルのお母さん。

「母さん。とりあえず、ノエルは僕の部屋に住まわせてもいいかな?」
「ビルの部屋に? ちゃんと、ノエルちゃん用の部屋も用意したわよ?」
「わけは後で話すよ。それから、ジョージとフレッドはいる? 二人には先に話をつけておかないと」
「二人ならチャーリーが抑えつけているわ」
「そっか。ロンとジーニーは?」
「お部屋にいるわ。お出迎えをしたいって言ってたのだけど、チャーリーに反対されたの。あの子が正しかったみたいね」
「ああ、チャーリーには礼を言っておくよ」

 ビルはお母さんとの話を切り上げると、僕の手を取った。

「部屋に案内するよ。疲れただろう? 食事を運んでくるからゆっくりしていてくれ」
「う、うん!」

 案内された部屋は魔王の隠れ家よりも少し狭かった。
 棚には所狭しと分厚い本が並び、棚の上には様々な模型が並んでいる。

「リュックサックはテキトウな所に置いておいてくれ」
「うん」
「自分の部屋だと思って寛いでくれ。本や模型は好きに弄っていいよ。お菓子も好きなものを食べていいからね」
「あ、ありがとう」
 
 ビルが去って行った後、僕はベッドの横で丸くなった。

「……不思議な人」
『というよりも、あそこまでいくと変わり者だな。普通、自分の私物を他人に触られる事など嫌なものだ』
「だよね……」
『それはともかく、体を休めておけ。全身の怪我は漏れ鍋の店主が治癒をしたが、貴様の体力は人並み以下なのだ。色々あって、疲れているだろう?』
「うん……」

 瞼を閉じたらすぐにでも眠ってしまいそう。だけど、ここで眠ってしまう事はとても失礼な事のような気がした。

「ねえ、魔王」
『なんだ?』
「杖のお店で言ってた事だけど……」
『ああ、両親の事だな』
「う、うん。それそれ」
『安心しろ。約束した以上は話してやる。ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズ。どちらもよく知っているとも』

 魔王が語り始めたところで扉が開いた。

「……誰かと話していたの?」
「え!? あ、いや、その……。ど、どうしよう!?」
『……いかんな。気が緩んでいた』

 ビルは部屋の中を見渡した。

「ペットか何かかい?」
「い、いえ……。あの、心の中にいる人で……」
「心……?」
「あ、その……えっと」

 ビルは机に持って来たお盆を置くと、僕の頭を撫でてくれた。

「そうか……。友達なのかい?」
「え? いや、友達っていうか……、お父さんがいたらこんな感じなのかな? っていうか……」
『……お父さん、だと?』
「え!? イヤだった!?」
『いや、別に構わないが……。それより、気付いているか? 今の貴様は客観的に見ると非常に悲しい存在になっているぞ』
「え、どういう事!?」
『心の中の別人とおしゃべりしているんだぞ?』
「あっ……」

 今の僕は完全におかしい人だ。ビルの反応が怖い。おそるおそる彼の顔を見上げると、非常に悲しそうな顔をしていた。

「……そうか。名前はあるのかい?」
「え?」
『……あー、とりあえずニコラスとでも言っておけ』
「ニ、ニコラスって言うの」
「そうか……。ニコラスには僕の声が聞こえるの?」
「う、うん」
「そう。なら、ニコラス。ノエルの事は心配いらないよ。僕が守る」
『なんと面倒な展開だ』

 魔王は愚痴を零した。

『……任せる。そう伝えろ』
「えっと、任せるって言ってる」
「そっか!」

 嬉しそうな顔。

「おっと、のんびりしてると折角のご飯が冷めちゃうね。母さんのご飯は絶品だよ」

 そう言って、ビルは僕を椅子に座らせた。

「食欲はある?」
「う、うん」
「よかった。足りなかったら言ってね。すぐにお代わりをもらってくる」
「ありがとう」

 お礼を言うと、ビルはベッドに腰掛けて本を読み始めた。
 ビルの言う通り、彼のお母さんの料理は頬が落ちるかと思うほど美味しかった。

 ◆

 許せない。頭の中はそればっかりだ。
 僕には弟と妹がたくさんいる。僕はあの子達を愛している。家族は愛しあうべきなんだ。
 それなのに、ノエルは家族の愛を知らない。優しくされる度に怯えた表情を浮かべる。きっと、優しくされる度に相応の苦しみを味合わされてきたに違いない。
 解離性同一性障害という精神の病気がある。ノエルの症状はまさにそれだ。
 助けてあげたい。守ってあげたい。家族の愛を教えてあげたい。
 押し付けがましくて、ノエルには迷惑な話かもしれないけど……。

「ご、ごちそうさまでした」

 ノエルが恥ずかしそうに言った。
 満足に食事も与えてもらえなかった事は体を見ると一目瞭然だった。
 どうして、そんな残酷な事が出来るのか理解が出来ない。
 弟や妹が同じような目に合わされたら……。

「おかわりはいいの?」
「う、うん。もう十分だよ。こ、こんなに美味しいご飯……その、初めて。ありがとう、ビル」

 いい笑顔だ。この笑顔をこれ以上曇らせたくない。

「それはよかった。それじゃあ、今日はもう眠るといい」

 父さんと相談しよう。きっと、ノエルが行方をくらませた事に保護者も気付いている筈だ。連れ戻そうとするかもしれない。
 ノエルを不幸にしたくない。どんな展開になっても、ノエルの幸福が優先されるよう準備をしないといけない。
 僕は決意を固めた。

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