第二話「欲望」

 瞬く間に時間が過ぎていく。僕がドラコ・マルフォイになって数年が経った。
 その間に父上が開いた茶会の席で僕はビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルに出会った。
 大柄で筋肉質な体を持つ二人は親に言い含められているらしく、僕の命令に絶対服従。僕の行く所にどこまでもついて来てくれて、一緒に食事をしたり、魔法の練習をしたりした。
 二人と交流を繰り返す度に“友達”を得られた実感に酔い痴れる事が出来て温かい幸福感に包まれる。
 魔法学校への入学を間近に控えた日、僕はこっそりと二人をドビーの躾の時間に招いた。二人は大喜びでドビーの躾を手伝ってくれた。心地よい悲鳴に笑みが溢れる。
 愛らしいペットや親しい友人と過ごす時間。前なら考えられなかった幸福な時間。ああ、楽しい。
 
「時よ止まれ お前は美しい」

 ドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作『ファウスト』の中で主人公のファウストが呟いた台詞。
 ああ、この瞬間が永遠になってしまえばいいのに……。

第二話「欲望」

 更に時が進み、魔法学校入学を直前に控えた日の事。
 僕は両親に連れられてロンドンのマグルから秘された場所にあるダイアゴン横丁を訪れた。
 以前から頻繁に出入りしていて場所に対する感動こそ薄いものの、これから出会うであろう人との会合に対して胸を高鳴らせている。
 ある程度買い物を済ませた後、制服を買うためにマダム・マルキンの洋裁店を訪れ、採寸の間に他の買い物を済ませてくると言う両親を見送った後、僕はこれから来る筈の人物にワクワクしていた。
 この場所こそ、物語の主人公であるハリー・ポッターとドラコ・マルフォイが初遭遇する場所なのだ。
 藤色の服を来た恰幅の良いマダムによる採寸を受けながら一秒一秒を待ち遠しく思いながら待ち続ける。そして……、

「いらっしゃいませ」

 マダムの手が止まった。痩せたメガネの少年が大柄な男と共に入ってくる。
 おっかなびっくりという感じで店内に入ってくる彼をマダムは台の上に乗せて採寸し始める。
 少年は安全ピンを手際良く止めていくマダムの手捌きに感心しているようだ。
 
「こんにちは」

 声を掛けると、男の子は目を丸くした。

「君もホグワーツ?」

 分かり切っている事を聞く。
 会話の切っ掛けは他愛ない世間話から入るものだと本に書いてあったし、クラップやゴイルで実践して来ている。

「う、うん。そうみたい……」
「僕はドラコ。ドラコ・マルフォイだよ。よろしくね」
「ぼ、僕はハリー。ハリー・ポッター」

 うん、知ってるよ。物語の主人公。憧れていた存在。会えて涙が出そうになるくらい嬉しい。

「ハリー。ああ、君なんだね。会えて嬉しいよ」
「えっと……」

 困った顔を浮かべるハリー。自分が有名人である事実をまだ受け止めきれずにいるみたいだ。

「あんまり魔法界に馴染めてないみたいだね」
「……う、うん。僕はその……、つい最近まで自分が魔法使いだって事を知らなくて……」
「そうなんだ。じゃあ、魔法界の先輩として、色々と教えてあげようか?」
「え?」

 戸惑うハリーに僕は微笑みかけた。相手を安心させる微笑み方があると本で読み、鏡の前で難度も練習した。
 笑顔というものには種類があるのだ。
 意地悪な笑顔。冷たい笑顔。恐ろしい笑顔。安心する笑顔。
 僕の肌は人より色素が薄い。だから、意図してやらないと冷たい笑顔になってしまう。だから、物にするまで随分と苦労したものだ。

「ホグワーツの事でも、魔法界の事でも、何でも聞いて欲しい。君の力になりたいんだよ」
「えっと……、じゃあ――――」

 初めは恐る恐るという感じだったけど、直に僕に慣れてくれたみたいで次から次へと質問が飛んで来た。その全てに可能な限り丁寧に答えを返していく。
 それは生まれたばかりの雛に自分が親鳥なのだと誤認させる刷り込みのようなもの。
 未知の世界に足を踏み入れる不安と無知である事への恐怖を和らげてあげる事で彼に“安心”を与え、僕に“親しみ”を持ってもらう。

「寮は四つあるんだ。スリザリンは上昇意欲の高い生徒を求め、ハッフルパフは誠実な人材を望み、レイブンクローは知識に対する貪欲さを尊ぶ」
「残る一つは?」

 言葉に淀みが無くなり、ハリーは僕に対して信頼感を寄せ始めている。いい感触だ。

「グリフィンドール。この寮は猪突猛進型の生徒が多いね」

 物語でハリーはグリフィンドールに入った。だけど、彼にはスリザリンに入るという選択肢もあった。彼の選択の裏にはハグリッドや彼の友人となるロンの助言が潜んでいる。彼らはグリフィンドールを尊び、スリザリンを蔑んでいた。
 恐らくスリザリンに入るだろう僕がハリーと親しくなるには同じスリザリンを選んでもらった方が都合が良い。例え、グリフィンドールに選ばれても、ここでスリザリンに対する見方を変えておけば寮の垣根を超えた友情を育む事も出来るかもしれない。
 物語のようにスリザリン自体を毛嫌いされては難易度が跳ね上がってしまうから、まだ何も知らない真っ白な状態の今しかチャンスは無い。

「所謂、体育会系の寮なんだ。勉学に励む者を蔑む傾向にある。暴力的な生徒も多いと聞くから、僕は遠慮したいかな」
「ダドリーみたいな奴が多いのか……」
「ダドリー?」
「あ、僕の従兄弟なんだ。凄く暴力的な奴で――――」

 上手くグリフィンドールの基質と彼が憎む従兄弟のダドリーを結びつけてくれたみたいだ。
 これは幸先が良い。一度悪印象を持つと、後から覆すのは凄く難しいのだと本に書いてあった。

「君はどの寮に入りたいと思っているの?」
「僕は……、出来ればスリザリンかレイブンクローがいいな。両方共叡智を尊ぶ寮だからね。勉強が好きなんだよ。それにスリザリンはクィディッチでも好成績を残し続けている」
「クィディッチ……?」

 僕自身、何が面白いのかサッパリ分からない魔法界の競技だけど、彼が夢中になる事を知っている手前、出来る限り褒めちぎっておく。

「そうだ。いいものがあるよ」

 先に採寸が終わった僕はこうなる事を見越して用意しておいた一冊の本をカバンから取り出した。

「『クィディッチの今昔』だよ。このスポーツは魔法界で常に大人気だから知っていれば大抵の人と話題を共有出来る。良ければプレゼントするよ。友情の証だ」
「い、いいの!?」

 驚くハリーに「もちろんさ」と答えておく。
 彼にとって、ハグリッドからのケーキを除けば初めての贈り物である筈だ。この後、ハグリッドからヘドウィグを贈られる筈だけど、その前に渡す事で物の質をカバーする事が出来る。
 初めての贈り物をくれた相手として認識してもらえれば信頼を得やすい筈だ。特に純真無垢な今のハリーに対してなら。

「僕もスリザリンに入れないかな……」
「大丈夫さ。スリザリンは自らを高めたいと望む者に門を開く。今の自分から脱却したいとか、もっと凄い存在になりたいという気持ちがあれば、きっと選んでもらえるよ」

 丁度ハグリッドが顔を出し、ハリーの採寸も終わった。

「こんにちは」
「おう、こんにちは。お前さんも今年からホグワーツか?」
「はい。あなたはハグリッドですね? ホグワーツの番人とお聞きしています。ダンブルドアから絶大な信頼を得ていると……、お会い出来て光栄です」

 握手を求めると、ハグリッドは顔を真っ赤に染めながら両手で僕の手を包み込んできた。やや乱暴な握手だったけど、彼は実に嬉しそう。彼はマルフォイ家の人間を軽蔑しているから、名乗る前に出来るだけ好印象を与えておきたかった。どうやら、上手くいったみたい。

「では、両親が待っているので僕はこれで……っと、そうだ」

 僕はふと思いついて言った。

「ハリーはホグワーツへ行く方法を知っている?」

 首を横に振るハリーに僕は9と3/4番線について教えた上で一つの提案を持ちかけた。

「じゃあ、時間を決めて集合しようよ。僕がホームまで連れて行ってあげる」
「いいの?」
「もちろんだよ。友達でしょ?」
「う、うん!」

 これでハリーがロンと接触する可能性をかなり削げたと思う。彼はマルフォイ家を毛嫌いしているから、どう頑張っても仲良くなれないと思うから早々に諦める事にしている。代わりにハリーとも仲良くなれないように今のうちから画策しておこう。
 彼の存在はスリザリンであり、マルフォイ家である僕にとって友好関係を築く大きな壁だ。出来るだけ遠ざけておく必要がある。
 
 ハリーと別れた後、彼がハグリッドと交わす会話を想像してみる。
 十中八九、マルフォイ家である事を懸念され、スリザリンを勧められた事に異論を挟むだろう。
 だから、後は今の短い時間でどれだけ彼らの好感度を上げられたかにかかっている。
 ああ、不安だ。不安を抱えたままだと寝不足になってしまう。
 男女双方から好かれる顔立ちというものがある。際立ったハンサム顔やいかつい顔は誰かしらに反感を持たれるから、出来るだけ線の細い女性よりの顔立ちが好ましい。
 幸い、ドラコの顔は元々際立つほど整っている。後は肌の手入れや髪と眉の整え方次第。髪もそれとなく伸ばしている。
 この状態を保つために寝不足はいけない。だから――――、

「今日はいつも以上に可愛がってあげるよ、ドビー」
「……アリガトウゴザイマス、ゴシュジンサマ」

 歯茎に針を差し込み、反応を楽しみながら僕はホグワーツでの生活を思った。
 あそこには『必要の部屋』というものがある。
 あそこになら、楽しい玩具が揃っている部屋も作れる筈。
 そこにドビーを招こう。
 もし、叶うなら誰か……、

 

「人間を躾けてみたいな」

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