第三話「復活」

 事件はクィディッチ・ワールドカップが始まる前日に起きた。
 日刊預言者新聞の一面に『クィディッチ・ワールドカップの会場に闇の印現る!』という見出しが踊っている。
 僕が手に入れたチケットは当日会場に向かえば問題無く、その頃はハリーの新居でボードゲームを楽しんでいた。
 初めは父上を始めとした死喰い人の残党が原作のように悪巫山戯でもしたのかと思った。
 その考えが間違いである事に気付いたのは両親からの緊急の呼び出しを受けた時だった。
 不安そうな表情を浮かべる友人達に安心するよう説き伏せてから屋敷に戻ると、両親は血相を変えた様子で僕を抱き締めた。
「ああ、よく我慢した。浮かれて、必要も無いのに数日前から会場周りのテント村で寝起きしている馬鹿者共とは大違いだ!」
「な、何があったのですか?」
 僕が目を白黒させて聞くと、父上は青褪めた表情で言った。
「あの方が戻られた……」

◇◆◇

 まるで一匹の竜が暴れ回っているような光景だった。
 燃え盛る炎が大地を蹂躙し、逃げ惑う人々の命を刈り取っていく。
 その様を見ながら、一人の男が笑う。
――――これは祝福の火。あの方の復活を祝う狼煙。
 まだ二十にも満たない歳の青年の心は歓喜に打ち震えていた。
 
 数日前、クィディッチ・ワールドカップの観戦の為にテント村で寝泊まりしていた彼は奇妙な夢を見た。
 自らを誘う声。闇の中から自らに手を伸ばしてくる手。赤い瞳。
 その声を聞くだけで脳髄が蕩けるような快感を覚えた。その瞳を見つめるだけで心が沸き立った。
 伸びて来る手に向かって手を伸ばす。往年の友と再会したかのような錯覚を覚える。固く握手を交わすと彼は突然目を覚ました。
 深い森の中。遠くで会場の喧騒が聞こえる。
『君を待っていた』
 甘美な声が響く。生まれてこの方、聞いた事のない極上の声。
 有名なオペラ歌手や恋人の声など比べ物にならない。まるで、鼓膜を愛撫されたかのよう。
『私は君に会いたかった』
 その言葉を聞いた瞬間、彼はまるで人生で初めて褒められたかのような喜びを感じた。
『私には君の力が必要だ』
 生まれたばかりの赤子が母乳を求めるように、
 砂漠を彷徨う遭難者が水を求めるように、
 薬物中毒者が麻薬を求めるように、
 彼は声の主の力になりたいと願った。
 まるで、それこそが自らの生きる理由であるかのように……。
『ウィリアム。ウィリアム・ベル。私の名を覚えているか?』
「……ヴォルデモート卿」
 それは彼にとっても予想外の事だった。聞かれた瞬間、当然のことのように答えていた。
 大の大人ですら恐れ戦く恐怖の代名詞。嘗て、世界を混沌に陥れた魔王。闇の帝王・ヴォルデモート。
 何故、目の前の存在が彼である事を確信出来たのか、彼自身も理解出来ない。
 彼は至って普通の家庭で育った。家族はもちろん、親戚や友人に死喰い人だった経歴を持つ人間は一人もいない。闇の魔術に触れた事もない。
 なのに、彼は敬愛すべき人物として、ヴォルデモートを知っていた。まるで、往年の友と再会したかのような奇妙な感覚。
『私の手足となるのだ、ウィリアム。私を助けるのだ』
 些細な疑問などその言葉の前では無意味だった。
 彼の心は既に帝王に支配されている。
 帝王は知っていた。分霊箱という命のストックがあるとはいえ、万が一、命を落とした時、復活は容易で無いだろう事を。
 帝王に真の忠誠を誓う者はアズカバンに収容され、そうでない者は自らの身の安全を優先する。故に仕掛けを施した。
 帝王が最盛を誇っていた時期、幾人かの妊婦に呪いを掛けたのだ。その赤ん坊の魂を穢す呪い。帝王が望まぬ限り、本人ですら自覚出来ない一つの思想を植え付けた。
 ダンブルドアの目につかないよう、闇の陣営でも不死鳥の騎士団でもない有象無象の中から選んだ家の赤ん坊。その一人が彼だった。
 上手くいくかは賭けだった。仕掛けはあくまで試験的なもので、一度結果を確認するつもりだった。だが、その前にハリー・ポッターによって滅ぼされてしまった。
 その上、呪いの影響によって多くの赤ん坊が死産していた。生き残っていたのはウィリアムただ一人。その彼に呪いが正しく作用しているかどうか分からなかった。
 だが、賭けは成功。完全なる無垢の状態に刻み込んだ帝王への忠誠心は成長し、多くの経験を積み、確固たる人格を形成した今尚、彼の心の奥底に潜んでいた。

 帝王は復活した。彼が帝王の指示に従い、復活させた。
 そして……、壊れた。
 呪いは帝王が想定していた以上の効果を発揮した。
 無色透明な水に黒いインクの詰まったカプセルを入れたとしよう。
 時が経つにつれ、|水《こころ》には経験という名の様々な色が溶けこんでいく。だが、一度黒が混ざれば、全ての色が失われる。
 水は黒一色となる。
 ヴォルデモートに対する狂信的な忠誠は帝王の復活に役立った事で暴走してしまった。
 それが目の前に広がる光景だ。
 獣の姿を象る炎が会場近くのマグルの村を燃やしていく。
 その魔法の名は『悪霊の火』。
 水では消えない闇の魔術が生み出す業火。
 彼が村を燃やした理由は単純。マグルを殺せば帝王が喜ぶと思ったからだ。
 彼は笑う。
「褒めてくれますか、帝王よ! ああ、また私はあなたの役に立った! あはッ! アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
 そして、彼自身も炎の中に呑み込まれていく。
 目の前に炎が迫ってきても彼は逃げなかった。当然働くべき自衛の思考すら失われていたのだ。
 その光景を帝王は遠くからつまらなそうに見つめていた。天に自らの印を刻みながら……。

◇◆◇
 
「戻って来たって……、それは」
「闇の帝王が戻られたのだ」
 僕の思い違いであるという微かな希望は打ち破られた。
 刹那の間、僕の脳裏に最悪の光景が浮かんだ。
 帝王にハリーを差し出すよう命じられる光景。拒否すれば殺される。
 なら、取るべき選択肢は一つ。ハリーを差し出すのは論外だ。それは狼に羊を渡すようなもの。
「父上……」
 けど、問題がある。リジーを使えば万が一の場合でも僕は逃げられるけど、両親は別だ。
 父上と母上が殺される。そんな事は容認出来ない。
 ハリーも父上も母上もみんな僕のものだ。
 だから、万が一を起こさない為に思考しなければならない。ヴォルデモートを排除する方法を考えなければいけない。
 手っ取り早い方法はシグレを呼び出す事。既に実験で可能である事は分かっている。
 それにマリアを使えばヤツが魔法を使うより先に奴の杖を奪える筈だ。どんなに短い呪文でも唱えきるまでに一秒以上はかかる。それだけの時間があればマリアなら三度は殺せる。
 そこまで思考した所で父上が口を開いた。
「ドラコ。帝王は大層喜ばれていた」
「……ハリーの事?」
 父上は口元を歪ませた。
「聡い子だ」
「献上しろと……?」
 僕の言葉の刺に気がついたのか、父上は慌てたように首を横に振った。
「慌てるな、ドラコ。そうではない。帝王はハリー・ポッターを手懐けたお前の手腕に感動されていた。かの御方はハリー・ポッターの事をお前に任せると言われたのだ」
 まるでそれが誇らしい事かのように父上は言った。
 些か予想外だ。帝王がハリーを軽んじる筈がない。あの予言の事もあるし……いや、知らないのか?
 原作では五巻の時にわざわざ予言を手に入れようと動いていた。ある程度の内容は知っていても、完全に把握しているわけではないのかもしれない。
 片方が生きていれば、片方は生きられない。帝王が復活を果たした以上、いずれどちらかの命が潰える。それは決定された運命。
 だが、それを知らなかったら? 一年の時、クィレルの対応を完全にダンブルドア任せにした事で帝王はそもそもハリーがどうやって己を滅ぼす事が出来たのかも現段階で分かっていない可能性が高い。
 だから、ハリーを警戒している。そして、なんとか味方に引き入れたいと願っている。その為に一番リスクが少なく、可能性の高い方法を取っているとしたら……。
「父上。僕は帝王に謁見しなくてもよろしいのですか?」
「そ、それは……いや、身の程を弁えよ。お前如きが帝王に謁見を許される筈が無かろう。引き続き、帝王の期待に応え、ハリー・ポッターを籠絡するのだ。それがお前の為すべき使命であると心得よ」
 厳しく言い聞かせているつもりなのだろうが、僕からすれば本音が駄々漏れだ。
 父上は僕をヴォルデモートに会わせたくないと思っている。僕を心配しているのか、それとも別の理由か、そこは定かじゃないけど、それならそれで好都合だ。
 まだ、準備には時間が掛かる。完璧な状態でヴォルデモートを返り討ちにする準備には……。
「分かりました、父上。帝王と父上の御期待に沿えるよう精進致します」
「ああ、それで良い」
 今は我慢の時だ。父上をヤツが好き勝手に使うのを……、僕のものを弄ぶ事を許そう。
 だが、最後にはその代償を必ず支払ってもらう。
 その間はしっぽを幾らでも振ってやる。

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