第五話「深淵を覗くもの」

「世の中物騒だねー」
 ベッドで『日刊預言者新聞』を読みながらルーナが呟いた。
 トップクラスの成績をキープし続けている私達に手を出してくる人間はかなり減ってきたけど、私とルーナの友情に変化はない。
 夏季休暇の間も互いの家に泊まり、一緒に楽しい思い出をたくさん作っている。
 ルーナの家は奇想天外な物で溢れていて飽きる暇が無かった。その点、私の家は至って普通。何の面白みもない。
 それが悔しくて、ロンドンのマグルが経営するお店やテーマパークにルーナを連れ込み笑顔を引き出すのに躍起になった。
 ルーナはマグルが作り出す娯楽をいたく気に入り、特にジャパンの玩具メーカーが発売した携帯型ゲーム機に夢中になった。
「どうしたの?」
 私はまだ今日の日刊預言者新聞に目を通していない。ルーナが「これこれ」と見せてくる記事の一面に視線を向けると、思わずギョッとした。
 そこには『闇の印現る!』の文字が夜空に浮かぶ髑髏の写真の上にデカデカと書いてある。
 闇の印といえば、十四年前に魔法界で猛威を振るった闇の魔法使いが好んで使った紋章だ。
「クィディッチ・ワールドカップの会場でって……、ドラコやハリーは大丈夫かしら?」
 二人は寮の友人達とワールドカップを観に行くと手紙に書いていた。
 特にハリーは十四年前の事で闇の魔法使い達から恨みを買っている。
 恐怖に慄きながら記事の隅から隅まで目を通して、彼の名前が無い事を確認し、安堵した。
 ハリーに何かあったら、必ず新聞に名前が載る筈。
「二人は当日会場に行けば良いVIP用のチケットなんでしょ?」
「けど、フライングして会場入りする人も多いらしいし……」
「あの二人に限って、それは無いと思うなー」
 ルーナの言う通り、ドラコとハリーが浮かれて大はしゃぎしている姿は想像出来ない。
「それもそうね。……っと、ママの声だわ」
 耳を澄ませると、扉の向こう……の廊下の奥の階段の下からママの声が聞こえる。
 どうやら、朝ごはんが出来たみたい。
「行きましょう、ルーナ」
「うん! ハーマイオニーのママの御飯は絶品だよね。羨ましいなー」
 ルーナは私のママにとても懐いている。その理由を彼女の家に行った時に知った。
 彼女の母親は彼女が幼い時に事故で亡くなったらしい。
「だからって、食べ過ぎないようにね」
「わかってるってー」
 初めてママの御飯を食べた時、嬉しそうに何度もおかわりをしてお腹を壊してしまったおバカさんが何か言ってる。
「ルーナ。今日もいっぱい遊びましょうね」
「うん!」
 彼女の屈託の無い笑顔につられて頬が緩む。
 その表情からは辛い境遇の事など欠片も連想出来ない。私はそんな顔が出来る彼女の強さに憧れを抱いている。
 私は根拠の無い言葉が嫌い。論理の成立しない会話は不愉快ですらある。融通のきかない性格だと、マグルの学校に通っていた頃、よく言われていた。
 そんな私にとって、夢想的な話題ばかり口にするルーナは本来対極の位置にいて苦手だった筈。
 だから、彼女と友情を結べた事は奇跡に等しい。
 面と向かって言葉にするのは恥ずかしいけど、私は彼女の事が大好きだ。

 朝食の後、私達はいつものように外に出た。
 今日は少し遠出をする予定。完璧なマグルの装いで出発する。
 始め、ルーナはマグルの格好に違和感を感じていたみたいだけど、今では完璧に着こなしている。元々、彼女は口を閉じてジッとしていればとても可愛らしい女の子だから、大抵の服がよく似合う。
 私も出っ歯が治れば少しはマシになるのにな……。
「こんにちは」
 ネガティブな方向に思考が走りそうななった時、突然声を掛けられた。
 驚いて振り返ると、そこには見た事のない女性が立っていた。
「……どうしました?」
 髪は金色だけど、東洋人風の顔立ち。
 だけど、観光客には見えない。
「あなた、ハーマイオニー・グレンジャーさん?」
「失礼ですが、あなたは?」
 名前を呼ばれた事で一気に警戒心が膨れ上がった。
 周囲には大勢の人が居るし、家も近い。早々おかしな事にはならないと思うけど、念の為にルーナと手をつなぐ。
 いざとなったら走って逃げるためだ。
「おっと、失礼。私はアヤ・ハネジマ。日本人です」
 日本人と聞いて、少しだけ安堵した。東洋人の中では比較的温厚な人の多い国だ。
「私に何か用が?」
「はい。あ、その前にこれを」
 アヤは私に一枚の名刺を差し出してきた。
「『アイリーン探偵事務所』……?」
 非情に胡散臭い。
「探偵ですか……」
「私はパートタイマーだけどね。本業は他にあるんだけど、貴女に話し掛けたのはコッチの用件」
 私が名刺を受け取ると、彼女は次に一枚の写真を取り出した。
「これって、貴女よね?」
 一瞬、言葉を失った。
 そこには体の半分を壁に埋め込んだ状態の私の姿があった。
 キングス・クロス駅の9と3/4番線ホームに入る瞬間を写されたものだ。
 頭の中が真っ白になった。魔法の事をマグルに知られる事は魔法使いの中でタブーとされている事の筆頭だ。
「し、知らないわ……」
「その反応は知ってるって白状しているようなものよ?」
 アヤはニッコリと微笑んだ。
「これ、どうやったの?」
 アヤの質問に私は「知らない」と言いながらルーナの手を取って背中を向けた。
「一人二人じゃないのよねー。毎年、時期が来るとフクロウだとかカエルだとかをカゴに入れた子供達がキングス・クロス駅に現れるのよ。ロンドン版都市伝説ってヤツで裏の世界だと有名なの。この写真も私が撮ったものじゃないよ? こういう情報を売り買いしている人間から買ったものなの」
 恐怖のあまり叫びだしそうになった。
 裏の世界? 知らない人間が私の写真を売り買いしている? あまりの嫌悪感に体が震えた。
「怖がらないで欲しいな。私は幾つか質問をしたいだけなんだよ。答えてくれたら大人しく消えるわ。二度と貴女の前には現れない」
「質問って……?」
「あなた、魔女?」
 あまりにも直球な質問に言葉が出なかった。
「……可愛い子。次、ハリー・ポッターって子の事を知ってる?」
 アヤは私が答える前にうんうんと頷き、次の質問を投げ掛けてきた。
 何も答えていないのに、まるで答えを得られたみたいに笑顔で……。
「あなた――――」
「ていやー!」
「イタッ!?」
 何が起きたのか直ぐには理解出来なかった。
 気付いた時、ルーナがアヤの脛を蹴り、その隙に私の手を取って走りだしていた。
「え、え?」
「ハーマイオニーは一々真面目過ぎるよ」
「ちょ、ちょっと、ルーナ!?」
「逃げるが勝ちー!」
 あっという間に痛みに呻くアヤの姿が見えなくなった。
「私達の折角のデートを台無しにするんだから、アイツは悪党! 相手にする必要なんてないよ、ハーマイオニー」
 ルーナはまた私の心を掴んで離さない『あの笑顔』を浮かべた。
「気を取り直して遊ぼう! 今日はどこに行くの?」
「……楽しいとこ!」

「……普通人の脛を何の躊躇も無く蹴るかなー」
 アヤ・ハネジマと名乗った女は髪の毛と顔の肌を剥ぎながら文句を宣った。
「ブーブー言うな。いきなり現れた怪しい女にあんな質問されたら誰だって怖いさ」
 マスクとカツラを取った女は話し掛けて来た男を睨みつける。
「怪しい言うな!」
「はいはい、おっかない顔は無しだぜ、セニョリータ」
「ロドリゲス!」
 ロドリゲスと呼ばれた黒人の男はニヤリと笑みを浮かべた。
「とりあえず、ずらかろうぜ。フェイロンが調べに行ってる例の大火災。動画が手に入ったって話だ。結構、ショッキングな映像らしいぜ」
「ふーん、楽しみだね」
 短くカットされた黒い髪を軽く整え、女はハーマイオニーとルーナの走り去った方角をジッと見つめた。
「これで六人目。全員、同じ反応。ビンゴっぽいね」
「けど、気をつけろよ、マヤ。お前さんが例の記憶喪失障害にでもなったら俺は立ち直れないぜ」
「わかってるよ。心配どうも」
 アヤではなく、マヤと呼ばれた女は懐から手帳を取り出した。付箋だらけの手帳の裏には『羽川摩耶』という名前が書いてある。
 それが彼女の本名。ジェイコブ・アンダーソンが所属する『レオ・マクレガー探偵事務所』の一員。
「でも、少しは冒険しなきゃ、真実は得られないよ」
「おい、お前まさか……」
「私の記憶が消えたら、後の事は頼むよ?」
「それだったら俺が……」
「だーめ。君は友達を探すんでしょ?」
「けど……」
「大丈夫。何とか戻ってくるよ」

 その数日後、彼女はごった返すキングス・クロス駅のホームにいた。
 九月一日の午前九時十三分。何度か子供やその親と思われる人々が壁の中に消えていく事を確認した後、彼女はゆっくりと壁に向かって歩き出した。
 そして……、

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