第一話「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 闇が迫って来る。騎士が何かを叫びながら私の手を牽き走っている。何を叫んでいるのだろう? 耳を澄ましても、聞こえて来るのは自分の呼吸音と脈打つ心臓の音ばかりだ。
 
『――――逃げられはしない』

 不気味な声が響く。騎士の手が強張った。
 
『――――我が悲願の礎となるのだ』

 途切れ途切れ聞こえる声に本能が警鐘を鳴らす。このままでは不味い。追いつかれてしまう。追いつかれたら終わりだ。『全て』が無駄になってしまう。
 騎士は私から手を離した。立ち止まり、私の背中を押す。遂に光に手が届いた。けれど、騎士は闇の中に留まり、一振りの剣を掲げている。ぼんやりと闇に浮ぶそれはあまりにも美しく、あまりにも眩く、あまりにも……、儚い。
 騎士に向かって、私は手を伸ばす。けれど、私の体は光に吸い込まれていく。徐々に騎士の背中が離れていく。
 
――――嫌だ。

 我武者羅に足を動かし、必死に手を伸ばす。けれど、距離は離れていく一方。涙が止まらない。胸が張り裂けそうになる。ずっと、一緒に居てくれる筈だった。いつまでも、どこまでも、共に歩み続ける筈だった。約束したから……。
 騎士は首だけを私に向けて、何かを呟く。私は何かを叫んだ。
 騎士は清廉なる輝きを纏う剣を振り下ろした。白亜の極光が闇を引き裂く。『運命』が集束し、収束し、終息していく。こんな筈では無かった。ただ、愛する人達と共に歩んでいきたいと願っただけだった。もう、誰もいない。
 もっと、一緒に居たかった。もっと、一緒に話がしたかった。もっと、一緒に笑い合いたかった。もう、出来ない。何も出来ない。奪われた。奪った。
 
「……ぁ、ぁぁ……」

 私はベッドで横になったまま、右手を真っ直ぐ天井に伸ばしていた。酷い夢を見ていた気がする。全身が汗でびっしょりだ。けれど、夢の内容が思い出せない。ただ、凄く哀しい気持ちだけが胸に残った。涙が頬を伝い、顎から滴り落ち、パジャマに染みを作る。ママが呼びに来るまで、私はジッと天井を見つめたまま涙を流し続けた。

――――なんで、こんなに寂しいんだろう?

 そんな疑問を抱いたまま……。

第一話「セイバー」

「いってきまーす」

 玄関先で手を振るママに大きく手を振り返しながら、私は家を出た。今朝の夢のせいで若干アンニュイ気分のまま、通い慣れた通学路を走っていると、遠目に仲良しのクラスメイトの姿が見えた。小学校の頃からの幼馴染の嶽間沢龍子だ。

「やっほー!」

 声を掛けると、向こうも私に気づいたらしく、立ち止まって手を振りながら「やっほー!」と返してきた。空いている手には英語の単語帳が握られている。

「タッツンってば、相変わらず熱心だねー。昔は私等の中で一番おバカだったのに……」
「そんなの昔の話だぜ! ま、センターが近いし、最後の悪あがきって感じだけど……。イリヤはいいよなー、帰国子女で英語ペラペラだし」
「へっへー、羨ましいかー?」
「羨ましいぞ、このやろー!」 

 いよいよ高校生活も大詰めに入り、周囲は受験ムード一色。勿論、私も例外では無いが成績は学年でも上位をキープしているし、特に英語に関しては小さい頃に海外で暮らしていた経験があるらしく、日本語を操るような感覚で扱える。もっとも、海外で暮らしていた頃の記憶は殆ど残っていない。なにしろ小さい頃の事だから仕方が無い。故郷の事を思い出せないのは残念だけど……。
 鏡を見る度に自分の銀色の髪と赤い瞳が自分を異国の人間であると自覚させる。けれど、私にとっては生まれた国――――ドイツよりも、育った国――――日本の方が故郷であるという思いが強い。ママは時折祖国の事を懐かしそうに話すけど、私にとっては祖国こそが異国だった。
 いっそ、髪だけでも黒く染めてしまおうかと思った事も一度や二度では無い。小さい頃は周囲と違う髪や瞳のせいで虐められた事もあって、アルビノでも無いのに、と忌々しく思ったものだ。結局染めなかった理由は一つ。髪を染めると言った私に対して両親が見てて哀れになる程落ち込んだからだ。特にママは自分の髪と瞳の色を受け継いだ娘が自分の髪色を嫌がっている事にショックを受けてしばらく口を利いてくれなくなった。パパもパパで『イリヤが反抗期になっちゃった……』と盛大に落ち込んで自棄酒を始める始末。あんなに面倒な日々を送るのは二度とごめんだ。幸い、虐めが深刻化する事は無かったから、私は妥協する事にした。
 虐めが深刻化しなかった理由は今まさに隣を歩いている龍子をはじめとした小さい頃からの幼馴染が常に私の味方になってくれたおかげ。あてにならない両親と違って、私にとって掛け替えの無い仲間達だ。そんな彼女達とも、もう直ぐお別れ。これまでは地元の小中高にそのまま進学して来たけれど、みんな、それぞれやりたい事があってばらばらに地元から去って行ってしまう。
 私自身、両親にはまだ内緒にしているが、地元から遠く離れた都会の大学を受験するつもりだ。地元も嫌いなわけではないけれど、やっぱり長く田舎で暮らしていると都会での生活に憧れてしまう。ショッピングに行くにも電車で一時間揺られなければいけないのはほとほとうんざりだ。

「なんか、いよいよって感じだね」

 龍子は寂しそうに呟いた。

「だね……。でもさ、別に永遠に会えないわけじゃないよ。また、何度でも皆であつまろ」
「勿論! でも、そう頻繁には集まれないだろうなー」
「……美々は京都、雀花と那奈亀は東京だもんね」
「魔法でも使えたらねー。扉を開けたら『どこでもドア』みたいな!」
「それは魔法じゃないよー」

 そう、龍子にツッコミを居れながら、私は本当にどこにでも行ける魔法があったらいいのにな、と思った。冬の寒気に身を震わせながら、私達は少しだけ距離を縮めながら学校へと向かった。

 放課後、登校の時と同じように龍子と一緒に家に向かって歩いていた。
 皆で図書室に篭って勉強していたせいで空はすっかり暗くなっている。

「陽が落ちるのほんとに早くなったよねー」
「ほんとほんと。ちょっと前ならこの時間でも明るかったのにねー」

 この季節の年中行事のような話題を口にしながら龍子と一緒に人通りの少ない道を歩いていると、十字路に差し掛かった。

「じゃ、また明日!」
「うん! まったねー!」

 そう言って、途中、龍子と別れた。そして、帰路の途中、不意に足を止めた。否、止めたというより止まったという方が正しいかもしれない。突然、全身に鳥肌が立ち、呼吸が出来なくなった。まるで、家族で遊園地に行った時に入ったお化け屋敷のような得体の知れない恐怖。ただの通学路の筈が、どこからか何かが飛び出してきそうな予感がした。

――――そう言えば、龍子の家に向かう分かれ道はもう少し向こうじゃなかったっけ……?

 しかし、思考はそこで中断させられた。

「まだ、召喚していないのね」

 いつからそこに居たのか分からない。道の先に小柄な少女が立っていた。その少女の容姿に思わず目を瞠った。
 少女の髪の色は雪のように白く、瞳の色は鮮血のように赤い。まるで、家の居間に飾ってある小学生の頃の私の写真から飛び出したかのように、その少女は嘗ての己と瓜二つだった。

「……えっと」

 戸惑いながらも声を掛けようとした。もしかしたら、親戚の子供なのかもしれない。今まで、父方の親戚とも母方の親戚とも会った事は無いけれど、ここまで容姿がそっくりだと無関係の他人とは到底思えない。だが、少女は私の言葉を遮る様に言った。

「久しぶり。わたしの事、覚えてる?」
「えっと……、ごめんなさい」

 どうやら、昔会った事があるらしいのだが、生憎、記憶を漁っても少女の事を思い出す事は出来なかった。

「ふーん、覚えてないんだ」

 すると、少女は冷たく私を睨みつけた。

「なら、もういいわ。死になさい」

 直後、大きな衝撃を感じた。思わず目を閉じると、今度は爆弾が破裂したかのような巨大な音が鳴り響き、次いで銃声が響いた。
 何事かと目を開けると、目の前にパパの顔があった。

「えっ、なに!?」

 混乱する頭を落ち着ける暇すらない。比較的、同世代の中では小柄な方だが、それでも私の体重は成人男性といえども軽々と片腕で持ち上げられるほど軽くはない。だというのに、いつもだらしない格好をしてうだつのあがらなそうな顔をしているパパが驚く程速く、私を片腕で抱えたまま走り続けている。その上、その手には拳銃が握られている。この法治国家である日本において、拳銃の所持が認められているのは警察官くらいのものだ。一部に例外はあるだろうが、パパがその例外に属するとは到底思えない。
 混乱は更なる混乱で塗り潰された。パパが何に対して銃を発砲しているのかを確認しようと視線を巡らせると、そこに信じられないものがいた。
 化け物。そう表現するしかない巨大な怪物が巨大な岩の剣を持って襲い掛かってくるのだ。

「イリヤ」

 縦横無尽に人間業とは思えないスピードで移動しながらパパは言った。

「僕が時間を稼ぐから、その間にこの場から逃げなさい」
「なに言ってるの!?」

 私の叫びを遮るようにパパは銃弾をあろう事か怪物ではなく、あの少女に向けて放った。信じられない思いでパパを凝視すると、パパは私をそっと降ろした。

「家に帰ったら、ママと一緒に家を居るんだ。しばらくしたら舞弥という女が迎えに来る。そうしたら、彼女と一緒に直ぐに街を出るんだ」
「街を出るって、何を言ってるの!?」
「いいから、早く言う通りにしなさい!」

 パパはそう叫ぶと同時に掛け出した。銃口は相変わらずあの少女に向けられたまま、何度も火を噴いた。その度に怪物が盾になろうと間に割って入る。
 パパは少女の周りを駆けながらそんなやり取りを延々と繰り返している。

「早く!」

 パパの怒鳴り声に私はただ言われるがままに駆け出した。頭の中が混乱していて、まともに判断能力が機能していない。ただ、ここに留まっていたら殺される。それだけを考えて走った。ついさっきまで、友達と受験についてあーだこーだと話していたのに、この非日常的な光景は一体何なんだ。あまりにも理不尽な展開に涙が溢れた。
 気がつくと家の前に居た。

「イリヤ!」
「ママ!」

 玄関先にママが居た。安堵の溜息を零し、ママに抱きつく。ママは何も言わずに頭を撫でてくれた。ホッとして、ついさっき起きた異常事態を説明しようと口を開き掛けた時、急に一台の自動車が家の前に止まった。

「マダム!」
「舞弥さん!」

 見知らぬ女性が車から降り立った。ママは親しげに微笑み掛け、私の手を牽いて彼女の下に歩き出した。

「状況は?」
「非常に不味い事態です。急ぎ、街から脱出を……」

 舞弥と呼ばれた女性は舌を打つと共に懐から拳銃を取り出し、私とママを車の中に押し込みながら発砲した。不吉な音の連続に私はママに抱きついたまま震えた。
 しばらくして、舞弥が運転席に乗り込んで来た。

「発進します。これから直ぐに街を出て、セカンドハウスに向かいます」
「……切嗣は?」
「最優先は貴女方の安全です。心配なさらずとも、切嗣ならば一人で切り抜けられる筈――――」

 舞弥の言葉が唐突に途切れた。何事かと頭を上げると、車が急停止して、私は前の席の背凭れに頭をぶつけてしまった。あまりの痛みに悶絶していると、舞弥は車を急転回させて、再び走り始めた。
 車は直ぐに狭い路地に入り、繁華街の方に抜けた。

「あれ……?」

 おかしい。窓の外を見て、激しい違和感を覚えた。まだ、時刻は九時を回ったばかりだ。この時間なら、繁華街は多くの人で賑わっている筈。にも関わらず、道にも店先にも人の気配が全く感じられない。

「しまった。誘い込まれた……っ」

 舞弥は焦燥に駆られた表情を浮かべ、助手席の鞄に手を伸ばした。同時に凄まじい衝撃が車を揺さぶった。自動車に関して、それほど詳しいわけでは無いが、この車は相当な耐久性を持っている筈だ。その車の屋根が大きくへこみ、縦に長い穴を穿たれた。そこから銀色の刃が突き出している。

「な、何!?」
 
 悲鳴染みた声を上げる私をママがきつく抱き締めた。

「マダム。私が囮になります。その隙に逃げて下さい」
「舞弥さん、でも……」
「時間がありません。私が外に出たら運転席に移り、全速力で包囲網から脱出して下さい。セカンドハウスまでのナビはセットしてありますが、此方を」

 ママの手に小型の携帯端末を投げ渡し、舞弥は外に出た。同時に拳銃の発砲音が鳴り響く。

「マ、ママ! 何が起きてるの!?」

 堪らず問い掛ける私にママは「心配要らないわ」と言って、体をよじらせ、運転席に移った。外では舞弥が拳銃を片手に戦っている。相手は奇妙な出で立ちの女。その手には巨大な斧が握られている。ゲームでよくあるハルバードと似ている気がする。
 舞弥は片手で拳銃を撃ち続けながら、空いている方の手で鞄を弄り、黒いボールのような物を取り出した。私はそれが何だか映画やゲームで観て知っていた。思わず声を張り上げそうになった瞬間、ママが車を走らせた。
 
「イリヤ。助手席に移って!」

 ママが叫ぶと同時に遠くで爆発音が鳴り響いた。舞弥が持っていた手榴弾の音に違いない。まるで、紛争地帯にでも迷い込んだような気分だ。
 ママに言われて、体をよじりながら助手席に移る。すると、ママは舞弥から渡された携帯端末を私に渡した。

「使い方は分かる?」
「う、うん。多分だけど……」

 端末の操作は実にシンプルだった。メニューボタンを押すと、ズラリと項目が表示され、十字キーと決定ボタンで目的の項目を選択する。舞弥の言っていたセカンドハウスの項目を選択すると、再び、幾つかの項目が現れた。

「イリヤ。これから説明する事をよく覚えておきなさい」

 ママは緊迫した表情で言った。

「信じられないかもしれないけど、これから話す事は全て真実よ」
「マ、ママ……?」

 ママは正面を真っ直ぐに見つめながらハンドルを切りつつ言った。

「貴女は魔術師なのよ」
「……はい?」

 ママの口から飛び出した突飛過ぎる発言に私は正気を疑った。度重なる非日常的な展開にママの頭がおかしくなったのかもしれない。

「事実よ。イリヤ・エミヤ。貴女の真名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。アインツベルンはドイツに拠点を置く古い魔術師の家系なの」
「ちょ、ちょっと待って! いきなり、何を言い出すの!?」

 困惑する私にママは言った。

「全て真実よ。最悪な事態もあり得るから、今の内に全てを話す。だから、とにかく聞きなさい」

 ママの鬼気迫る表情に私は何も言えなくなり、小さく頷いた。

「アインツベルンは千年以上続く旧家なの。彼らが目指しているのは第三魔法・天の杯。魂の固定化という、死者の魂を物質化して、現世に留める術を手に入れる事。その為に彼らは数百年前に遠坂の魔術師とマキリの手を借り、冬木という地で聖杯降臨の儀式を執り行った」

 全く、話についていけない。まるで、ゲームか映画、あるいは小説の設定だけを聞かされているみたい。ちんぷんかんぷんな私にママは微笑んだ。

「今直ぐに理解出来なくても構わないわ。ただ、覚えておきなさい。いつか、この知識が必要になる時が来る筈だから」

 ママはまるで予言するかのように言った。

「聖杯とは、神の子・イエスの血を受けた聖遺物としての聖杯――――ホーリー・カリスそのものでは無く、その伝説から派生した万能の願望機としての聖杯――――ホーリー・グレイルを指し示すの。あらゆる願いを叶える祈りの器。その為に必要とされるのは七体のサーヴァントの命。サーヴァントとは英霊と呼ばれる過去の英雄の魂を七つのクラスという寄り代に降霊させたもの。サーヴァントを召喚するには魔術師が七人必要で、魔術師達は儀式の度に殺し合った」
「こ、殺し合った?」

 理解が追いつかないながらも、殺し合いという物騒な単語には目を丸くした。

「聖杯の所有権は勝者唯一人に与えられるのよ。だから、儀式に参加した魔術師達は所有権を奪い合い、殺し合う。そして、四度繰り返された聖戦の火蓋が再び開いた。貴女を襲ったのは聖杯戦争の参加者の一人よ」
「あの子が!?」

 ついさっき、怪物と共に襲い掛かって来た小柄な少女の事を思い出す。

「間違いなく、彼女はアインツベルンからの刺客。恐らく、聖杯戦争の前哨戦として、私達の討伐に乗り出したんだと思う」
「と、討伐って、何で!?」
「私達が逃亡者だからよ」
「逃亡者!?」

 ママの口から飛び出す驚天動地の真実の数々に私の頭はオーバーヒート寸前だ。

「十年前の事よ。パパとママはアインツベルンの魔術師として、聖杯戦争に参加した。切嗣が召喚したサーヴァントはキャスター。つまり、魔術師の英霊。イリヤはモルガンって知ってるかしら?」
「えっと、アーサー王伝説に登場する魔女の事よね?」
「そうよ。彼女は短命を宿命づけられていた私と貴女を常人と同じように生きられるようにしてくれた。けれど、聖杯を得る事は出来なかった。手が届く所までは行ったのだけど……。聖杯入手に失敗した私達はアインツベルンから追われる身となり、今日まで身を隠して来た」

 ママの声が震えている。

「でも、見つかってしまった……」

 ママが怯えている。正直言えば、ママの話を私は信じ切れずにいる。だけど、ママの怯えが演技だとはどうしても思えない。もしかしたら、全部、ママの被害妄想なのかもしれない。
 でも、そうじゃないかもしれない。

「逃げられる……?」
「大丈夫よ。イリヤだけは何があっても絶対に逃がしてみせる……」

 そう、決意を秘めた声で言ったママの表情が凍り付いた。車が急停車する。前を向くと、そこにあの少女が立っていた。隣には怪物が佇んでいる。その手に握られているものを見た瞬間、私は声にならない悲鳴を上げた。
 パパはまるで人形のようにだらんとしている。ピクリとも動かない。

「あ、あなた……」

 ショックで声を失っているのはママも同様だった。口元に手を当て、目を大きく見開き、大粒の涙を零している。
 見間違いじゃない。パパは死んだ。殺された。目の前の少女と怪物に殺された。

「どうして……」

 怒りや憎しみを感じるより先に脳裏に浮んだのは疑問だった。どうして、私達がこんな目に合わなければならないのだろうか? その疑問の答えをママに問い掛ける前にママの体が目の前で肉塊となった。
 銀色のハルバードでママの体を粉砕した女が言った。

「早く出ろ。クロエ、待ってる」

 片言の日本語。よく見ると、この女も私と同じ銀髪と紅眼の持ち主だ。女は茫然自失となっている私の手を掴み、無理矢理外に引っ張り出した。私に抵抗する意思も力も残っていない。
 パパとママが死んだ。ただ、死んだわけじゃない。殺された。この平和主義の国、日本で殺人事件に巻き込まれる可能性は限り無く低い。一生をそうした犯罪と関わり無く過ごす人間の方が圧倒的に多い。なのに、よりによって私達がこんな目に合うんだろう?

「いきなり逃げ出すだなんて、随分な御挨拶じゃない、イリヤ」

 死神が微笑んでいる。両親を殺した鎌を今度は私に向けている。
 殺される。そう、理解した瞬間、酷い頭痛がした。吐き気が込み上げてくる。しかし、吐き気が喉元を過ぎる前にあまりにも激しい痛みが全身を襲った。

「ぁ……、れ?」

 地面に倒れこむと、生暖かい水溜りに落ちた。それが自分の血で出来たものなのだと自覚したのは意識が途絶えそうになる瞬間だった。どうやら、あのハルバードの女が一体、どこにそんな力が備わっているのか疑問な程の細腕で私の体を死神に向けて放り投げたらしい。
 あの女も怪物だ。逃げられない。助からない。そう、自覚した途端、急に意識が鮮明になった。体の中でカチリと何かが開いた気がした――――。

「この魔力は……っ!」

 少女が叫ぶ。けれど、構っている余裕は無い。まるで、壊れた蛇口のように体の奥底から何かが溢れ出してくる。

「なに、この魔力……」

 少女が困惑した声を上げる。今がチャンスだ。今、この瞬間がこの訳の分からない状況を打破する唯一の好機。そう、思った瞬間、体から溢れ出す力は何かの志向性を伴って動き出した。
 そして――――、

「お前がオレのマスターか?」

 目の前に全身を鋼で包んだ小柄な騎士が立っていた。混乱はここに至り極限に達する。いきなり、目の前に甲冑を来た人間が現れるなんて、あまりにも現実離れし過ぎている。呆然としたまま凍りつく私を尻目に騎士は少女に視線を投げ掛けた。

「お前が敵か?」

 ただならぬプレッシャー。直接向けられたわけでもないのに、私の体は震えた。だと言うのに、少女はまるで柳に風といった感じ。さっきまでの驚愕の表情は形を潜め、好戦的な笑みを浮かべている。

「凄いわ、イリヤ。召喚陣も無く、詠唱すらせずに、しかも、冬木から遠く離れた場所でサーヴァントを召喚するなんて」

 少女の言葉が一つも理解出来ない。困惑する私に騎士は言った。

「とりあえず、守ってやるから退がってな」

 騎士の言葉は力強かった。まるで、絶望の暗闇を照らす一筋の光のように私の心を安堵で包み込んだ。

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