歌声が聞こえた。忌々しいほど心安らぐ音色。これは不死鳥が奏でる唄だ。
赤く染まった視界が唐突に切り替わる。目の前にはダンブルドアが立っていた。
エピローグ『魔王の思い』
「その様子では失敗したようじゃな」
どうやら、助けられたようだ。制止出来ない程の怒りが沸き起こる。
何故、想定していなかった? 今の本体は魂の残滓。依り代さえ破壊してしまえば霊体となって壁を突き抜ける事が出来る。その可能性を見落としていた。
挙句、ダンブルドアに借りを作ってしまった。
「……認めよう。冷静ではなかった」
渇くのだ。ハリーと離れると、まるで砂漠に三日三晩置かれたように我慢ならない渇きを覚える。
まるで導火線に火が点いたようだ。常に焦燥感を煽られ、苦痛が生じる。
「お主は怖れたのじゃな」
ダンブルドアが見透かしたように俺様を見る。
屈辱のあまり、その心臓に刃を突き立ててやりたくなる。
「最も怖れた死を克服して尚、ハリーと永遠に会えなくなる事を怖れた。だからこそ、無意識の内に……」
「黙れ!!」
それでは本末転倒だ。
「万物を焼き滅ぼす《悪霊の火》。最強の名を冠し、簡単な呪文でも分霊箱を破壊出来る《ニワトコの杖》。その二つを持ってすれば、分霊箱が残っていようと本体を滅ぼす事が出来る筈だった……」
それも確実な手とは言えない。あくまで、取り得る手段の中では一番可能性が大きなものだったというだけ。
残る分霊箱は三つ。強行手段に訴えれば一つは確保出来る。だが、残り二つが問題だった。
ヘルガ・ハッフルパフのカップはレストレンジに預けてあり、俺様やダンブルドアですら手出しが困難。加えて、サラザール・スリザリンのロケットペンダントは完全に行方を眩ませている。
海岸沿いの洞窟に取りに行った時、既に持ち去られていた。恐らく、水底に沈んでいたレギュラス・ブラックが関係しているのだろうが、手掛かりは一切残されていなかった。
「……聞いてもよいかね? 何故、お主が本体を滅ぼす事にしたのか、その理由を」
「気にしていたのか? ホグワーツを無防備な状態に置き、《破れぬ誓い》を施したとは言え、ニワトコの杖を貸し出しておきながら」
「信用はした。理由も分かっておる。だが、お主の口から聞きたいのじゃよ。その答えによって、儂等の関係はより一層強固な絆で結ばれる」
「……貴様と絆を結ぶ気なんぞ欠片も持っていない」
舌を打つ。
「準備が整った」
「準備とは?」
苛々する。
「ハリーが一人で幸福に生きる為の準備だ。露頭に迷う事が無いよう、最高の守護を宿した家を作った。稼ぐ方法を教えた。困った時に役立つ魔具を作らせた。ウィリアムや貴様に会わせた。ルシウスの倅とも親交を深めている。……十分に機は熟したと判断した」
「……初めから、去るつもりだったのかね」
「当然だ」
柄にも無く迷っていた。トロールが襲い掛かってきた時も先延ばしにしようと考えた。
だが、俺様の存在はハリーにとって邪魔者でしかない。
「貴様はともかく、ウィリアム・ウィーズリーは信の置ける男だ。ヤツにならば任せておけると判断を下した。ならば、後は俺様が消える事で全て上手くいく。そうだ……、俺様が奪ったものを取り戻せる筈なのだ!」
「……何がそこまでお主を変えた?」
「分かっているのだろう?」
ダンブルドアは目を細めた。
「リリーの加護がお主の中で息づいておるのだな?」
「……そうだ」
俺様は初め、意識の欠片すら留める事の出来ない脆弱な存在だった。
意図に反した分霊箱の作成が原因なのだろう。暗闇の中、思考する事もなく漂っていた。
「ハリーが助けを求めて来た時、初めて俺様自身を自覚した。伸びてくる細い手を取り、その全てを捧げるように言った」
――――【助けて……】
――――【……ならば、寄越せ】
――――【何を渡せばいいの……?】
――――【貴様の魂。貴様の全て】
――――【それを渡せば、僕を助けてくれるの?】
――――【助けてやる】
――――【……なら、あげるよ。僕のすべてをあげる】
――――【ああ、それでいい】
あの時、ハリーの一部が俺様の中に入って来た。リリー・ポッターが施した加護、ハリー・ポッターという幼子の魂。
俺様の心の片隅でリリーの意思が鼓動している。その鼓動はハリーとの繋がりから流れ込んでくるハリーの感情を受ける度に大きく脈動する。
「まるで呪いだな。心を侵食する恐ろしき呪詛だ」
「だが、リリーは単なる切っ掛けを与えただけじゃ。お主自身がリリーになったわけでは無かろう?」
「当たり前だ! ……だが、切っ掛け程度で十分過ぎた」
今やハリーを苦しめる元凶が俺様自身である事に苦痛を感じている。
だからこそ、本体と諸共に消し飛ぶつもりだった。
「お主が消えれば、ハリーは悲しむじゃろう」
「……いずれ、新たな思い出の中に埋没していく」
「それほど軽い存在では無かろう」
鼻を鳴らすと立ち上がった。
「話はここまでだ」
《破れぬ誓い》に従い、ニワトコの杖を投げ返す。
振り返り、ダンブルドアが何を言おうと、もう振り返らなかった。
「……まだ、もうしばらくは面倒を見てやるとするか」