第八話「我が闘争」

 男は一冊の本を読んでいる。タイトルは『我が闘争』。著者はアドルフ・ヒトラー。
 約七十年程前、ヒトラーはクーデターを画策して失敗し、監獄に入れられた。その時、獄中で書いた物がこの本だ。
 後に世界を震撼させる独裁者の原点がここにある。
 本の中で彼は二つの敵を定めていた。
 ユダヤ人と共産主義である。

 当時は世界恐慌の真っ直中。人々は飢えと貧困に喘ぎ、絶望していた。
 ヒトラーにも強い影響を与えたアメリカの自動車王、ヘンリー・フォードは自社出版の新聞や本の中でこう主張している。
『拝金主義のユダヤ人こそ、金融界を牛耳り、共産主義を蔓延らせている元凶だ』
 反ユダヤ主義者として有名だった男。同時に世界的に発言力を持つ男でもあった。
 彼の言葉からインスピレーションを得たヒトラーはソ連を筆頭に広がりつつある共産主義とユダヤ人を敵として定め、覇道を歩き続けた。
 その結果がアウシュビッツ強制収容所であり、第二次世界大戦である。
 
 彼の掲げたファシズムは一定の成果を上げた。
 世界恐慌の中、ドイツは奇跡的な経済成長を遂げ、あらゆる技術で世界のトップに君臨した。
 現在、世界各地に配備されている大陸弾道ミサイルの原型たるV2ロケットを作ったのもナチスだ。
 独裁者による統治。あと一歩の所で彼はその成功例となれた。だが、他の独裁者……ベニート・ムッソリーニやヨシフ・スターリンと同じ末路を辿った。

 男と同じく革命家であり、独裁者だった彼等の失敗に彼は多くを学んだ。
 マグルを愚鈍な劣等種として軽蔑している彼が認める数少ない偉人。
 魔法という彼等には無かった技術を使い、一度は上手くいきかけた。
 だが、失敗した。彼等と同じ立場になる事すら出来なかった。
 たった一人の赤ん坊によって、彼の覇道は阻止された。
「……実に滑稽だ」
 並ぶ所じゃない。赤ん坊に滅ぼされた革命家など他に類を見ない。
「ハリー・ポッター……」
 ヴォルデモート卿は仇敵の名を口の中で転がす。味わうように、堪能するように、赤ん坊だった少年の顔を脳裏に浮かべる。
 今、かの少年は彼の手下の息子に傾倒していると聞く。ドラコ・マルフォイ。実に優秀な子供だと手下共は褒め称えていた。
 いずれにしても、今は手を出すべき時ではない。故に、その手腕を見守る事にした。
「知っているか、ハリー・ポッター」
 彼はペットの蛇を撫でながら囁く。
「魔法使いはマグルに怯えている。だから、隠れているのだ。虐げられた過去を忘れる事が出来ず、まるで肉食動物に見つかる事を恐れている仔ウサギのように……」
 帝王は言う。
「あまりにも惨めではないか……。あまりにも情けないではないか……。何故、かような劣等種が表通りを闊歩する? 何故、表通りだけでは飽きたらずに魔法界にまで手を伸ばす『奴等』の蛮行を許しておける?」
 帝王は呟く。
「目を覚まさねばならん。不当な扱いに屈してはならん。立ち上がらねばならん」
 彼がまだ学生だった頃、一人のゴーストに出会った。
 ほとんど首無しニックと呼ばれる男のゴーストは切れない斧で何度も首を切りつけられ、惨殺された。
 魔女狩りの時代。
 逃れた者と逃れられなかった者がいた。
 逃れられなかった者の多くは子供だった。杖を持たず、力を完璧に制御する事が出来なかった子供達はマグルに見つかり、虐待を受けた後に惨殺された。
 その歴史から目を逸らし、マグル生まれを迎え入れようとする者達。彼等こそ、魔法界を衰退させる元凶。マグル生まれ共々排除しなければならない癌細胞。
「マグルは変わらん。何時の時代も魔法使いを排斥しようとする」
 思い出すのは幼き日の事。孤児院で彼は世の理不尽を知った。
 怪物を見るような目。下劣な言葉。痛み。
「私が……、世界を変える」
 その為には力が必要だ。今のままでは足りない。
「まずは駒を揃えねば……」

「いよいよだね! 誰が代表選手に選ばれるのかな?」
 ハリーが夢見るような表情を浮かべて言った。
「ダンから聞いた話なんだけど、1792年のトーナメントではコカトリスが大暴れしたんだってさ!」
 最近、少し忙しく動いていたせいでハリーとの時間を取れなかった。
 久しぶりにジックリと会話が出来て楽しいと感じているのはハリーも同じみたい。
「コカトリスはとても凶暴な魔法生物だからね。ゾッとするよ」
「今回のトーナメントはどんな種目になるのかな?」
「うーん。きっと、歴代のトーナメントに負けず劣らずの派手な試合になると思うよ。ドラゴンと一騎打ちとか」
「ドラゴンと!?」
 それにしても、ハリーは実に表情豊かになった。出会ったばかりの頃とは比べ物にならない。
 僕とばかり行動を共にしていた頃とも違う。
 ダンの影響だ。彼はいつだって、自分の思うがままに行動する。
 最近、二人で格闘技の真似事をしている所をよく見かけるようになった。ちょっと複雑な気分。
「それかハグリッドの尻尾爆発スクリュートと一騎打ち」
「……それは嫌だな」
 去年からハグリッドが魔法生物飼育学の教師になり、色々と凶暴な魔獣を僕達にけしかけて来る。
 五体満足でいられる事が不思議な程、彼の授業は緊張感に満ちていて、スリザリンばかりではなく、全ての寮の生徒が彼の授業を恐れている。
 人柄だけで彼の授業は存続しているようなものだ。授業の内容もあまり将来の役に立つとは思えないし……。
「せめて、アドバイスを聞き入れてくれたら……」
 ハリーも若干ウンザリしている。何度か彼に授業の教材の事でアドバイスをしたのだけど、聞く耳持たずといった感じ。
 彼の凶暴な魔獣に対する愛は生徒の安全よりも大切らしい。ハーマイオニーやルーナも愚痴を零していた。
「おっと、そろそろみたいだね」
 皿から食べ物が綺麗さっぱり消え去った。
 二日に渡って開かれたハロウィンパーティーも終わり、ついに炎のゴブレットが代表選手を決定する時が来た。
 ダンブルドアが壇上に上がると、その両脇にボーバトン魔法アカデミーの校長とダームストラング専門学校の校長が立ち、その隣にバグマンとクラウチも続く。
「……あれ?」
 ダンブルドアが杖を振り上げた瞬間、ハリーが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、あのクラウチって人と目が合って……」
 途端、大広間内の蝋燭の明かりが一斉に消えた。
 ただ一つ、青々としたゴブレットの炎だけが冴え冴えと輝いている。
 その光が一際強くなった時、焦げた羊皮紙がゴブレットから飛び出した。ダンブルドアがその長い手で掴み取り、名前を読み上げる。
「ダームストラング専門学校の代表選手はビクトール・クラム!」
 クィディッチのナショナルチームに所属しているクラムはホグワーツでも大人気だ。
 スリザリンの生徒も彼の活躍に期待を寄せている者が多い。
 ダームストラング専門学校は偉大なるブルガリアの魔女、ネリダ・ブルチャノバによって創立された。
 マグル生まれが入学する事を決して許さない徹底した純血主義を掲げていて、スリザリンの気質と非常に似通っている分、共感を示す生徒が多いのだ。
「ボーバトン魔法アカデミーの代表選手はフラー・デラクール!」
 ダンブルドアに名を呼ばれたボーバトンの女生徒はシルバーブロンドの髪を靡かせ、レイブンクローとハッフルパフの席の間を優雅に歩く。
 ハッとするような美人だ。確か、魅了の能力を持つ魔法生物との混血だった筈。
 その力は絶大で、彼女の歩みを目で追わない男子生徒が一人も居ない程だ。
「ホグワーツ魔法魔術学校の代表選手はセドリック・ティゴリー!」
 ハッフルパフの生徒が大歓声を上げた。
 これまで、影に隠れがちだった彼等の寮の生徒が栄光ある三大魔法学校対抗試合の代表選手に選ばれたのだ。
 寮の生徒全員が一斉に立ち上がり、絶叫した。拍手だけでは物足りぬとばかりに足で地面を踏み鳴らし、その振動で城全体が揺れているかのような錯覚を覚えた。
「結構! これで三名の代表選手が決まった。選ばれなかった生徒諸君もあらん限りの力を振り絞って、彼等を応援するのじゃ! 声援を送り、試練に挑む彼等に主等の力を貸し与え――――」
 その時、あり得ない事が起こった。
 炎のゴブレットが再び焦げた羊皮紙を吐き出したのだ。
 三人の代表選手が決まっている以上、もう新たな名前がゴブレットから飛び出す事は無い筈だ。
 全員の視線がダンブルドアに向かう。
「……ハリー・ポッター」
 長い沈黙の後、ダンブルドアが羊皮紙に記された名を読み上げた。
「……え?」
 誰も声を発しない。ただ、視線をハリーに向けている。
「どうやったんだ……」
「ち、違う! 僕は名前なんて入れてない!」
 僕が呟いた言葉にハリーが反応を示す。
「分かってる。ハリーじゃない。他の人間だ」
 僕の声が静まり返った大広間の中でよく響いた。
 予想外の事態だが、犯人の目星はついている。問題は他の生徒が騒ぎ出す事。良からぬ手段で代表選手の座を射止めたと勘違いした生徒達によってハリーが孤立する事を防がなければいけない。
 それはヤツの思う壺だ。
「炎のゴブレットには闇祓いが常駐していたし、年齢線もある。加えて、ハリーは僕かダンと四六時中行動を共にしていた。ハリーが自分で名前を入れる事は不可能だ」
「なら、他の人に入れてもらったんじゃ……。上級生とかに」
 恐る恐るといった様子で近くにいた生徒が囁く。
「それもない。炎のゴブレットには本人が名前を書いた羊皮紙を入れなければならない。上級生に頼んで入れて貰っても無意味だ」
「で、でも、実際にハリーの名前が!」
「だから、不思議なんだよ。少なくとも、学生には不可能だ。炎のゴブレットには強力な魔法が幾重も掛かっている。そのゴブレットを騙すとなると、高度な闇の魔術を使われた可能性が高い」
「ドラコ! なら、誰がハリーを代表選手にしたんだ? 何の目的で?」
 グリフィンドールの席からフレッドの声が飛んで来た。 
「ダンブルドアがやったのでは? ホグワーツの生徒を二人選出して勝利を確実のものにするために!」
 僕が答える前にダームストラングの生徒が荒々しい声で叫んだ。
「そんなワケないだろ! 相手を考えてから喋れよ、ウスノロ!」
「なんだと!?」
「っていうか、マジで誰がハリーを代表選手に?」
「そう言えば、クィディッチ・ワールドカップで闇の印が……」
「もしかして、死喰い人!?」
 生徒達が騒ぎ始めた。だけど、誰もハリーを責めていない。
 先手を打った甲斐があった。教員や闇祓い達もハリーを壇上に呼ぶ事無く、互いに囁き合っている。
「ハリー。炎のゴブレットに選ばれた以上、君は代表選手として試練に立ち向かわなければいけない」
「で、でも、僕……」
「古代の魔術による契約なんだ。拒絶は出来ない」
 ハリーに現状を説明しながら、僕は横目でクラウチを見た。
 どっちだ? ただの暴走か、それとも、帝王から密命を受けているのか……。
 判断材料が無い今、断定は出来ない。
 いずれにしても、僕はハリーの友人だ。この立ち位置は帝王が望んでいる事でもある。
 だから、今の行動で僕の立場が悪くなる事は無い筈だ。
「ハリー。これは十中八九、死喰い人が仕掛けた罠だ」
「なっ……!」
「僕達が全力でバックアップする。勝てなくてもいい。とにかく生き残るんだ。目的が何であったとしても、君の害となる事は間違いない」
 その後、やはりハリーの参加を取り消す事は不可能という結論が出て、ハリーは選手の控室へ連れて行かれた。そこで説明を受けるらしい。
 その間、大広間ではあれこれと憶測が飛び交い、軽いパニックを起こす者も出始めた。
 やむなくダンブルドアが爆音で無理矢理黙らせたが、それでもヒソヒソ声は止まらない。
 結局、その日は解散する事になった。

 スリザリンの寮に戻った僕達は談話室で今後の事を話し合った。
「クラウチの暴走。それが一番可能性として高いと思う」
「でも、ひょっとしたら帝王から密命を受けたのかも……」
「だが、今は水面下で勢力の拡大を図っている時期だろ?」
 話し合いの最中、様々な意見が飛び交った。
 だが、これだという意見は中々出て来ない。
 結局、ハリーが帰って来ても結論を出せないままだった。
 とりあえずの方針としては帝王から指示が下るまで、僕の主導でハリーのバックアップを行うという事で決まった。

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