第三話「間桐桜」

「聖杯戦争が始まる」

 抵抗する気なんて無いのに、私の両腕両脚を無骨な鉄の枷で拘束しながら、男は言った。今も蟲は私の体を絶え間なく出入りしている。蟲自体が粘液を出しているから痛みは無い。むしろ、頭の奥がジンとするくらい心地良い快楽が上ってくる。話の間くらい、この蟲達を大人しくさせて欲しい。大事な話なのに、頭の働きが鈍くなってしまう。
 聖杯戦争……か。懐かしい言葉。私の全てが終わり、全てが始まった闘争。
 十年前の事を振り返ると、嘗ての一時一時が鮮明に脳裏に浮かぶ。私が聖杯戦争に参加したのは一人の殺人鬼との遭遇が切欠だった。殺人鬼は私の友達を一家諸共に惨殺し、サーヴァントの召喚を行った。荒れ狂う暴虐の嵐の中、私は生きる為に殺人鬼の真似をして、英霊召喚を行った。
 現れたのは『弓の英霊――――アーチャー』。その真名は、衛宮士郎。嘗て、正義を夢見た少年が理想を叶えた到達点。彼と駆け抜けた日々は決して忘れない。
 一つの『奇跡』を奪い合う闘争。七人の魔術師が七人の英霊を呼び出し殺し合う聖杯戦争。数奇な運命の果てに勝利を手にした。だけど、私は多くを失った。父も母も妹も兄弟子も相棒も友達も皆死んだ。家や自由、自分の名前すら奪われた。
 それでも、残ったものはある。私を最期の瞬間まで慕い続けてくれた一人の暗殺者の思いがある。私に『生きろ』と願い、別れた相棒の笑顔がある。だから、私は今尚生きている。これからも、生き続ける。

 ◆

 暗くてジメジメとした地下の汚らわしい空間に閉じ込められ、七歳という第二次性徴すら始まっていない頃からペニスを模した造形の蟲に全身を嬲られる日々を送り、女としての快楽と苦痛を骨の髄まで教え込まれた。閉じ込めた男達の目的は分かっている。私という胎盤に間桐の子を孕ませる為。衰退した血に優秀な血を混ぜる事で間桐という没落した魔術の家門を再起させようという魂胆。私には魔術師の名家である遠坂の血と特異な遺伝特性を持つ禅城の血が流れている。彼らにとって、私はまさに金の卵を産むニワトリというわけ。
 この十年の間に私の体を――私自身でさえ、見た事も触った事も無かった場所を――彼らは無遠慮に弄りつくした。何をすれば私が快感を得るのか、どうすれば私が苦痛を感じるのか、彼らには手に取るように分かる。けど、別にその事で彼らを恨むつもりは無い。魔術師というのは人の倫理から外れた存在だ。それが魔術の探求に必要な事なら、拷問や人喰いでさえ手段の一つとして認められる。蟲に犯される程度なら、魔術師にとって大した問題じゃない。それで、少しでも根源に近づけるというなら、むしろ大歓迎するのが魔術師という存在。
 私も魔術師だ。十年前の闘争とそれからの十年に及ぶ拷問の日々によって、下水の底に溜まる汚泥の如き魔術に対する憎悪を積み重ねながら尚、私は魔術師として今に至る。矛盾を抱きつつも、私は魔術師としての才能を開花させた。私を拷問した男達が想像もしなかった事態。ただの拷問。教育などでは無く、ただ作り変える為の作業。それを見続け、聞き続け、感じ続けた果てに私は間桐の魔術を理解した。だけど、それで何かしようなどとは思わなかった。やりようによっては、私をここに閉じ込めた男達を殺す事も出来るし、苦しめる事も出来る。でも、そんな事をする理由が無い。だって、私は彼らを恨んでいない。むしろ、感謝しているくらいだ。
 魔術という物の本質を骨の髄まで教え込んでくれたおかげで、私は父や妹を理解出来るようになった。だから、私の憎悪の矛先は魔術そのモノに向いている。魔術など無ければ、私を犯す彼らも別の人生を歩んでいたかもしれない。そう思うと、憐憫すら感じる。胎盤にしたいというなら、なってやってもいいとすら思っている。今更、女としての幸せなんて望んでいないし、無駄に死ぬのは癪だ。だから、少しでも恩返しをしてから死にたい。
 そう思っていた。目の前の男――――間桐鶴野が聖杯戦争の再開を口にするまでは……。

「そう、聖杯戦争が始まるんだ。まだ、続いてるんだ……」

 十年前にアーチャーが終わらせた筈の聖杯戦争。今でも、あの激動の日々の記憶は色褪せる事無く覚えている。もう、二度と起きないと思っていた。だって、最終決戦の場には衛宮切嗣が居たから。
 衛宮士郎の義理の父親にして、彼に正義の味方という在り方を教えた人。彼が聖杯をとっくに解体していると思っていた。彼は一体、この十年間、何をしていたんだろうか。

「お前に令呪が宿る可能性が高い。故、サーヴァントを召喚してもらう」

 随分と信用されたものだ。それとも、私を支配出来ていると勘違いしているのかしら。両親や妹、友人の非業の死を経験し、人間の血肉を文字通り喰らい、幼い頃から拷問を受け続け、もはや、恐怖も苦痛も私を縛る事は出来ない。その事を彼らは分かっていないのかもしれない。
 好都合ね。彼らが私を分別を弁えた良い子――――良い奴隷と思ってくれているなら、それを利用しない手は無い。

「召喚した英霊に対して、直ぐに令呪を使ってもらう。まず、我々に一切の危害を加えない事。次に、主替えに賛同する事。この二つを命じろ」

 主替えに関しては理解出来る。さすがに、私に英霊という兵器を持たせておく事を危険視しているのだろう。

「三つしかない令呪をいきなり二つも使うのですか?」

 従順な奴隷に相応しい、おどおどとした振る舞いを見せながら問い掛けた。いくら、安全性を優先したいからと言って、聖杯戦争の切り札とも言える令呪をいきなり二つも消費するなんて、軽率とすら思える。

「問題無い。策を講じる」

 考えがあるって事ね。令呪のシステムを考案したのは元々間桐だし、反則技の一つや二つ、持ってるのかもしれない。これ以上の口出しは反抗的態度と取られかねないから黙る事にする。お仕置きなんて、別にどうって事無いんだけど、少し考えをまとめたい。

「お前は召喚の呪文を暗唱出来るようにしておけ」
「わかりました」

 用件が終わると、鶴野は地下室から出て行った。枷が外されたから、私も部屋に戻る事にした。最初の頃は二十四時間、蟲のプールで拷問漬けだったけど、今ではそれなりに自由行動を許してもらえるようになった。学校にも通っている。監視用の蟲を体内に宿した状態が条件だけど。
 軽くシャワーを浴びて、体を綺麗にした後、自分の部屋に戻る途中で嬉しい顔と出会った。間桐慎二。鶴野の息子にして、私の義理の兄。そう言えば、鶴野は聖杯戦争の事を話すだけで、私に手を出さなかったから、精液を貰っていない。私の生来の魔力だけでもそれなりに体内の蟲を養えはするんだけど、適度に精液を接取した方が健康的で居られる。鶴野はもう歳だから、あんまり出ないし、街をふらついて、適当な男を見繕うのは面倒だ。噂が流れて、学校生活に支障を来たすのも困る。その点、慎二は若くて性欲旺盛。しかも、身内で分別もちゃんと弁えているから好都合。

「こんばんは、お兄様」
「……またか」

 それなりに美人に育ったと自負している身としては、そんなしかめっ面を浮かべないで欲しい。

「蟲が暴れるんです。お願いします」

 哀しそうな顔を作ると、慎二はアッサリと態度を豹変させる。心配そうに私の顔を見つめ、罪悪感に塗れた表情で頷く。本当に素直で良い子。部屋に連れ込んで、慎二から精液を貰うと、体の疼きが完璧に収まった。慎二が私や地下の秘密を知って以来、私は丁寧に彼にセックスを教え込んだ。鶴野達が私にしたように、私は慎二を玩具にしている。年頃になったからか、少し誘うのを工夫する必要が出て来たけど、理由さえ与えてあげればいい。
 あなたは悪くない。そう、思わせてあげる事が肝心。部屋でたっぷりと彼から精液を貰い、今後の事について、想いを馳せた。

 ◆

 三日後、私の腕に真紅の紋様が浮かび上がった。令呪が宿った事を頭首に報告する為に私は地下へと通じる長い階段を降りている。
 足元に這い寄って来る蟲――――刻印虫と呼ばれる淫虫を無視して空間の一角に足を向ける。報告って言っても、もう相手には全て知られてしまっているから、これはただの確認作業。私の体の中には頭首が監視用に入れた刻印虫が居るから、私が何を喋っても、何を聞いても、何処に行っても、何をしても、全て頭首に知られてしまう。トイレやお風呂も例外では無く、当初は反抗心を徹底的に抑えつける為に排泄まで完全に管理されていたっけ。
 死にたいと思った事も一度や二度じゃなかった。それでも、生にしがみ付いていたのは、私の胸にいつも彼との『何があっても生き続ける』という約束があったから。どんなに辛くても、苦しくても、生き続ける。その約束を反故してしまったら、今度こそ遠坂凛として築いた絆が全て無くなってしまう気がして、必死に守ってきた。まあ、今となっては自殺願望なんて殆ど持ち合わせて無いんだけどね。
 頭首と鶴野の姿が目に止まり、私は足を止めた。足下には英霊召喚用の魔法陣。奥には台座。台座の上には奇妙な物体が置かれている。

「召喚の呪文は覚えているな?」

 頭首のざらついた声。さっきまで、鶴野の隣に立っていた筈なのに、数百年を生きる妖怪、間桐臓硯はいつの間にか私の背後に居た。

「はい」

 素直に返事を返すと、臓硯は口元を不気味に歪めた。

「分かっておるじゃろうが、反抗的な態度を取るでないぞ? さすれば、手痛い仕置きが待っているでな。儂とて、可愛い孫を痛めつけるのは心が痛む。あまり、負担を掛けんでくれ」

 笑うべき所なのか、少し悩んだ。

「さて、これが何か分かるか?」

 臓硯はいつの間にか台座の傍に移動していた。

「これは世界で初めて脱皮した蛇の抜け殻の化石じゃよ」

 英霊召喚用の触媒。私は少し安心した。触媒無しで英霊召喚を行った場合、私は高確率で【とある英霊】を呼び出してしまう。あまり、今の私を彼に見られたくない。私は自身が他人の血肉を貪り、性の快楽に溺れるという、女として最悪な部類に入る事を自覚している。歴史上に名を馳せる悪女、エリザベート・バートリーにも匹敵するであろう、自身の悪性を自認している。
 幼い少女に拷問器具を使い、その苦痛に歪む表情を愉しみ、殺害した後はその血を浴び、性器を取り出して性的快楽に耽る異常者。私は彼女を笑えない。若い男女を刻印虫で拷問し、その惨状を前にして同じ蟲が与える性快楽に耽り、死亡した男女の肉を貪る。触媒無しでの召喚をした場合、私はどちらを呼び出す事になるんだろう。正義の味方と悪の権化。どちらを召喚しても不思議じゃない。むしろ、今の私が正義の味方を呼び出す事が出来るのだろうか……。

「お前にはこの聖遺物を憑代にサーヴァントを召喚してもらう。この聖遺物はお前の父が前回の聖杯戦争に用いる為に準備しておった、考えうる限り最強の英霊を召喚する為のものだ」
「お父様が?」
「ああ、遠坂の屋敷を整理しておった時に見つけたものだ」

 私が【間桐桜】として間桐の家に連れて来られた時点で遠坂の屋敷はその持ち主を失った。その空き屋敷となった遠坂邸を目の前の老人は見事な手腕を持って、唯一の生者である私――――つまり、間桐桜に継承させた。そして、じっくりと時間を掛け、遠坂の家の秘奥を悉く暴き、私ですら知らなかった遠坂の秘儀を間桐の家の物としてしまった。
 この聖遺物もその内の一つなのだろう。私がアーチャーを召喚した為に使われる事の無いまま、遠坂邸に残されたソレを十年の歳月の後に私が使う事になるとは、何て皮肉な話だろう。

「さあ、詠唱を始めるが良い」

 臓硯の言葉に私はゆっくりと口を開いた。

「閉じよ――――」

 循環する魔力に体内の刻印虫が暴れ始める。構わない。魔力を繰る時の痛みと蟲がざわめく痛みは似たようなものだ。臓硯が敢えて私に苦痛を与えたい時に蟲共が私に与える痛みとは比べるのも馬鹿らしい些細なもの。
 そう、自分に言い聞かせながら、呪文を紡ぎ続ける。

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 嘗て唱えた呪文を十年の時を経て再び口にする。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者――――」

 あの時との違いが一つだけある。あの時、私はバーサーカーのマスターの詠唱をそのまま繰り返した。先にバーサーカーの席が埋まっていたからいいものの、もしもまかり間違ってバーサーカーなどを召喚したら、私は今頃声無き死者となって居た事だろう。
 私はあの時に唱えた一節を無視し、呪文の続きを唱えた。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」

 途端、暗闇に覆われた蟲蔵が眩い光に包まれた。まるで燦々と降り注ぐ太陽の光のようにどこか暖かく、だけど、直視するにはあまりにも攻撃的な輝き。思わず瞼を閉じた。

「桜、やれ!」

 鶴野の声が地下室に響き渡った。その直後、鼓膜を揺さぶる衝撃が奔った。何が起きたのか確認しようにも目が眩んだままで、何も見えない。

「無礼者め」

 冷ややかな声。聞き覚えの無い声。誰だろう。正体を見極めようと、瞼を薄く開く。すると、突然、頭が締め付けられるように痛んだ。否、『ように』ではない。実際に締め付けられているのだ。何者かの掌によって目を覆われ、その指によって頭を締め付けられている。

「我の眠りを妨げるとは、凡夫の身でありながら恐れを知らぬ女よ」

 あまりにも尊大かつ傲慢な言葉。あらゆる身分、あらゆる性格、あらゆる立場がその声の前では無力。ただ、一様に頭を垂れずには居られない。誰かに服従する。それは屈辱的な行為だ。けれど、この声の存在に対しては別。服従する事が何よりも素晴らしい誉れとなる。

「だが、不敬が過ぎたな」

 万力のように徐々に指に力が篭められていく。このままでは殺される。何の意味も無く、暗い地の底で、頭を砕かれ殺される。そんなのは嫌だ。無意味に死ぬわけにはいかない。死ぬにしても、何か意味を残してからでないと死ねない。
 アーチャーが『生きてくれ』と言った。でも、人間はいつか死ぬ生き物だ。だからせめて、私の名だけは生き続けるようにしたい。それが例え、間桐の胎盤としてであろうと構わない。少なくとも、間桐慎二の配偶者として、間桐の後継者の母体として、名前が残るなら、それで構わない。今は間桐桜という名前だけど、慎二は私の真名を知っている。だから、きっと彼が私の名前を伝え続けてくれる筈。
 けれど、このまま何も為せずに死ぬのだけは嫌だ。これでは名前すら残らない。ただの無様な死体しか残らない。

「貴様ら俗人が我を見る事は許さん。語る事も、請う事も、肩を並べる事も許さん。我の許可を得ずに我を見ようとした不敬は死をもって償うが良い」

 冗談じゃない。ただ、見ようとしただけで殺されるなんてふざけている。私はこんな所で死ねない。漸く、見つけたのだから。魔術に対する復讐。根源へと至る事すら可能な聖杯ならば、魔術そのものを消し去る事も出来るかもしれない。
 聖杯は穢れている。だから、その願いがどう叶えられるかなんて分からない。だけど、その為なら……。
 私は聖杯が欲しい。だから、こんな所で死ぬわけにはいかない。

「わた、し……ねない」
「ん?」

 指の力が微かに弱まった気がした。
 気のせいかもしれない。けれど、痛みによって乱れた思考が一時だけ回復した。

「わた、しを―――認めろ!」

 刻まれたばかりの令呪から膨大な魔力が溢れ出す。
 否――――、令呪からだけでは無い。まるで、令呪のような膨大な魔力が体内から溢れ出す。

「これは……」

 声に驚きの色が混じる。指の力が抜け、解放された視界に映り込んだのは黄金の鎧を纏う男だった。

「三つの令呪以外にも隠し持っていたか……。しかし、思い切ったな、雑種よ。切り札であっただろう『ソレ』を全て使い切るとはな。計、七つ分の令呪とは」

 黄金の英霊は静かに言った。

「だが、七つの令呪と言えど、我を染めるには足らぬ」

 令呪は一つ使うだけで奇跡を起こす。空間を跳躍し、瀕死の状態から活路を見出す手助けをし、サーヴァントに限界以上の力を発揮させる。それを七つ。私自身、どこに四つ分の令呪があったのかは知らない。恐らく、臓硯の手によるものだろう。それを私は無意識に使い尽くしてしまったらしい。それでも尚、目の前の英霊を縛る鎖にはならなかった。

「……が、いいだろう」

 黄金の英霊は言った。

「小娘よ。我に己を認めさせたいという貴様の欲望、それだけは認めてやろう」
「……え?」
「愚鈍な反応を返すな。仮にも、我のマスターを名乗るからには、常に知恵の限りを尽くせ」
「じゃあ……」
「我を見る事を許そう。我と語る事を許そう。我の寛大さに感謝するが良い」

 暗闇の中にあって尚、目が眩みそうになる輝き。黄金の英霊は静かに私を見下した。

「顔は悪くない。だが、次から我の視界に入る時は常に身を清め、一級品の装束に身を包め。まあ、内側を清める事は難しいだろう。我が清めてやる」

 そう言って、黄金の英霊はどこからか杖を取り出した。
 途端、体内の蟲が騒ぎ始め、全身をこれまで味わった事の無い程の痛みが奔った。

「ほう、己が運命を悟ったか。だが、無駄な事だ」

 瞬間、私は炎に包まれた。比喩では無く、赤々と燃える炎に私は焼かれている。だと言うのに、痛みを全く感じない。燃えているのは私の体内に巣食う蟲共だ。

「これを飲め」

 炎が収まると、黄金の英霊は美しい装飾の杯に緑の液体を注いだ。飲めと言われても、私はそれどころじゃなかった。全身の蟲が焼かれ、私の体は隙間だらけになってしまった。体内から突然一部分の肉が消え去ったらどうなるだろう。答えは簡単。痛いどころの話じゃない。それが全身に渡っているのだ。
 私はいつの間にか地面に倒れ伏し、痙攣を起こしていた。すると、黄金の英霊は私の体を蹴って転がし、仰向けにした。生きているのか、死んでいるのか、それすら曖昧な状態に陥っている私の口に黄金の英霊は杯から緑の液体を注いでいく。すると、突然痛みがスッと引いた。

「肉体の損傷箇所は治ったであろう。いつまでも王の御前で無様を晒すな。早々に立ち上がれ」

 その言葉に私は慌てて立ち上がった。痛みは完全に消えていた。体内に宿っていた筈の蟲が一匹残らず消えている。まるで、初めから存在していなかったかのように……。

「これは……?」
「体内は清めた。後は貴様なりに努力し着飾るがよい」
「えっと、あの……」
「愚鈍な反応を返すなと言った筈だ。我に同じ言葉を繰り返させるな」

 私は慌てて口を閉ざした。とにかく、一度頭を整理させる必要がある。
 今の混乱し切った頭では何時目の前の英霊の怒りを買うか分からない。

「まあ、我に令呪を拝した以上、貴様は我のマスターだ。サーヴァントとして、契約者の名前くらいは覚えておいてやろう。従うか否かは貴様次第だがな」
「……間桐桜」

 慎重に名を告げると、直後、恐ろしいほどの殺気が向けられた。

「我に虚言を弄するとは、貴様は我の寛容を甘く見ているらしいな」
「きょ、虚言なんかじゃ……」
「それが貴様の真名ではあるまい。今一度、機会をやろう。これが最後だ。名を名乗れ」

 私は必死に気を鎮めた。間桐桜という名前は私がこの家に連れてこられた時に付けられた名だ。嘗て、妹であった少女の名前。けれど、それは確かに私の真名じゃない。
 私の真名と言えば、それは――――、

「遠坂凛」

 それ以外にあり得ない。
 今度は殺気を向けられずに済んだ。

「最初からそう名乗れば良いものを。まったく、巡りの悪い娘だ。遠坂凛よ、我の名は分かっていような」

 もしも、分かっていないなどと答えれば、その瞬間に私の命は終わるだろう。すでに、目の前の英霊はその寛容さの全てを使い果たしている。だから、私は推理する。目の前の英霊の正体が何者なのかを推理する。『世界で初めて脱皮した蛇の抜け殻の化石』によって召喚される、父が選んだ史上最強の英霊。
 私は推理の答えを迷わず口にした。

「古代ウルクを統治した世界最古の英雄王、ギルガメッシュ」
「分からないなどと返せば、今度こそ首を切り落としてやろうと思ったが、命拾いしたな」

 そう言うと、ギルガメッシュは私に背を向けた。

「精々、我を興じさせて見せよ」

 そう言うと、ギルガメッシュは私に興味を無くしたかのように光の粒子となって消えた。私はしばらくその場に立ち竦むと、意を決して歩き出した。すると、背後で鶴野が起き上がった。全身を様々な刀剣に突き刺された状態のまま。

「よもや、蟲共を一匹残らず焼かれるとはな」

 その声に漸く私は地下で蠢いていた筈の蟲が一匹残らず灰になっている事に気が付いた。どうやら、臓硯は唯一見逃された鶴野の死体に逃げ込んでいたらしい。

「令呪をもってすら御せぬとは……。まあ良い。桜よ、今一度この蟲を受け入れよ。今度は――――」

 臓硯の言葉は続かなかった。
 臓硯が操る鶴野の死体が炎に包まれ灰となった。

「他者の死体に身を隠して尚生き延びようとする、その生き汚さに免じ、見逃してやろうと思ったのだが……」

 気が付くと、ギルガメッシュが真横に立っていた。

「我が一度この手で清めた物を再び穢すというならば話は別だ。その死を持って、己が愚行を悔いるが良い」

 それだけを言うと、再びギルガメッシュは身を翻した。

「ここは臭いな。部屋に案内しろ」

 拒否権は無い。私は命じられるまま、彼を自室へと案内した。

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