第二話「真実を求める者達・Ⅲ」

 歴史ある名門私立『スメルティングズ男子校』に入学して、初めて感じた事は違和感だった。
 勉学に勤しみ、友人と語り合い、夢を見る事が当たり前とのたまう同世代の少年達に俺は少なからず衝撃を受けていた。
 明日食べるご飯の心配をした事など一度も無い。幸福である事が当たり前の者達。
 今までの自分の人生と比べ、あまりにも恵まれた環境で生きる彼らの輪に溶け込むのはまるで泥沼に浸かるみたいな気持ちの悪い感触だった。
 だけど、俺には為すべき使命がある。レオの下で学んだ社会の中で生きる為の|礼儀《じんかく》で何もかも正反対な奴らに取り入り、それなりの友好関係を築けるまでに一ヶ月を要した。
 その日々の中でダドリー・ダーズリーについて色々な噂が耳に入って来た。
 どうやら、相当な悪童らしい。実際、遠目で何度かその姿を見かけたが、驚く程の肥満体質だった。その上、底意地の悪い乱暴者らしく、よく非力な生徒を虐めて喜んでいるらしい。
 ヤツと接触するのは中々骨が折れそうだ。いろんな意味で……。
「とりあえず……」
 俺はヤツが参加しているボクシングのジムに入る事にした。
 これが一番手っ取り早い。同じジムにいれば嫌でも言葉を交わす機会が生まれる筈。
 そこでハリー・ポッターの事を聞き出す。
 それで任務は終了だ。

 あまり、ここには長居していたくない。
 幸せそうに生きる同級生達が羨ましくなってしまう。
 親しげに接してくる友人達に囲まれて、居心地が良く感じてしまう。
 それはダメだ。俺はマリアを見つけて助けださなければいけない。こんな所にいてはいけない。

 ボクシングのジムでダドリーを間近で見ると、奴は本当にデカかった。
 俺もここ数年で一気に身長が伸び、筋肉もついてきたが奴は縦にも横にも只管デカい。
 困った事にガタイの差はそのままクラスの違いになっている。ライト級の俺ではヘビー級のヤツと同じ訓練が出来ないのだ。
 とは言え、あんな巨体になる気は無いし、なれるとも思わない。
 全くの他人から身内の話を聞けるくらい深い関係にならないといけないんだ。焦りは禁物。
 慎重に……それでも、迅速にヤツにとりいる。その為にはヤツと一勝負する必要がある。
 方法は一つ。
 ヘビー級であるヤツと戦うにはライト級の王者となって、ヤツの感心を引き、勝負の場に引きずり出す以外に道は無い。
「っていうわけで俺にボクシングを教えてくれ」
「……ジムで教えてもらえよ」
「ジムでも学ぶさ! けど、手っ取り早く王者になるにはどうしても経験が足りないんだ。だから、ジムの誰よりも強いアンタに稽古をつけてもらいたいんだ!」
 俺の言葉にリズは大きな溜息を零した。
「フェイロンやロドリゲスに稽古を頼めばいいだろ。女のアタシよかよっぽど役に立つぞ」
「アイツらよりアンタの方が強いだろ!」
「……仮にも乙女に向かって、そういう事を言うもんじゃ――――」
「ジョークは後にしてくれ! 俺は一刻も早くアイツと戦わないと……って、リズ?」
 そこに阿修羅が立っていた。
 俺は何かまずい事でも言ったのだろうか? リズは憤怒の表情を浮かべていた。スカーフェイスの彼女がそんな表情を浮かべると本気で怖い。
「……何がジョークだって? アタシが乙女ってのがそんなにおかしな事か? あ?」
「いや、さっきのは言葉の綾っていうか……」
「いいだろう。稽古をつけてやる」
「あ、いや……やっぱり、フェイロンかロドリゲスにでも……」
「遠慮するなよ、ジェイク」
 リズは笑みを浮かべながら言った。
 実に不思議だ。微笑みとは本来安心感を相手に与える|表情《もの》である筈。
 なのに、彼女の笑顔に俺は今、底知れない恐怖を感じている。
 本能が警鐘を鳴らしている。

――――俺、殺されるかもしれない。

 逃げ出そうとした所を掴まれた。
「ヘイ……。ヘイ、ジェイク。デートに誘ったのはそっちだろ? 女をほっぽり出して行こうなんざ、男のする事じゃーないよな?」
「はいはい、そこまでだ。あんまり、ジェイクを虐めるなよ」
「フェイロン!」
 リズから俺を引き離してくれたのは部屋に入って来たフェイロンだった。
「けどな、ジェイク。お前もあんまりデリカシーの無い事を言うのは慎むようにしろ。学校生活にも支障が出るぞ」
「お、おう……」
 マフィアの元幹部のくせにフェイロンは実に常識的な事を口にした。
「テメェ、聞いてたのかよ……」
「途中からな。あんまり喧嘩するなよ? ファミリーが仲違いする事程哀しい事はない」
 その言葉に俺とリズは押し黙った。
 フェイロンの昔のファミリー……マフィアは彼が居ない間に突然殺し合いを始めた。
 理由は定かじゃない。ただ、彼らが殺し合う映像が残されていて、その中で彼らは叫んでいた。
『もうやめてくれ!!』
『どうしたっていうんだ!?』
『体が勝手に動く……、なんなんだこれは!?』
『嫌だ嫌だ嫌だ!!』
『逃げろ!!』
 彼らは一様にして正気だった。正気のまま、望まぬ殺し合いをしていた。
 そのあまりにも異常な光景こそ、フェイロンがこの探偵事務所に参加した理由。
 彼が仲間同士の争いを嫌う理由の重さを知るが故に俺達は押し黙った。
「湿気た空気だな、おい! まーた、暗い話でもしてたんだろ!」
 沈黙を打ち破ったのは外回りの多いアレックス・ロドリゲスだった。
 いつもサングラスをしている陽気な黒人だ。元々はアメリカのスラムで育ったらしく、同じスラム育ち同士で色々と話が合う。
 俺が正式に所員になるまでマリアの事を探してくれていた内の一人だ。今も仕事の合間に色々な場所へ飛び回り、情報を集めてくれている。
 どれもそっくりの別人っていうオチばっかりだけど、それでもありがたい。
「いいところに来たな、ロドリゲス。ジェイクに稽古をつけてやりな。ボクシングで最強を目指すんだとよ」
「はぁ? なんでまた!?」
 サングラスがずり落ちる程驚くロドリゲス。
「話が飛び過ぎだ。それに、ジェイクに頼まれたのは君だろ、リズ」
「……アタシじゃ壊しちまうかもしれないだろ」
 昏い顔で言うリズにフェイロンは「そうか」とだけ言って、彼女が出て行くのを引き止めなかった。
 彼女はずば抜けた身体能力を持っている。普段は抑えているけど、本気を出せば人外染みた動きが可能だ。
 その力が彼女の制御を外れた時、人間など単なる血の詰まった風船と化す。
「リズ……」
「アイツはトラウマを山盛り抱えてやがるからなぁ。まあ、あんまり気にしてやんな! 逆にトラウマ抉る事になっちまう」
「……わかった」
 ロドリゲスはリズをここに連れて来た男だ。彼女の過去を一番よく知っている。
 彼がそう言うなら、俺は従うまでだ。
「それより、稽古ってのは何の話だ?」
「ああ、実は――――」
 俺がボクシングのジムに入った流れと目的を話すとロドリゲスは大笑いした。
「確かにそうだな! 一発でダチになれる最善の方法だぜ! しかし、探偵の調査で対象と殴り合うとか、なんつーぶっとんだ発想だよ、おい!」
「そ、そんなにぶっとんでたか?」
「いや、最高だぜ。そういう事なら任せな。これでもボクシングはガキの頃から嗜んできたからな。しっかり仕込んでやれるぜ」
「サンキュー。頼むよ」
「ヘッヘー! ガキの頃を思い出すな。ダチと一緒にチラシでポーズ取ってるチャンピオンのベルトを腰に巻いてみせるって息巻いていたもんだぜ」
「ダチって、例の?」
「おう。俺の探しているヤツさ」
 ロドリゲスは俺ととても良く似ている。
 ここに参加した理由もスラムから突然居なくなった友達を見つける為だ。
 兄弟のように仲が良かったらしく、事ある毎に彼はその友達の事を話題に出す。
「ビシバシ鍛えていくからな! 覚悟しとけよ?」
「おう!」

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