第十話「人ならぬもの」

 勉強会のメンバーにハーマイオニーとルーナを入れた事にフリッカとアメリアが難色を示した。
 フリッカの方は単なるヤキモチだから問題無い。
 問題なのはアメリアだ。
 オースティン家は『聖28一族』にカウントこそされていないものの、魔法界でも有数の由緒正しい旧家だ。
 その家の長女であるアメリアは生粋の純血主義者であり、他のメンバーとは一線を画す程のマグル嫌いだ。
 ルーナはともかく、ハーマイオニーの事は『穢れた血のビーバーちゃん』扱い。
 ハリーの前では隠させているけど、彼女の本性は極めて苛烈だ。
「冗談じゃない。どうして、私達の輪に穢れた血を招かなければいけないの? 虐められている? 良い事じゃない。マグルの穢らわしい血が混じった魔法使いの紛い物なんて、ととこんまで追い詰めて自殺させるか自主退校に追いやるべきよ。ドラコ、あなたが応援すべきはあのビーバーちゃんじゃない。賢明なレイブンクローの生徒達よ」
 他人が聞いたらマグル贔屓じゃなくても眉を潜める内容だが、これが彼女の本心だ。
 無理に付き合わせたらハーマイオニーやハリーの前で何を口走るか分かったもんじゃない。
 彼女のマグル嫌いはもはや生理的嫌悪感を感じるレベルだからな……。
 僕だって、ゴキブリと仲良くなれと言われても無理だ。
「……だが、一度交わした約束を取り下げる事は僕の沽券に関わる」
「でも!」
「なら、こうしよう。勉強会は一度解散して……」
「どうして!?」
 アメリアが泣きそうな声を出して叫んだ。
「なんで、マグル生まれの女なんかの為に私達が犠牲を払わないといけないの!?」
「……アメリア。別に犠牲という程でも無いだろう」
「ド、ドラコにとって、私達ってそんな程度の――――」
「ストップ。勘違いをしないでくれ」
 激情家でもある彼女が一度ヒートアップしてしまうと手間が掛かる。
 僕は彼女の頬に手を当てて目線を合わさせた。
「勘違いって……?」
「元々、勉強会を一度解散するつもりだったんだ。君達……、アメリアとフリッカとエドの三人に頼みたい事があったからね」
「頼みたい事?」
 彼女はドビーの躾に誰よりも嬉々として参加するくらいの生粋のサディストだが、僕に対してだけは犬のように従順だ。
 マグルの利益になる事以外の頼み事なら心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべて引き受けてくれる。
 そう躾けたからね。
「フリッカとエドも呼ぼう。良い機会だから君達に見せてあげるよ。僕の秘密基地を」
「秘密基地?」
 僕はアメリアを待たせてフリッカとエドにだけ声を掛けて呼び寄せた。幸い、ダンとハリーはフリントによるクィディッチ必勝講座に熱心な様子で耳を傾けている。
 アンは部屋に居るらしい。彼女には下手に秘密を打ち明けてはならない。

 三人を連れて、僕は秘密の部屋へ向かった。寮の近くの隠し通路に作り出した隠し扉を潜ると、三人は目を見開き、僕の解説を待った。
「諸君。ここが伝説に名高い『サラザール・スリザリンの秘密の部屋』だ。
「ひ、秘密の部屋!?」
 アメリアは慄くように部屋を見回した。
「……この部屋が君の言っていた『準備』ってヤツかい?」
 エドの言葉に「まあね」と答えておく。正確に言うと、あの時言った準備云々は日記の霊魂を僕の中に取り込む事だけど、結果を出すのはこれからだから間違ってはいない。
「ドラコ……。ここで私達は何をすればいいの?」
 フリッカが問い掛けてくる。
「研究の手伝いだよ。やっぱり、一人だと手が足りないからね。こっちだよ」
 僕は三人を右側の壁面へ連れて行った。何もないように見える。
「『開け』」
 蛇語で唱えると、壁がゆっくりと動き、瞬く間に中へ繋がる通路が現れた。
「今のって……ッ」
「蛇語さ。詳しい事は中で話すよ」
 通路を奥へと進んでいく。ネットリとした空気が肌に絡みつき、何とも言えない不快感が募る。
 しばらく歩くと、三つの扉が現れた。
 扉の手前にはそれぞれ赤、青、黄色のランプが取り付けられている。
 僕は赤いランプの扉を開いた。
 中に入ると、奥から人のうめき声が響いてくる。
「な、なに……?」
 フリッカが僕の腕に絡みつく。可愛い反応だ。女の子はこのくらい臆病な方が可愛げがある。
 その顔がこれから更に歪む事を想像すると心が沸き立つ思いだ。
 更に奥へ進むとそこには牢獄の扉が並んでいた。
 三人が息を呑む音が聞こえる。
「中を覗いてごらん」
 僕が促すと、フリッカは一瞬だけ表情を引き攣らせた。
 だが、僕の言葉には素直に応じる。恐る恐る、牢獄の扉を開いた。
 その瞬間、フリッカは恐怖の表情を浮かべ、口元を押さえた。
 彼女の後ろから覗き込んだエドも表情を凍りつかせている。
 ただ一人、アメリアだけは表情を輝かせた。舌舐めずりしながら、中の様子を見ている。
「なに……、これ?」
 フリッカがやっとの思いで声を吐き出す。
「リジーに命じて捕らえさせたマグルだよ。実験台に使っている。そいつは治癒魔術の実験台だ」
 牢獄の中には一人の男が繋がれている。
 一見するとのっぺらぼうに見える。眼孔も口も耳孔も鼻孔も無い。
 だが、よく見れば壁に釘打ちされている右手の掌に口があり、動いている。うめき声はそこから出ていた。
 目も膝の辺りをよく見れば発見する事が出来るが、鼻と耳は体内にあるから見えない。
 最も目を惹く所は何と言っても胸から腹部にかけての部分だ。そこには体内の様子が分かるように皮膚をそぎ落として、代わりにガラスが嵌めこんである。
 人体模型をイメージすると分かりやすいかもしれない。
「この状態でも生きていられるんだから、人間って凄いよね。ついでに精神強度の実験もしてるんだ。闇の魔術には正気を失わせるものも多いけど、逆に正気を保たせる呪いもあるんだよ。彼は今の自分の状態を確りと理解し、その救いがたい現状に絶望しながらも正気を失わずにいる。声を聞かせてあげようか?」
 僕が杖を振ると、うめき声は確かな声となって辺りに響き渡った。
 口の付いている手を打ち付けた壁には設置型の結界が張ってあり、それを解除したのだ。
「殺してくれ!! こんな状態はもう嫌だ。痛いんだ!! 苦しいんだ!! お願いだ、殺してくれ!! 血と糞尿の匂いが四六時中するんだ!! ゴロゴロと耳障りな音が止まないんだ!! どうして、俺は正気を失わないんだ!? こんなの嫌だ!! 苦しい!! 助けてくれ!! 殺してくれ!! 誰でもいいから俺を早く――――」
 再び結界を起動させると周囲が静まり返った。
「どうだい? 未だに彼は元気いっぱいさ」
 僕はその後も牢獄に繋いである実験体達を順繰りにフリッカ達に見せて回った。
 十八の人格による肉体の奪い合い。
 地獄の苦痛を受け続けながら正気を保たせ続けたらどうなるかの実験。
 五感を全て失った人間はどうなるかの実験。
 魔法薬の被験体。マグルの薬物の被験体。
「君達に頼みたい仕事はこれらの経過観察がまず一つ」
 アメリアは大層嬉しそうに引き受けてくれたが、フリッカとエドは少し涙ぐんでいる。
「次はこっちだ」
 一度、三つの扉の所まで戻って来た。
 次に青いランプの部屋に入る。そこは赤いランプの扉の通路よりも大きな牢獄が並ぶ通路だった。
「ここでは思考実験を行っている」
 ここの牢獄は壁にガラスが嵌め込まれている。
「まだ、一つの実験しか出来ていないんだ」
「な、中の連中は何をしているんだ?」
 エドはガラス越しに中を覗き込みながら恐れるように問い掛けた。
「殺し合いだ。この部屋の五人は他人同士。一人だけ助けると約束して殺し合いをさせている」
 隣の牢獄は仲の良い家族だった者達。此方はリジーも確保に手間取り、結局、移民の三人家族という些か物足りないサンプルしか手に入らなかった。
 その隣は恋人同士。
 この牢獄の間にはココと赤いランプの通路の牢獄に繋いである実験台と合わせて二十人が収容されている。
 スラムや各国の魔法省の息の掛かっていない周辺国からヒッソリと集めているから中々思うようにいっていないのが現状だ。
 だが、贅沢も言えない。下手に魔法省に気づかれでもしたら全てが終わりだ。
「な、なんで、こんな事を?」
 フリッカが涙目になりながら互いを殺し合う人間達を見つめている。
「人間の思考をより深く理解するためさ。一つ目の部屋は一般的な倫理観の限界。二つ目の部屋は家族愛の限界。三つ目の部屋は情愛の限界を確認出来る。二つ目と三つ目は全員が生き残っているけど、一つ目は床に死体が二つ既に並んでいるだろ? これが三日間観察した結果さ。面白いと思わないかい? 最初の一日目、彼らは互いに協力し合って、ここから出て行こうと一致団結していたんだ。なのに、二日目で一人が殺され、一気に疑心暗鬼に満ち溢れ、三日目で更に一人死んだ事で実に緊張感に溢れた空間が形成された」
「……ドラコ」
「君達の僕に対する忠誠心はこんな貧弱な物ではないと信じているよ」
 微笑みかけると、エドワードは瞼を閉じた。
「もちろんだ、ドラコ。僕に開心術を使ってくれ。これを見て、君が僕をこの状況に叩き込んだとしても、僕の忠誠心は変わらない」
「良い心がけた。レジリメンス」
 開心術を使うと、彼の言葉が正に本心である事を確信する事が出来た。
 素晴らしい。僕はアメリアを見た。
「君は? 僕に忠誠心を試させてくれるかい?」
「もちろん。むしろ、より深く忠誠を誓いたくなったわ。だって、ここは最高だもの」
 彼女の心もまた嘘偽りの無い本心を口にしたのだと実証してみせた。
「フリッカ」
「……ドラコ」
 フリッカの瞳は揺れていた。
「僕に愛を示してくれるね?」
「……はい」
 彼女の心は他の二人程完璧では無かった。彼女は罪悪感に苦しんでいる。今直ぐに彼らを解放し、その罪を自分の死で贖いたいとさえ思っている。
 だが、この状況は僕が望んだものだ。その事で彼女は苦悩している。僕の望みは彼女の中で何よりも優先されるのだ。
 例え、僕に理不尽な命令をされても……、それが『僕を楽しませる為に死んでみせろ』という命令であっても彼女は喜んで実行するだろう。
 それ程の深い愛情を抱いている。
 彼女の心は以前、粉々になるまで徹底的に壊された。それを癒してあげたのが僕だ。
 人としての倫理も良心も何もかも僕より優先すべきものなど存在しない。
 だから、彼女の事は誰よりも信頼出来る。
「……次だ」
 僕は最後の黄色のランプの部屋の扉を開いた。そこは一段と大きな部屋だった。部屋の中央には目と耳と口を塞がれ、全身を拘束具で包まれている一人の少女がいる。
 マリア・ミリガンはその状態にあって尚、僕達の来訪に気づき、僅かに動かせる首を振った。
「彼女は……?」
 フリッカの問いに僕は杖を振りながら答えた。
 呼び寄せ呪文によって、一冊の本が飛んでくる。
「彼女は実験体の中でも少し特別なんだ。というか、他の実験体は彼女を完成させる為のものなんだよ」
 本を開いて、フリッカ達に僕が書き込んだ実験内容を見せた。
「薬物の投与を行い肉体を強化し、魔法を使って強化のリスクを極限まで落とす。既に彼女は人を超越した身体能力を保有している。魔法を使わずに超人的な運動能力を発揮し、傷を負った猛獣の如き鋭い五感を持つ。もっとも、それでも魔法使いと戦わせたら負ける程度だ。だから、これから更に強化し、そして、精神に干渉して絶対に裏切れないように洗脳を施す」
「……ドラコ。あなたは何をするつもりなの?」
 フリッカが震えた声で問う。
 僕は微笑みながら答えた。
「もうすぐ……、後一年か二年でヴォルデモートが復活する。その時に戦力が必要になるからね。その用意というわけさ」

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