エピローグ『潜伏』

 ロンドンから遠く離れたウェールズの地。魔王が用意した隠れ家の一つがそこにあった。
 閑静な住宅街にあるアパートメントの一室。ダーズリー邸を離れて最初に向かった隠れ家と然程変わらない。

 エピローグ『潜伏』

「魔王。この指輪はなんなの?」

 ここに来る前、魔王はリトル・ハングルトという場所にある古びた洋館に僕を立ち寄らせた。初めはそこで暮らす事になるのかと思ったけど、魔王の目的は一つの指輪だった。
 指輪に嵌めこまれた石には奇妙な紋章が描かれている。正三角形の中に円が描かれ、その2つを貫くように鉛直な一本線が組み合わさったシンプルな図形。
 
『……死の秘宝。その内に我が力の片鱗が封じられている』
「どういう事?」
『この指輪自体は古来より伝わる強力な魔具だ。《蘇りの石》などとも呼ばれている。俺様は所有者だったモーフィン・ゴーントからこの指輪を奪い、《分霊箱》に変えた』
「蘇りの石……? それに、分霊箱って?」
『|蘇生《リザレクション》を謳いながら、随分とお粗末な能力だが、蘇りの石は死者との交信を可能にする。そして、分霊箱は己の魂を分割し、特定の器に封じる事で命のストックを作り出す禁術だ』

 命のストックを作り出す分霊箱も気になったけど、それ以上に死者と交信する事が出来るという蘇りの石の能力が気になった。

「死者との……?」
『使ってみるか? 言っておくが、蘇生させる事は出来ない。あくまで、一時的に交信する事が出来るというだけだ』

 使ってみたい。使いたくない。相反する感情が同時に沸き起こった。
 顔どころか声すら知らない両親に会えるかもしれない。それは確かに魅力的な話だ。
 
「……ううん。使わない」
『そうか……』

 もしかしたら、とても楽しい時間を過ごせるかもしれない。一時とは言え、本当の家族との幸せな時間を味わえるかもしれない。ダーズリー家のような偽物でも、ウィーズリー家のような仮初の物でもない本物の家族を知る事が出来るのかもしれない。
 だけど、僕は蘇りの石を使う事が恐ろしくて堪らなかった。まるで、底の見えない穴を覗いているような気分だ。好奇心が疼く。けれど、中に入ったら戻れない。

「魔王……」

 家族なんて必要ない。なにもかも魔王に捧げた。だから、何も望む必要なんてない。何も考える必要なんてない。

「この指輪をどうするの?」
『杖を向けろ』

 言われた通りにする。

「次は?」
『そのままでいい』

 杖の先から光が走る。次の瞬間、足元から悪寒が駆け上ってきた。
 指輪から白い靄が立ち上り、それは徐々に人の形を為していく。

「魔王……?」
『瞼を閉じろ』

 恐ろしい。だけど、それが魔王の命令なら……。
 僕は瞼を閉じた。すると、何かが僕の中に入って来た。まるで、冷水を浴びせられたような不快な感触。
 
『もういいぞ』

 瞼を開けると、そこには一人のハンサムな青年が立っていた。

「魔王……?」
『驚いたか?』
「う、うん」

 当たり前の顔をして、魔王は立っていた。

「ど、どういう事?」
『分霊箱は命のストックを作る物だと言っただろう。そのストックを取り込む事で力を増強したのだ。いや、取り戻したと言うべきか』

 魔王は自分の体の調子を確かめている。どうでもいいけど、何か着るべきだと思う。今の魔王は生まれたての姿だ。
 
『……おっと、あまり見せびらかすべきものでもないな』
「えっと、立派だと思うよ?」

 サインペンよりずっと太くて大きい。あれは標準サイズでは無いだろう。
 魔王は気まずそうに咳払いをすると僕から杖を取り上げた。一振りすると、黒い靄が彼を取り巻いた。

『やはり、ストック1つ分ではここまでか』
「どうしたの?」
『……完全な実体化は難しいな。魔力も乏しい。こうしていられるのも五分が限界だ』
「どうしたらいいの?」
『折を見て、他の分霊箱を回収するとしよう。……とは言え、現状取りに行けるものはサラザール・スリザリンのロケットだけか』
「どこにあるの? 僕、なんでもするよ?」
『……落ち着け。今直ぐにどうこう出来る物でもない。時期を見る必要がある上、色々と準備も必要なのだ。それより、今は目前に差し迫った問題を解決しなければならない』
「問題……?」
『……金だ』

 僕がイマイチ理解出来ていない事を悟ると、魔王は溜息を零した。

『闇祓い局が出張ってきた以上、魔法省も本気で貴様を探している。恐らく、アルバス・ダンブルドアも……』
「ダンブルドア……?」
『世界で一番厄介なヤツだ』
「なるほど……」
『……ダイアゴン横丁や他の魔法族の集落には近づかない方が無難だろう。だが、そうなると物資の補給が儘ならなくなる。マグルの金は用意していないからな……』

 ウィーズリー家を飛び出す寸前、魔王が|呼び寄せ呪文《アクシオ》を使って、僕のリュックサックを回収してくれたけど、そこにも魔法界のお金しか入ってない。
 確かに、これは差し迫った問題だ。

「どうしよう……」
『……困ったな』

 魔王は僕の顔を見ながら唸った。

『とりあえず、街に出てみるか……。最悪……いや、出来れば真っ当に稼ぐ方法を探ろう』

 魔王は一端僕の中に戻った。リュックサックを背負い、杖をポケットに仕舞って外に出る。
 ロンドンとは違って、時間の流れが緩やかに感じる街並み。僕はそっと足を踏み出した。

 ◆

 一日歩き回って疲れたのだろう。ハリーはベッドで泥のように眠っている。
 魔王はハリーの体から抜け出すと、うさぎのぬいぐるみと化したリュックサックの内ポケットに手を突っ込んだ。そこにはぐったりとしているネズミが入っていた。
 ウィーズリー家から逃げ出す時、魔王はリュックサックと共にこのネズミも回収していた。

『まったく、このドブネズミが俺様の生命線となるとは……』

 不快感を顕にしながら、魔王はネズミに杖を向ける。

『とりあえず、貴様の記憶と人格は消去させてもらうぞ。邪魔なだけだからな』

 ネズミが恐怖に引き攣った表情を浮かべる。だが、魔王は容赦なく杖を振り下ろした。
 光が瞬き、ネズミは見る間に姿を変えた。頭頂部のハゲた小太りな男が床で痙攣している。

『あまり時間がない。|服従せよ《インペリオ》』

 男の表情が夢現なものに変わっていく。

『さあ、これから馬車馬の如く働いてもらうぞ、ワームテールよ』

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