第六話「選択」

 一人になって漸く一息吐けた。思った以上に疲れている。
 不調という程じゃない。ただ、思考能力が低下していて、それを取り繕う為に神経を擦り減らしたからだ。殆ど取り繕えていなかったけど……。
「あの反応は予想外だったな……」
 僕の中でハリー・ポッターは正義の味方だった。友情や愛情を尊び、悪を決して許さない。まさに、英雄に相応しい人物。
 ハリーが開心術を使った時、驚きのあまり頭の中が真っ白になった。僕の中で彼のその行動は『絶対にあり得ない事』だった。だから、咄嗟に閉心術を使い、秘密を守る事も出来なかった。
 隅から隅まで覗かれ、秘密の部屋で行っていた非道の数々まで全て暴かれた時、絶望的な気分になった。
 嫌われたと思った。ずっと、会いたかった人。折角、手に入れた友達を失ったと思った。その喪失感は果てしなく……いっそ、彼をこのまま殺してしまおうかとさえ思った。
 殺して、永遠に僕の傍に置いておこうと思った。彼が僕を糾弾する前に、僕を軽蔑の目で見る前に……。
 だけど、出来なかった。
 杖を取り上げられていたからじゃない。僕はハリーを傷つける事が出来なかった。考えただけで怖気が走る程、僕にとってハリーは大切な存在になっていた。
「ぁぁ……」
 思い出しただけで悶そうになる。
 あのハリーが僕を受け入れた。全てを知りながら、尚も僕を友と呼んだ。
 その時の感情を言葉で表す事は容易じゃない。
 驚いた。
 悲しくなった。
 嬉しかった。
 憎らしかった。

――――そうじゃないだろ? 君は僕を許してはいけない筈だ。

 そうなるように仕向けておいて、実に我侭な事を思ってしまった。
 僕は彼に受け入れられた事を喜ぶと同時に、僕の理想だったハリーが正義に反する事を口にした事に哀しみと怒りを覚えた。
 その後はもう滅茶苦茶だ。ずっと、相反する感情がせめぎ合った。
「……ぅぅ」
 彼に滅茶苦茶にされたい。彼を滅茶苦茶にしたい。
 その手で殺して欲しい。この手で殺したい。
 その記憶を消して、英雄の道に引き戻したい。その精神を穢し尽くして、魔王の道に誘いたい。
「アハァ……」
 ああ、ハリー・ポッター。僕の友達。僕だけのもの。
 胸を掻き毟りたくなる。
 もっと、見たい。もっと、聞きたい。もっと、知りたい。もっと、味わいたい。もっと……もっと……もっと!
 彼には僕の知らない一面があった。
 彼が僕の言葉を逐一文献や他者の証言と照らし合わせていた事は知っていた。
 だけど、知らなかった。
 彼に……あんなにも情熱的な一面があった事を。
「僕の杖を取り上げ、僕の心を暴き立てるなんて……ぁぁ、ハリー」
 ああ、期待以上だ。
 あの時、僕は待っていた。
 裏切られたと感じた筈の彼が自ら僕に対する信頼感を回復するのを。
 それで漸く完成する筈だった。裏切られて尚、忠誠を誓う最高の友達が。
 まさか、ここまでとは思わなかったよ。良い意味でも、悪い意味でも裏切られた。ああ、悪いヤツだ。酷いヤツだ。
「さい、こう……。あぁ、だけど反省しないといけないね」
 心をかき乱されたまま、普段通りの態度を取ろうとして、無様な姿を晒してしまった。
 マグル相手に手玉に取られて、ハリーの前であんな醜態を晒す事になるとは……。
「焦り過ぎたな……」
 ジェイコブの言うとおり、脅迫など最後の手段にするべきだった。普段の僕なら絶対にしないミスだ。
 あの年頃の少年を篭絡する事なんて赤子の手を捻るよりも簡単な事だったのに、逆に唇を奪われ、弄ばれた。
 それでも、逆に彼を支配する事も出来た。だけど、ハリーの前で男を誑し込む事に抵抗を感じた。
 羞恥心なんて、今更過ぎる。この体も魂もとっくの昔に……。
「まあ、結果としては悪く無いか……」
 幸か不幸か、彼に好印象を植え付けられた。加えて、此方を御し易いと感じてくれた筈。少なくとも、魔法使いを絶対的な脅威と認識される事は避けられたようだ。
 この状況下でマグルに伝を持つ事は非常に有益だ。
 ポケットにいつの間にか忍ばせられていたメモには彼が指定した待ち合わせ場所と時刻が記されている。
「……マリアに会いたい、か」
 頬が緩む。
 ああ、会わせてあげるとも。最後の最後まで役に立ってもらった後でね。
「散々使い倒して、ボロ雑巾のように捨ててあげるよ」
 楽しみだ。

 さて、少し思考を切り替えよう。これからの事だ。
 今の僕は『死喰い人の一員の息子』という立ち位置。ハリーの友達としての実績もあって、いきなり拘束される事は無かったけど、不死鳥の騎士団達は僕から杖を取り上げ、窓のない鍵の掛かった部屋に監禁した。
 ルーピン教授やシリウス、ハリーは猛烈に反対してくれたけど、他の騎士団の面々が断固とした態度を貫いた。
 脱出する事は簡単だけど、ここで不死鳥の騎士団と完全に対立する事は無意味だ。
「クリーチャー」
 僕はこの家に“仕えていた“屋敷しもべ妖精を呼び出した。
「お呼びで御座いますか?」
「ああ、呼んだとも」
 クリーチャーは元々ブラック家に仕えていた。だけど、当代当主であるシリウスは家風に染まり、純血主義を掲げるクリーチャーを疎ましく思い、彼に辛くあたっていた。
 僕はシリウスを言葉巧みに唆して、クリーチャーを失職させた。その後で僕に仕えないかと声を掛けた。母上の事を話すと喜んで従ってくれた。
 完全なマッチポンプだが、クリーチャーの存在を野放しにしておく事は非常に危険だった。手元に置いておくに越した事は無い。
「少し情報を集めてきて欲しい。今この瞬間も魔法界の情勢は目まぐるしく変わっている筈だからね。状況に置いてけぼりを喰らいたくない」
「かしこまりました。……ですが、あの不埒者共を皆殺しにしてしまった方が早いのでは?」
 物騒な事を言う彼の目はどこまでも本気だった。
 僕を監禁している事に怒りを通り越して憎悪を抱いている。
「彼等は有益だ。……今のところは。だから、利用出来る内は殺せないよ」
「ですが……」
「ありがとう、クリーチャー。安心してよ。いつまでも監禁されたままじゃ、僕だって困る。手段を講じるさ」
「……差し出がましい事を申しました。どうか、お仕置きをして下さい」
「ああ、わかった」
 僕は彼の指を折り曲げた。骨を折る音というものは実に良いものだ。
 ある落石事故に巻き込まれた炭鉱夫は重い岩石に押し潰された時、全身の骨が折れる音が聞こえたと言う。その音は痛みを忘れる程の素晴らしい音だったという。
 乾いた破裂音が心地よい。気が付けば、彼の左手は奇妙なオブジェになっていた。
「……ぁりがと、うござい、ます」
「さあ、行っておいで」
 クリーチャーが去った後、再び静寂が訪れた。聴覚を拡大する魔法を使い、階下の声を拾う。五感を活性化させる呪文も分類上は闇の魔術になる。
 拾う音を取捨選択しないと頭が痛くなってくるのが難点だ。
 どうやら、僕の事を議論しているらしい。ハリーが賢明に僕の事を弁護してくれている。他のメンバーも僕の事を知っている者達は監禁に難色を示してくれている。
 だけど、全体的な感触としては芳しくない。
「……果報は寝て待てって言うけど、ちょっと焦れったいな」
 その後、ホグワーツの現状や今後の打開策についてなども話し合われた。
 
 結局、僕が解放されたのは四日後の事だった。
 僕は憔悴し切った表情を作って待ち構えていた。この四日間、彼等が用意した水や食料に一切手を付けていない。
 クリーチャーに色々用意してもらったから、別に空腹でもなんでもないけどね。
「ドラコ!」
 ハリーは知ってる癖に過剰に心配そうな表情を作って駆け寄ってきた。
「言ったのに! ドラコは大丈夫なんだ! 彼の覚悟が分かったでしょ!」
 ひどい茶番だが、ハリーの熱演の効果は凄まじかった。
 シリウスやルーピンが同調し始め、最終的にほぼ全員が僕を信用してくれた。
 まだ疑っているぞ、と脅しかけてくる者もいるにはいたが、その目には罪悪感がありありと浮かんでいた。
 元々、善人の集まりだから、子供を監禁する事に抵抗感を抱いていたのだろう。
「ドラコ、大丈夫かね?」
 シリウスは僕にスープをすすめてくる。
「ぁりがとう、シリウス」
 掠れた声を作って、彼の好意に甘える。
「すまなかった。だが、これで君に愚かな疑いを向ける者はいなくなった筈だ」
 ルーピンが心底申し訳無さそうに言った。
 他のメンバーを眺める。総勢十一名と闇の陣営に対抗する正義の団体にしては少ない気がするが、一部屋に押し込むには多過ぎる。。
 闇祓いのダリウスとガウェインは知っている。
 後のディーダラス・ディグル、エルファイアス・ドージ、スタージス・ポドモア、エメリーン・バンス、マンダンガス・フレッチャー、ヘスチア・ジョーンズ、アーサー・ウィーズリーの七人は初見だ。
「構いませんよ。僕を疑う事は仕方の無い事です。だけど、僕はハリーを守る為なら命だって惜しみません。この事だけは信じて欲しい」
「信じるとも!」
 アーサー・ウィーズリーが息巻いて言った。
「君は単身でハリーを救いに行き、見事助けだした! これ以上ない証拠だ!」
 驚いた。よりにもよって、父上と反目している筈のアーサーが僕の擁護に回るとは思っていなかった。
 僕の反応に気付いたらしく、アーサーは気まずそうに咳払いをした。
「あー……、息子が言っていたんだ。ロンやフレッド、ジョージの事は知っているね? あの子達が家で頻りに君の事を話題に出すんだ。悪口なんて一つも出ない。恥ずかしながら、私は君の父上の事で君にまで疑念を抱いていた。その事で息子達に叱られてしまったよ。私はあの子達の人を見る目を信じている」
「……フレッド達が」
 僕は心から喜んだ。彼等は僕の理想通りの動きをしてくれている。
「俺達もお前は大丈夫だって言ったんだぜ? だけど、頑固者が多くてよ」
 ダリウスが茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべて言った。
 この男の言葉を額面通りに受け取ってはいけない。相手は闇祓い。しかも、彼の上司は僕を疑っている。
 恐らく、泳がせる意味合いが強い筈。逆に好都合だ。
「……さて、いきなりで悪いが君には一つ重大な選択をしてもらう事になる」
 闇祓い局局長補佐のガウェインが重苦しい口調で言った。
「君は御両親と敵対する事になっても、ハリーを守る為に戦えるかい?」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。