第五話「乱気流」

 妙な事になった。
「……えっと、元気だせよ。な?」
 何の因果か、俺は今、殴るつもりで会いに来た男を慰めている。
 ダドリーの言葉をそのまま伝えたらいきなり笑い泣きを初めて驚いた。
 どうやら、相当なショックを与えてしまったようだ。
「何も泣く事はないだろ……」
 参った。想像と違う。魔法使いはもっと凶悪で傲慢で俺達人間とは全く違う悪魔的な生物なんだと思っていた。
 ところがどっこい、ハリー・ポッターは俺以上に人間的だ。スメルティングズに通っている脳天気な奴等と同じ。
 普通に傷つくし、普通に涙を流す。どこにでもいる普通の少年だ。
「……ごめん。もう、大丈夫」
 しばらく背中を擦ってやっていると、ポッターはようやく顔を上げた。
 スッキリした顔をしている。泣いた事で気分が落ち着いたのだろう。
「とっくに吹っ切った筈なのに、中々思い通りにならないものだね」
「みたいだな」
 俺は立ち上がった。
「帰るよ」
「……帰る?」
「おう。なんか、思ってたのと違ったけど、答えは得られたし……」
 マリアを攫った妖精を特定する事は魔法使いにとっても難しい事らしい。
 仮に特定出来ても、生存している可能性は絶望的に低い。
 殴るべき相手も見つからず、虚しさだけが残った。
「それは駄目だよ、ジェイコブ。君を帰すわけにはいかない」
「ア?」
 気付けば背後にあの女が立っていた。そう言えば、名前を聞いていない。
 なんとなく、マリアに似ている気がする。顔も髪型も似ていない筈なのに、どうしてだろう……。
「君は知り過ぎた。魔法使いはマグルにその存在を気づかれてはいけないんだ。だから、このまま帰るのなら君の記憶を消さないといけない」
「あー……そっか、そうくるよな」
 あまりにも簡単に質問の答えを教えてくれるものだから、俺は失念していた。
 この世界の『真実』に触れた者は記憶を消される。
 知っていた筈なのに、俺は警戒を怠っていた。
「ジェイコブ。君には二つの道がある」
 危険な光を瞳に宿し、女は言った。
「一つは記憶を消され、このまま先も見通せない霧の中を歩き続ける道」
「……もう一つの道は?」
 ヤツは言った。
「僕の物になれ、ジェイコブ・アンダーソン」
 何言ってんだ、コイツ……。
「断る」
「そうしたら特別に見逃が――――は?」
「いや、なんでお前の物にならなきゃいけねーんだよ」
 どういう思考回路してるんだ?
「君は自分の立場を分かっているのかい?」
 冷酷な表情だ。俺の解答次第で記憶どころか命も消すって感じ。
 実際、こいつは俺を簡単に殺せるのだろう。記憶も弄り放題なのだろう。
「おう、分かってるさ」
「記憶を消されてもいいと?」
「駄目に決まってるだろ」
「……我侭だね、君」
 ひょっとして、魔法使い特有のジョークなのか?
「だけど、このまま帰るつもりなら記憶を消す。道は二つに一つだ」
「いいや、もう一つある」
「……逃すと思っているのかい?」
「誰が逃げるって言った?」
「え?」
 俺は不意打ち気味にヤツの唇を奪った。そのまま、口の中を掻き乱す。
「ちょっと!?」
 ポッターが目を見開いて止めようとするが、構う必要はない。
「おい! 何をしてるんだ!」
 怒りで顔を歪めるポッター。もしかして、こいつらはそういう関係だったのかもしれないな。
 だけど、俺だって記憶を消されるわけにはいかない。
「離れろ! さもないと――――」
 ポッターは杖を取り出した。魔法使いに杖……、なるほど。
 俺はヤツの腕を蹴りあげた。
 宙に浮いた杖を捕まえると、ポッターは狼狽した。実に分かり易い。どうやら、こいつが無ければ魔法は使えないみたいだ。
 そのままヤツの足を引っ掛けて転ばせ、その上に座る。もがいても、上に人間二人を乗せたうつ伏せ状態ではどうにもならない。
 さて、唇は十分に堪能した。俺は片手で女の服を弄った。案の定、杖が入っている。それを握ると――――、ん?
「や、やめろ!」
 放心状態だった女の意識がいきなり戻った。
 杖は確かにあった。だが、他にもおかしな手触りが……、あ。
「お前、男かよ」
「……そ、そうだ。だから、離せ」
「いや、離したら記憶消されちまうんだろ?」
 ある意味で好都合かもしれない。
 俺は手に力を込めた。
「な、やめっ」
「とりあえず、名前を教えろよ。じゃねーと、潰してマジで女にしちまうぜ?」
 必死になって抜け出そうともがくが、生憎ともやし二人に押し負ける程やわな鍛え方はしていない。
 とりあえず、反抗的な態度を改めさせる為に更に力を加えておく。
 ただでさえ青褪めて見える顔が更に白くなっていく。
「や、やめろ……」
「やめて欲しかったら、名前をいいな」
 唇を噛み締め、此方を睨んでくる。さっきよりも一層扇情的だ。
 まあ、本人は威嚇しているつもりなんだろうけど、急所掴まれた時点でどんなにかっこつけようとしても無意味だ。
「いいのか? 多分、メチャクチャいてーぞ?」
 可愛い子ちゃんは何回か痛みを与えてやると、ようやく名前を教えてくれた。
「ドラコか、随分と大層な名前じゃねーの」
 俺はドラコの髪を撫でながら、その顔の作りを観察した。
 間近で見ても女にしか見えない。
「僕の物になれだ? 逆だぜ。お前が俺の物になりな」
「なっ!?」
 俺はもう一度手に力を込めた。
「ひぐっ」
「その顔なら別に男のままでも一向に構わねーけど、お前の態度次第だな」
 笑い掛けると、尻の下でポッターが暴れ始めた。ドラコも必死に抵抗しようとする。
「ふ、ふざけるな! ドラコを離せ!」
「いや、ふざけてねーよ。正当防衛って奴だ」
 俺はもう一度ドラコの唇を塞いだ。一向に魔法で反撃される気配がない。
 やっぱり、魔法使いには杖が必要らしい。俺は二人の杖を遠くに投げた。
「あっ!」
 ポッターが声をあげる。
 こいつら本当に分り易いな。
「なあ、ドラコ。俺は別にお前と喧嘩がしたいわけじゃねーんだよ」
「ど、どの口が……」
 唇を開放すると、ドラコはわなわなと体を震わせた。怒りと羞恥で頬が赤い。
「お前が悪いんだぜ? 言い方ってものがあるだろ。俺にはお前達に恩義がある。色々教えてくれた恩義が」
 ああいう言い方をされたら抵抗しないわけにはいかない。
「友達になれって言えば良かったんだ。それなら、俺は快く了承したし、お前の為に何でもしてやる気になった」
「何を言って……」
 不思議そうな顔をするドラコ。
「お前が俺の事を欲しがる理由は何かをさせたいからだろ? なら、脅迫なんざ最後にとっとくべきだぜ。一端、お前の言葉に従っても、後で絶対反発する」
 どうやら図星のようだ。こういう行動の前に思考を置くタイプの人間はペースを乱してやれば簡単にボロを出す。
 人生経験が足りてないぜ、ドラコ。
「もう一度、言葉を改めな、ドラコ。そうしたら、俺は快く『イエス』と応えるぜ」
「……この状態で言えって?」
 ジト目で睨んでくる。
「おう、言え」
「……僕と友達になれ」
「断る」
 愕然とした表情を浮かべるドラコ。こいつ、面白いな。
「お、おい、ジェイコブ! 話が違うぞ!」
 ハリーが喚く。酷い誤解だ。
「俺は言葉を改めろって言ったんだぜ? 友達相手に命令形はないだろ。『卑しい僕とどうかお友達になって下さいませ、偉大なるジェイコブ様』。そのくらいへりくだるべきだ」
「それもなんか違うだろ!」
「オーケー。妥協してやる。『僕と友達になってください』。それでいいぜ。プリーズを忘れるな」
 ドラコは眉をピクピクさせながら深呼吸をした。
「……ぼ、僕と友達になってください」
「イエス。オーケーだ、ドラコ」
 解放してやると、ドラコはツカツカと杖を拾いに行った。
「これだけの事をして、まさか無事に帰れるとは思ってないよね?」
「思ってるさ。お前は邪悪だが、嘘は吐かない。友達に危害は加えないだろ?」
「……僕は思いっきり危害を加えられたんだが?」
「それは友達になる前の話だからノーカウントだ。それに脅迫したのはお前だぜ? 逆にあの程度で済んで御の字だろ」
 ククと笑いながら俺はドラコに言った。
「一つ、お前にアドバイスだ。相手を見下して行動するのはやめておけ。死角が増える。いつか手痛いしっぺ返しを受けるぞ」
「もう受けたよ……」
 イライラした表情を浮かべるドラコ。
「それで、俺に何をさせたかったんだ?」
 ドラコは押し黙った。実に疑わしげな表情を浮かべている。
「おいおい、信用しろよ。期待に応えてみせるさ。少なくとも、お前を裏切ったりしない」
「どうだか」
「あの程度で警戒し過ぎだろ。どんだけ初なんだ?」
「初とか関係ないだろ」
「もう一つアドバイス。喧嘩で相手の急所を狙うのは常套手段だ。実践的な武術には大抵そこを狙う技がある。どんなに頑丈なヤツでも、痛みに強いヤツでも、ここを狙われると耐えられないからな」
「君は武術を?」
「ボクシングと……他に幾つかな。ああ、そうそう。もう一つアドバイスだ。ハリーも聞いとけよ? 杖を堂々と相手に向けるな。蹴り飛ばしてくれって言ってるようなもんだぜ」
「……ああ、肝に命じておくよクソ野郎」
 どうやら、そうとう怒らせてしまったようだ。
「おい、頼むから信用してくれよ。しっかり、役に立ってみせるからよ。その代わり、マリア探しを手伝ってくれ! な!」
「……マリアにそんなに会いたい?」
「ああ、会いたいに決まってる。会って、返事を聞かねーと」
「……そうか。なら、馬車馬のごとく働く事だな」
「任せろ」
「いいだろう。なら、お前は――――」
 その時だった。いきなり、部屋の扉が開いた。
 何事かと驚くハリーの下に男が飛び掛かる。
「危ねぇ、ハリー!」
 咄嗟に回し蹴りを放った。カウンター気味に直撃した相手の男は悶絶しながら地面に蹲る。
「シ、シリウス!?」
「うわー……、キレイに決まったな……」
「あれ? 俺、やらかした?」
 その後からゾロゾロと怪しい団体が入って来る。
「ここに居たか、ハリー! それに、ドラコ!」
 一際ボロい服を着た男が笑顔を浮かべた。
「ああ、無事で良かった!」
「ル、ルーピン先生もよくぞご無事で……」
「無事……と言っていいかわからないが……」
 苦々しい表情を浮かべ、ルーピン先生とやらは口を濁した。
「とりあえず、現状を伝えよう。……既に知っているかもしれないが、ヴォルデモートが蘇った。それだけじゃない。落ち着いて聞きなさい……。実はダンブルドアが――――」
 俺はそっと窓辺に近づき、窓の鍵を開けた。
「我々はこれよりここを拠点として『不死鳥の騎士団』を再結成するつもりだ」
 盛り上がってるところで悪いとは思うが、さすがにこの状況を呑気に傍観していたらヤバい事は分かる。
 丁度、一団の一人が俺に気付いた。
「おや、君は?」
 やたら爽やかな伊達男が俺の服装を見て訝しむ。
「ハリー。君の友人かい?」
「あー、ガウェイン。彼は……」
 頃合いだな。
「おい、ドラコ! それに、ハリー! 話の続きは今度にしよう!」
 俺はドラコに向かってポケットをポンポン叩く仕草をして見せた後、窓を全開にした。
「お、おい、君!」
「あばよ!」
 俺は窓から身を投げた。魔法使い共が駆け寄って来るのが見え、その直後、地面に向かって急降下した。
 このままなら死ぬ。だが、もちろん死ぬつもりなんてない。
 窓の外にリズが居る事は確認済みだ。恐らく、俺を追い掛けて来たんだろう。
 飛行機事故の件で胸騒ぎを覚えて、今日ここで張り込みをしていたロドリゲス達の事が心配になり、居ても立っても居られなくて飛び出しちまったからな。
「リズ! 全速力で離脱だ!」
 俺が落ちながら叫ぶと、リズは悲鳴のような声を上げた後、俺を見事にキャッチして、人一人を抱えているとは思えないような圧倒的早さでグリモールド・プレイスを後にした。

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