第五話『鎖』

 次々と組み分け帽子によって所属する寮を決められていく新入生達。選ばれた生徒の顔には不安と期待が、その生徒を迎える寮の生徒達の顔には喜色が浮かぶ。
 そうしている内に一人の生徒の順番が回って来た。その瞬間、それまである程度ざわついていた大広間内の喧騒がピタリと止まった。
 ハリー・ポッター。マクゴナガルの口から紡がれた名に生徒と教師、その全ての視線が壇上へ向かう。
 登って来たのは赤い髪の少女。いや、少女に見える少年。他の生徒達と比べると、緊張した様子もない。

「リ、リリー……」

 教師の一人、セブルス・スネイプは叫び出しそうになった。その容姿は彼のよく知る女性の幼少期の姿と瓜二つだったのだ。
 脳裏に焼き付いている彼女と似ていない部分を探す方が難しい。それほど、そっくりだった。
 
「あれが……」

 アルバス・ダンブルドアもまた、彼の容姿に驚いている。ビルから話は聞いていた。身を隠すために姿を変え、今日まで生きて来たと……。
 その異常性に真の意味で気付けた人間は彼一人だった。
 人間の自我とは、自己を肯定する事から始まる。それが出来なかった者は精神に異常をきたす。性同一性障害などはその最たるものだろう。自己の性別すら認められない程、自己に嫌悪感を抱く。その在り方は歪だ。
 マグルの世界では染色体や遺伝情報、あるいは環境によって起こる事象だと説明されている。

 嘗て、闇祓い局の局長ルーファス・スクリムジョールは言った。
 ダンブルドアがハリーをダーズリー家に預けた事は完全な失策だと……。

 リリー・ポッターがハリーに宿した愛の加護を拡大化する事で鉄壁の守りにする。それが最善の一手だと思った。だが、あの姿を見ると不安に駆られる。
 確かに、幼少期に起こる魔力の暴走を利用して容姿を変える方法は理論として理解出来る。
 感情に強く依存する為、その力は杖を使う以上に直接的で、暴力的で、混沌とした効果を発揮するが、その力の方向性を制御する事が出来ればあるいは……。
 とりわけ、自らの肉体を対象とした時、その効果は絶大だ。
 嘗て、その理論を下に幼児を兵器として扱った度し難き者達もいたと言う。だが、その試みは失敗に終わった。
 呪文とは心の所作。魔法とは精神に依存するもの。結局の所、その者自身が心から望まぬ限り、暴走状態と言えども魔法的効果が発現する事はあり得ないからだ。
 ハリーがあの姿になる為には彼自身が心から望まねばならない。それまでの自分を捨てる事、今の自分の姿を歪める事に同意しなければならない。だが、それは自己の否定に他ならない。
 それほど、彼は追い詰められていたという事だ。

「……ハリー」

 正しい事をした。あの判断が無ければ、ハリーは野心ある魔法使いや闇の魔法使いによって今以上に歪められていた筈だ。最悪、殺されていた可能性も高い。
 だが、それでも……。 
 
 ダンブルドアは苦悩する間にも組み分けの儀式は続いている。
 帽子が彼の頭に触れるか触れないかの刹那、帽子の声が轟いた。

『スリザリン!!』

 第五話『鎖』

 スリザリンの寮に選ばれた。特にこれと言った感慨は沸かない。ロンを含めて、ウィーズリー家の人達は全員がグリフィンドールだから、そっちの方が安心感はあった。だけど、スリザリンは魔王が所属していた寮だ。なら、何も不安なんてない。
 ロンとハーマイオニーがこの世の終わりのような顔をしているから、軽く手を振っておく。
 スリザリン寮の方に歩いて行くと、ひそひそ話が耳に入った。どれも僕がスリザリンに入る事を不安視している。スリザリンの生徒を見ても、友好的とは言えない雰囲気だ。

「やあ、ハリー・ポッター」

 一人の少年が話し掛けて来た。椅子を引いて、僕に座るよう促す。素直に座ると、少年は僕の隣に座った。

『……ふむ、ドラコ・マルフォイと呼ばれていたな。ルシウスの息子か……』
「君、ドラコ・マルフォイ?」

 僕が名前を呼ぶと、ドラコは口元を歪めた。あまりにも悪辣な笑顔で、一瞬、怒っているのかと思った。

「光栄だね。あのハリー・ポッターに名を覚えて貰えていたとは」
「さっきの組み分けで呼ばれてたからね」
「なるほど、記憶力がいいんだね」

 実際は魔王が教えてくれたからだけど、わざわざ訂正する必要もない。

「よろしくね、ドラコ」
「ああ、よろしく頼むよ」

 手を握り合う。その後新入生歓迎会の間、ドラコはひっきりなしに話し掛けて来た。
 とても新鮮な気分。ウィーズリー家の人達と違って、彼は下心満載だ。隠しているつもりだけど、魔王に比べたら格段に読みやすい。
 裏表の無い人の方が魅力的だけど、彼は彼で面白い。何もかもが格段に劣っているけど、魔王に似ている部分もある。
 新入生歓迎会が終わると、僕達はスリザリンの監督生に連れられて地下へ降りて行った。他の寮の部屋は上の方にあるみたいだけど、スリザリンは違うようだ。
 連れて来られた場所は窓一つない洞窟をくり抜いたような部屋。出来れば塔の高い所から周囲の景色を眺めて見たかったけど、こういう神秘的な空間も悪くない。
 監督生を初めとした上級生達から歓迎の言葉を送られた後、部屋割りを決める事になった。

「ハリー。僕と一緒の部屋にしない?」
「いいよ」

 魔王曰く、マルフォイ家は純血の名家。他の家よりも発言力が突出しているらしい。
 つまり、彼の言葉に逆らえる者は早々いないという事。

「よろしく、ドラコ。仲良くしようね」
「うん」

 ◆

 深夜、魔王は人知れずホグワーツの校内を歩いている。
 二年前は五分が限界だったが、色々と試した結果、魔力を無駄遣いしなければある程度実体化を維持出来るようになった。
 彼の足は迷いなく目的の場所を目指して進んでいく。その先にはガーゴイルの像があった。
 彼が立ち止まると同時にガーゴイルが動き出し、脇に退いた。そこには階段があり、登った先には校長室がある。
 中に入ると、待ち構えていたようにダンブルドアの姿があった。

「久しいな、ダンブルドア」
「……ああ、久しいのう。トム」

 当たり前の顔をして応接用のソファーに座る魔王。対して、ダンブルドアは紅茶を振る舞う。

「わざわざ出向いてくれるとはな」
「貴様に伝える事があったからな」
「……お主が本体では無い。そういう話かね?」

 ダンブルドアの問い掛けに魔王は笑った。

「その言い回しは変わらんな。全てお見通しという態度だ。だが、断定は出来ていない。だろう? それを確定情報にしてやる為にわざわざ来てやったのだ」

 嘲るような魔王の態度に眉一つ動かさず、ダンブルドアは紅茶を啜る。

「お主はどうするつもりかね? まさか、ハリーの為に本体を消すとでも?」
「さて、どうかな」
「明言しないと言うことはそういう事じゃろう。まったく、相変わらずじゃな」

 魔王は鼻を鳴らした。

「……賢者の石はここか?」

 床を指差す魔王にダンブルドアは微笑を浮かべる。

「さて、どうかな」
「……年甲斐もなく意趣返しとはな」

 呆れた表情を浮かべる魔王にダンブルドアは嬉しそうに微笑んだ。

「お主とこういう会話が出来る事は実に喜ばしい事じゃ」
「言っておくが、貴様と馴れ合うつもりはない」

 魔王の冷たい視線にも動じず、ダンブルドアは微笑み続ける。
 その笑顔に苛立ち、魔王は席を立った。

「俺様は貴様を殺したい程に憎んでいる。それは今も変わらん。その事を忘れるなよ」
「……ああ、もちろんだとも」

 魔王は舌を打つと姿を消した。来た時とは違い、文字通り霞の如く消え去った。

「……校長」

 透明マントで姿を隠していたスネイプが魔王の消えた場所を睨みながら口を開く。

「あれを信用するつもりですか?」
「するとも。しない筈がない」
「何故ですか!? 相手はあの闇の帝王なのですよ!?」
「何故か……。お主がそう問うとはのう」
「……何が言いたいのですか?」

 ダンブルドアは微笑む。

「あやつはハリーを愛してしまっている」

 その言葉にスネイプは言葉を失った。

「セブルスよ。愛とは偉大なものじゃ。如何なる悪人であれ、その感情を抱いてしまえば逃れられぬ。愛する者に害が及ぶ事を容認出来る者は多くない」
「……愛した者を殺す者もいます」
「悲しいことじゃ。だが、あやつに限ってはあり得ぬよ」
「何故ですか……?」
「あやつは愛を知らなかった。だが、今は知ってしまった。愛を捨てられる者はより大きな愛を持つ者だけじゃよ」

 スネイプは俯いた。その言葉は彼自身にも当て嵌まる。唯一無二の愛とは絶対的な鎖となる。
 彼自身、未だに愛から逃れられずにいる。一度は捨てようとしたが、結局は愛の下に戻って来た。
 愛から逃れられる者は多くない。そして、彼や魔王には決して逃れる事が出来ないのだ……。

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