第七話「心」

 十一月に入り、いよいよ寒さが厳しくなってきた。
 校内はクィディッチの話題で盛り上がっている。
 スリザリン寮の談話室も御多分に洩れずといった様子。
「スリザリンチームは勝てるかな?」
 さっきまで『クィディッチの今昔』を真剣に読んでいたハリーが不意に顔を上げて言った。
 必要の部屋からコッソリと持ちだした闇の魔術の本から顔を上げ、僕は「もちろん」と答えた。
 ハッキリ言って、他の寮のチームは相手にならない。
 原作通り、ハリーがシーカーに選ばれていれば話は別だが……。
「スリザリンは過去六年間で常に優勝杯を手にしているんだ」
 スリザリンの生徒はほぼ全員が旧き血を受け継ぐ由緒正しき魔法使いだ。
 当然、幼い頃から英才教育を受けている。
 魔法界で一番人気のスポーツであるクィディッチの訓練も重要な教育課程の一つなのだ。
 ハリーのように卓越した才能を持つ者は一握りだろうが、長い時間を掛けて習熟した技術は確実に結果に結びついている。
 加えて、ハッフルパフとレイブンクローの生徒は運動を苦手とする生徒が多い。
 唯一、スリザリンと肩を並べる可能性のあるグリフィンドールも去年までシーカーを勤めていた生徒が引退した為、キャプテンのオリバー・ウッドが今、新メンバー探しに躍起になっていると聞く。
「クィディッチの勝敗を左右する一番重要なポジションがシーカーなんだ。そのシーカーがこの時期に決まっていない時点で今年のグリフィンドールは敵じゃない」
「なら、楽勝って事?」
「……よっぽどの事が無ければね」
「よっぽどの事って言うと?」
「四つの寮にはそれぞれ長所と短所があるんだ」
 グリフィンドールは勇気を尊ぶ寮。
 ダンブルドアや原作のハリーをはじめとした英雄と呼ばれるような人物を多数輩出している。
 反面、その性質故に無鉄砲な性格の人間が多い。
「グリフィンドールはチームワークや個々の能力には目を瞠るものもあるけど、知略を練るのが不得手」
 レイブンクローは叡智を尊ぶ寮。
 貪欲に知識を求め、その知識を活かす類稀な知性を持つ者達。
 反面、その性質故に狭量であったり、自己顕示欲が高かったりと他者を顧みようとしない生徒が多い。
「レイブンクローの練る戦術は侮り難いけど、彼らは仲間意識が薄いから連携に粗があって、立案した通りに試合を運ぶ事が殆ど出来ていない」
「レイブンクローの生徒って仲悪いの?」
 ハーマイオニーの顔を思い浮かべているのだろう。
 ハリーは心配そうな顔をして問いかけてきた。
「他の寮と比べたらね」
 グリフィンドールやハッフルパフはもちろん、我らがスリザリンも寮生同士の仲間意識は極めて高い。
 家同士の付き合いがあったり、同じ思想を尊ぶなど、むしろ他寮よりも深い繋がりをもっている。
 無論、そこに打算が幾分か含まれている事を否定は出来ないけどね。
 対して、レイブンクローは同寮の生徒に対しても仲間意識が非常に薄い。
 原作でもルーナ・ラブグッドに対して陰湿な虐めが横行していて、それを止める者もいなかった。
 嘆きのマートルも寮生からの虐めから逃げるためにトイレに篭っていた。
「あの寮では虐めが常態化していると聞くよ」
「ハーマイオニー……」
「彼女なら大丈夫だよ。賢明で強い女性だからね」
 安心させるように微笑みかけると、ハリーは「そうだよね」と素直に頷いた。
 この頃、ハリーは僕の言葉を疑わなくなってきた。とても良い傾向だ。
 ハリーの疑問や不安に対して、完璧な答えを与え続けた成果が出ている。
 僕の言葉は全て真実なのだとハリーは確信している。
 だから、気づかない。
 レイブンクローにはハーマイオニーの他にも賢明な生徒がたくさんいる。
 なのに、どうして虐めが常態化しているのか疑問に思わなかった。
 僕が大丈夫だと言ったから。
「ハーマイオニーなら大丈夫だよね」
 何一つ疑いを持っていない無垢な笑顔が実に愛おしい。
 レイブンクローで虐めが常態化している原因の一つは止める者がいない事だ。
 一部の賢明な生徒は賢明であるが故に下手に正義感を振り翳せば自分が孤立してしまう可能性がある事に気付き、虐めを見ても関わらないようにする生徒が殆どなのだ。
 だけど、ハーマイオニーは違う。
 彼女は賢明なだけではない。情に厚く、正義感が強く、そして、グリフィンドールに選ばれる程の勇気がある。
 だから、虐めを見て見ぬふりなど出来ない。彼女は既に寮の中で孤立している。
 彼女の周りに人の輪は無く、いつも俯いている。
「ああ、彼女なら大丈夫さ」
 ハリーは入学してからハーマイオニーと殆ど接触していない。
 そう、僕が仕向けてきたから彼女の異常に気付けないのも無理は無い。
「さて、話を戻すよ」
「うん」
「スリザリンの長所は何と言っても文武両道である点だね。グリフィンドールのように武に特化しているわけでも、レイブンクローのように知に特化しているわけでもない。そこが短所と言えば短所なんだけど、足りない武を知で補い、足りない知を武で補う事が出来る。だからこそ、スリザリンは連続優勝の快挙を成し遂げているんだ」
 ハリーは感心したように溜息をこぼした。同時にそんな寮の一員である事を誇らしく感じている様子が表情から見て取れる。
「……もし、よっぽどの事が起きるとしたら、それはハッフルパフだと思う」
「ハッフルパフ……?」
 ハッフルパフは落ちこぼれが集まると言われている。
 ハリーもその噂を聞いているのだろう。少し怪訝そうな表情を浮かべた。
 だが、それは寮が重んじる特性故に卓越した者が選ばれにくい事に起因する。
 卓越した人間には多かれ少なかれ癖があるもの。
 大半がスリザリンに選ばれるような向上心や功名心を持つか、レイブンクローに選ばれるような探究心や好奇心を持つか、グリフィンドールに選ばれるような勇気や冒険心を持っている。
 しかし、誠実さを尊ぶハッフルパフは三つの寮の中で最も清廉かつ高潔な人物が集まる。現に闇の魔法使いの出身者が最も少ない事で有名だ。
 その中には時折傑出した才能を持つ者が現れる。
「ハッフルパフを単なる落ちこぼれの寄せ集めと思うのは間違いだよ。派手さは無くても、コツコツと地道な努力を重ねる事が出来る者達なんだ。その中には稀に才気溢れる人間が混ざり込む。努力する天才。三年生のセドリック・ディゴリーが良い例だよ。ああいう癖の無い、人として完成している傑物が現れるからハッフルパフは侮れない」
 単なる天才なら他の寮にも一人か二人はいる。だけど、凡人が天才に挑むような努力が出来る天才は非常に稀で、そういった人物が現れやすいのがハッフルパフというわけだ。
「とは言え、セドリック・ティゴリーに注意を払っておけば、今年のハッフルパフは全体的に質が悪い。スーパーマンが一人いるだけで勝てる程、クィディッチは甘くないよ」
 そのセドリックも今年はまだ三年生だ。一年生の時点でエース級の実力を発揮した原作のハリーの例もあるから一概には言えないがそこまで脅威にはならないだろう。
 原作のハリーの活躍だって、他のグリフィンドールの仲間達の実力があってこそなのだから。
 総合力も高く、チームワークも抜群のスリザリンに死角はない。
「今年も勝つのは我らがスリザリンさ。それより、勝って当然の今年より、来年に目を向けようよ」
「来年……?」
 首を傾げるハリーに僕はとっておきの情報を披露した。
「テレンスが今年でシーカーを引退するんだよ。だから、来年シーカーの枠が空くんだ」
「それって!」
 ハリーの顔が分かりやすく輝いた。
 瞳には期待の色が満ちている。
「僕達にもチャンスがあるっていう事。一緒に選抜試験を受けてみない?」
 ハリーの瞳に迷いの色は無い。
 初めての飛行訓練での活躍を僕がべた褒めし続けた成果だ。
 事実として、初心者には不可能に近い操縦テクニックを披露したハリーに丹念に囁き続けた。
 君は特別だ。
 素晴らしい才能を持っている。
 卓越している。
 そう、彼の飛行の才能を褒め称えた。
「君なら間違いなくいい線いくと思うんだ」
 ハリーの心を完全に得るために僕は様々な手を使っている。
 これもその一つだ。
 ハリーは魔法界に入った時点で既に有名人だった。闇の帝王を滅ぼした少年として、誰も彼もが彼を賞賛した。
 名声を求めない者などいない。
 如何に清貧を尊ぶ宗教家でも、誰かに求められたい、褒められたい、賛同されたいという思いを捨て切る事は出来ない。
 特にハリーは魔法界に入るまで、マグル達によって虐げられてきた。もっとも価値の低い者としての立場を押し付けられ続けてきた。
 そんな彼にとって、英雄としての名声は恥ずかしかったり、戸惑ったりするだけのものでは無かった筈だ。
 だが、原作で彼を批判する立場にあったスリザリンの生徒達までもが賛美する側に回った事で一種のジレンマが生まれていた。
 批判的意見の無い無垢で不変な賞賛は信仰と言い換えてもいい。
 ハリー個人では無く、魔王を滅ぼした英雄という存在に対しての信仰。
 それはハリーの個を否定しているようなものだ。
 果てにあるものは自己の否定。一度徹底的に無価値な存在だと教え込まれたハリーだからこそ至ってしまう末路。
 そのジレンマを僕は解消させないように飛行訓練の日まで丹念に育て上げた。
 茶会や勉強会の度に僕の息の掛かったスリザリンの生徒達に英雄としてのハリーを事ある毎に褒め称えさせ、彼個人への批判的な意見を彼の耳に届く前に摘み取り続けた。
「だって、君には才能がある。箒乗りとしての抜群の才能が!」
 実に回りくどくて面倒だった。だけど、ハリーの心を得る為には必要な行程だ。
 自分の事を無価値だと感じ始めていた時に自分の価値を見出してくれた人。
 ハリーの中で僕の存在は確実に大きなものになっている筈だ。
「……僕、受けてみる」
「それがいいよ。そうだ! クリスマスに僕の家へおいでよ! 屋敷の敷地内でならクィディッチの練習が出来るんだ!」
「ドラコの家に?」
「君さえ良ければ……」
 僕は懇願するように彼の瞳を見つめた。
 ハリーの迷いは一瞬だった。
「……僕、ドラコの家に行ってみたい」
 ネビルやハーマイオニーとバッタリ出会わないように注意を払い、他のスリザリン生に親しくなっても一定以上ハリーと距離を詰めさせないように指示を出した。
 僕が傍に居ない間、ハリーは心の何処かに孤独感を抱くように仕向けた。
 そして、僕が傍にいる時は全身全霊を掛けて彼の孤独を癒してあげている。
 その成果が如実に現れている。ハリーは僕がいないクリスマスを恐れている。孤独になりたくないと願っている。
 だから、遠慮するべきかどうか迷わなかった。
 だけど、まだ足りない。もっと時間を掛けてハリーが僕無しでは生きていけないくらい依存させなければいけない。
 僕の隣が最も安心出来る場所なのだと彼の心の奥底に深く刻み込まなければいけない。
 まだまだ……、足りない。

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