最終話「真相」

 トムは懐かしむように本のページを開いた。
「その本は……?」
 ダリウスがタイトルを見つめながら眉を顰める。
「ハリー・ポッターと賢者の石。今より、八十年程後に出版されるハリー・ポッターの伝記だよ」
「は、八十年後……?」
 間の抜けた表情を浮かべるダリウスにトムは微笑んだ。
「歴史上の偉人達の例に漏れず、英雄として名を馳せたハリー・ポッターの逸話は脚色され、マグルの世界にも伝わった。全てを理解して貰うためには、この伝記の内容から語り始めなければならない」
 作者の名前はアルバス・ポッター。彼は父親の偉業を他人の好き勝手な妄想で脚色される事を恐れ、筆を取った。
 幼き日、父に語り聞かせられた思い出話を全七巻の小説形式でしたためた。
 時が流れ、当時の出来事を実際に体験した者がいなくなった時代。伝説の英雄の真実に魔法界は沸き立ち、その本は色々な人の手に渡った。
 特に魔法学校を有する国での普及率は高く、アメリカ、中国、日本でもベストセラーとなった。
「第三巻ではシリウス・ブラックが脱獄し、彼の真実をハリー・ポッターが知るまでの流れが描かれている」
 トムの口から語られる物語の経緯は聞いている者達が知っているものとは違っていた。
 第一巻ではハリー・ポッターはグリフィンドールに選ばれ、そこでハーマイオニー・グレンジャーやロン・ウィーズリーと出会い、賢者の石を守る為に戦う。
 スリザリンに選ばれた事、ドラコと友情を結んだ事、なにもかもが正反対。
 困惑の色を深めていく聴衆に構わず、トムは第七巻までのあらすじを簡潔に語り終えた。
「――――私がこの本に出会った日は窓辺に桜が咲いていた」
「出会った日って、これは八十年後に出版されるんだろ? っていうか、なんでそんな物をお前が持ってるんだ?」
 ダリウスの言葉にトムはクスリと微笑んだ。
「簡単な話だよ、ダリウス。私は一度生まれ変わったのだ。ハリー・ポッターとの決闘に破れ、死んだ後に八十年後の未来へ」
「……は?」
 ダリウスは耳を疑った。突拍子の無い事だらけになってしまった世界。何を聞いても驚かないつもりだった。それでも尚、トムの発言には度肝を抜かれた。
「う、生まれ変わっただと!?」
「そうだよ。日本を知っているかい? そこで第二の生を受けた」
 言っている言葉の意味は理解出来る。
 だけど、ダリウスには……いや、他の誰にも彼の言葉を理解する事は出来なかった。
「生まれ変わるなんて……、そんな事あるわけが――――」
「あるさ。それを『僕』はこの場所で試して確認した」
 輪廻転生のシステムは確かに存在する。肉体が滅びた時、精神と霊魂は解き放たれ、精神は集合的無意識に溶け消え、霊魂は次なる魂を求めて彷徨う。
「色々と実験を繰り返して得た結論さ。僕は常に死を恐れていた。だから、死を回避する方法を求め続けていた。分霊箱もその一つ。だけど、どんなに嘆いても『終わり』は必ずやって来る。だから、死後も自我を継続させる方法を探した。スリザリンのロケット・ペンダントを隠していた洞窟に潜ませていた亡者も研究の一環で人為的に生み出したものだ」
「人為的に亡者を……?」
「やり方は単純さ。闇の魔術の分野だから、君達には馴染みが無いかもしれないけどね。死者の肉体に霊魂を降ろせば亡者となり、霊魂と精神の分離を防げばゴーストになる。だが、ゴーストを肉体に降ろしても上手くいかない。肉体には脳に記憶された記録が残っている為に、その記録が精神と反発し合う為だ。だが、賢者の石や蘇生魔術による復活にも言える事だけど、新しい肉体を使えば問題無く蘇生出来るんだよ」
「つまり……?」
 ハーマイオニーは恐れ慄く表情を浮かべながら問う。
「赤子に転生するのなら、何も問題無いという事だよ。つまり、精神と霊魂を繋いだまま、輪廻の輪に乗ってしまえばいい。実に簡単な話だ」
 人体実験も行った。トムの復活を助けたウィリアム・ベルを含めた、数人の赤ん坊に死亡した死喰い人の魂を植え付けた。
 上々とはいかない成果だった。なにしろ、ウィリアムを除く全ての赤ん坊が流産してしまい、ウィリアム自身、死喰い人としての記憶によって精神と脳の両方が壊れてしまった。
 ウィリアムの部分的な成功を糧にヴォルデモートは術の改良を行い、再び実験を行った。だが、肝心の成果を確認する前にハリー・ポッターの手で再殺されてしまった。
 分霊箱も悉く破壊され、輪廻の輪に引き摺り込まれたヴォルデモートは辛うじて精神との繋がりを保ち、転生の時を待った。

 八十年後の未来。日本の小さな都市で無事、生まれ変わる事には成功した。だが、問題も起きた。赤子の脳ではヴォルデモート卿という一時代を築いた魔王の精神を受け止める事が出来なかったのだ。おまけに強大な魔力が肉体に負荷を掛けた。技術の進歩した未来の医師が軒並み匙を投げる原因不明の病の正体がソレだ。
 精神の記憶も殆ど脳に出力されず、辛うじてハリー・ポッターという存在への興味だけを残す事が出来た程度。
「――――一人で立ち上がる事さえ出来ず、僕は日本人の少年として、短い生涯を終えた」
 それで終わりの筈だった。だが、三度目の死を迎えた時、ヴォルデモート卿の魂に宿る魔力は極限まで高まっていた。
 常人が一度使えば根こそぎ魔力を奪われる死の呪文を何度でも使う事が出来る程強大な魔力を持つ魔王の極大の魔力が更に増幅されていた。
 その魔力が死の直前、哀れな少年の願いに呼応し、時間を遡った。
 嘗て、ヴォルデモート卿だった少年の魂は過去の己の魂と混ざり合った。
「ハリー・ポッターへの執着が彼と確実に接触出来る方法を求めたのだろう。その答えが『日記』だった。もちろん、ただの日記じゃない。ヴォルデモートの分霊箱の一つだよ。だが、日記では完全な状態の魔王の魂は受け止めきれず、保管していたルシウス・マルフォイが確認の為に保管場所から出す程度の異変を起こしてしまった。それが悲劇の始まりさ」
 幼い日のドラコ・マルフォイは夜中に飛び起きた。父親が慌てた様子で屋敷内を駆けまわっているからだ。
 不思議に思い、母を求めて歩き出した彼は扉の開いている部屋を見つける。
 そこには宙に浮いた一冊の本。幼子が興味を示すには十分な現象だった。手を伸ばし、彼は自らの内側に邪悪の種を招き入れる。
 決して、その時に全てを受け入れたわけではない。ただ、魔王の魂の一部が流れこんでしまっただけだ。
 だが、幼く無垢な精神は汚染された。日本人として生まれ、哀れな一生を終えた少年の記憶が上書きされてしまった。その記憶を撥ね返すには心が幼過ぎたのだ。
「待ってよ……。じゃあ、ドラコは……」
 ハーマイオニーは体を震わせた。
「彼はあなただったの……?」
「それは違うよ。彼は確かにドラコ・マルフォイだった。確かに記憶を上書きされ、邪悪な意思に翻弄されたが、それでもハリー・ポッターに『君をどう呼べばいい?』と聞かれた時、迷うことなく言った、『僕はドラコ・マルフォイ』……、と。日本人の少年がヴォルデモートのハリーに対する執着だけを残していたように、彼は愛する両親から貰った自らの真名だけは守り通していた。だが、ハリー・ポッターの伝記の中でも語ったが、分霊箱は持つ者の心を穢す。邪悪に歪める。本体の一部を近くに置くだけで、それほどの影響を齎した。ならば、その本体を受け入れたら、どうなると思う?」
 ドラコは自らを転生者と思い込み、その記憶が導くまま、突き進んだ。
 彼がヴォルデモートの魂を吸収しようと考えたのも、マートルを成仏させたのも、ハリーに近づいたのも、何もかも全て……。
「ドラコ・マルフォイは自らの糧にしようと行動したつもりだが、それは違う。ヴォルデモートの魂が誘導したのだ。そして、その器に乗り移ったのだ。ずっと傍にいたハリー・ポッターも傷跡と共に宿ったヴォルデモートの魂を通じて大きな影響を受けた。二人の魂に埋め込まれた邪悪の種子はやがて世界を地獄に変えた」
「なら……、ドラコとハリーはどうして死んだの?」
 哀しそうにルーナ・ラブグッドが問う。
「……僕は彼らに封印された時、多くの事を考えた。そして……、後悔してしまった」
 その言葉に誰もが息を呑んだ。
「それが今の状況を作り出した。分霊箱というものは魂の一部を切り裂く事で魂のストックを作り出す魔法だ。その切り出した魂を本体に戻す為には本体が後悔し、改心する事が条件なのだ。その条件を満たした時、ドラコ・マルフォイとハリー・ポッター両名の中のヴォルデモートの魂が私の中に還って来た。平行世界とでも言うのかな。僕とは違う時間を歩んだ私もまた、僕の中へ還って来た。それはつまり、二人の中から邪悪の種子が消え去った事を意味する」
「それって……」
 ネビルは恐怖に怯えた。想像してしまったのだ。
 邪悪な意思に唆されるまま、怖ろしい事件を引き起こした後、その邪悪な意思が消え去り、良心だけが戻った光景を……。
「その通りだ」
 トムは言った。
「彼らは嘆き悲しんだ。何故、こんな事をしてしまったのか……、と」
「なんだよ……、それ」
 ダリウスは頭を抱えた。
「彼らの死は互いに『死の呪文』を撃ち合った結果だ。決して、仲違いしたわけじゃない。ただ、死を望む友人に情けを掛けたのだよ」
 それで話は終わりだとばかりにトムは立ち上がる。
「悪党は一人だけ。彼らはただの被害者だ」
「ふざけないでよ……」
 フレデリカは怒りに満ちた声を上げた。
「ふざけないでよ、魔王!! それじゃあ、全部お前のせいじゃないか!!」
「その通りだ」
 彼女の激情を真っ向から受けても、トムは表情を崩さなかった。
 ただ、哀れみの眼差しをフレデリカに向けている。
「フレデリカ・ヴァレンタイン。世界を救いたいか?」
「世界なんて、どうでもいい!! 私には……ドラコしか……、彼しか……いなかったのに」
 涙を零すフレデリカの前にトムはしゃがみ込む。
「ならば、言葉を変えよう。ドラコ・マルフォイを救いたいか?」
「当然よ!!」
 間髪入れずに応えるフレデリカの前でトムは杖を振った。
 虚空から奇妙な物体が現れる。細い鎖に砂時計がくっついている。
「ならば、それを……そうだな、十回ひっくり返してみろ。それで、君の望みは叶う」
「これって……、|逆転時計《タイムターナー》?」
「それはお前を救うものではない。それに、この世界は救われない。例え、過去を改変しても、この世界の歴史は既に定まっているからな。だが、哀れな少年が邪悪な意思に翻弄されず、幸福に生きられる歴史を生み出す事は出来る」
「これを使えば……、ドラコを」
「だが、その歴史で生まれるドラコ・マルフォイはこの世界の彼と似て非なる別人だ。……使うかどうかは君に任せる」
 それだけ言い残すと、トムはダリウスに声を掛けた。
「それでは、ここでの用事は終わった事だし、世界を再編しに行くか」
「終わったって……、よく分からない話をしただけじゃねーか。それに、これからどうするつもりなんだ?」
「ここに来た理由はドラコ・マルフォイとハリー・ポッターの死とその原因を君達に教える為だ。世界を救うのはここからさ。まずは、世界の敵となる事から始めよう」
 そう言って、出て行くトムの後をダリウスだけが追い掛けた。

 数日後、彼らは全世界のテレビチャンネルを占拠して声明を発表する。
『――――諸君、ゲームは楽しんで頂けたかな? 私の名は『ヴォルデモート』。世界を壊し、世界を創る者である』
 世界は地獄を作り上げた元凶の登場に沸き立ち、憎悪と共に立ち上がる。
 言葉と行動をもって、あまねく人民の怒りを集めた男が屍をロンドンの中心に晒された時、悪夢は漸く終わりを迎える。
 誰かが用意した復興プランを元に人々は何かに誘導されるように元のそこそこ不穏でそこそこ平和な世界を作っていく。
 彼は宣言通り、五日で世界を作り直す。
 だが、それは彼らにとって、どうでもいい事。

 彼らの眼差しは一人の少女に向けられている。
「どうするの?」
 ハーマイオニーが問い掛ける。すると、フレデリカは言った。
「……私はドラコを愛している」
 そう言って、鎖を自らの体に掛ける。
「世界なんて、どうでもいい」
 砂時計を掲げる。
「彼が私を知らない世界なんて、耐えられない」
 砂時計をひっくり返す。
 一回、二回、三回、四回、五回……、六回。
「……それでいいと思うわ」
 時が遡る寸前、ハーマイオニーは去りゆくフレデリカに言った。
「今度は間違えないように、見張っておきなさい」
 フレデリカは返事をする事なく、時の旅路へ去って行く。
 それで世界が変わる事などない。破滅的なシナリオに変更はない。
 多くの嘆きと哀しみはこの世界に刻まれた大きな傷と共に永劫続いていく。
 それでも、どこか違う世界で平和に彼や彼女と笑い合えている光景が生まれるのなら、それは良い事だと思う。
「邪悪な意思でもなんでも、彼に救われた人は大勢いた。なら、根本から変える必要なんて無いと思うの」
「……そうだね。腹黒い計算とかも盛り沢山だったかもしれないけどね」
「それでも、ルーナとこんなに仲良しになれたのは彼が私にレイブンクローという選択肢を与えてくれたからよ」
 ハーマイオニーはルーナの手を握った。
「こっちもこれから大変なんだから、そっちも精々苦労しなさい。フリッカ」
 元凶が分かっても、その過程の謎が解明されても、世界は何一つ変わらない。
 歴史とはそういうものだ。起きてしまった事に取り返しのつく事などない。後はその中でどう折り合いをつけていくかだけだ。
 その折り合いを付けられない者は……。

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