「なんか、妙な気分だな」
士郎の言葉にアーチャーは肩を竦める。
「当然だろう。ドッペルゲンガーと食卓を囲む機会など早々あるまい」
「……中華料理作れるんだな」
「色々あってな。料理のレパトリ―も無駄に増えてしまったよ。精々味わう事だな。貴様では未だ到達出来ぬ高みの味だ」
「……食べてやろうじゃねーか」
挑発的なアーチャーの視線に士郎も負けじと睨み返す。
二人を見つめる周りの目は実に温かいものだった。自分同士で張り合う人間など早々いない。温かいというより、若干生温かい。
「……クッソ」
士郎は一口食べて敗北を実感した。
そのマーボーはまさしく至高の逸品。麻味と辣味を極めた料理人の繰り出す味だった。
舌の上で弾ける旨味に悶絶しそうになる。未だに手を出した事の無い中華という世界。そこに王者の如く君臨する目の前の|男《じぶん》。
その狭間に広がる距離はあまりにも遠い。一体、如何なる研鑽を積めばこの領域に辿り着けるというのか……。
「美味しい!!」
アストルフォの歓喜の叫びに士郎は苦悩の表情を浮かべる。
彼女の《美味しい》を出来る事なら自分の料理で聞きたかった。
「……アーチャー」
士郎は未来の己を睨む。
「なんだ?」
アーチャーは過去の己を見下す。
睨み合う同一人物達。周りは楽しそうにヒソヒソ話をしている。
やがて、士郎は言った。
「……必ず、超えてみせる!」
「吠えたな。だが、世界中の名のある料理人とメル友になった私の領域に辿り着けるものかな」
何をしているんだコイツ。士郎以外の面々が若干冷静になってツッコミを入れそうになった。
「せ、世界中の料理人と……、だと?」
戦慄の表情を浮かべる士郎。
周りでは「楽しそうだね、二人共!」とか、「仲いいねー」とか、「先輩凄いです!」とか言われているが、二人の耳には入っていなかった。
そうこうして、楽しい団欒の一時が過ぎていく。
「さて、私は偵察に出るとしよう」
食事の後片付けが終わると、アーチャーが言った。
「偵察ですか?」
「生き残るという事は勝利するという事と同義だ。そして、勝利するにはまず敵を知らねばならない。幸い、此方には二騎のサーヴァントがいる。ライダーには私が留守の間、この家の守護を頼みたい」
「まっかせといてー!」
若干不安そうな表情を浮かべるアーチャー。
「いいか、未熟者。貴様に出来る事など高が知れている。無闇に手をのばそうとするな。守るべきものを見定め、その為に全力を尽くせ」
「……ああ」
士郎が険しい表情を浮かべながら頷くと、アーチャーは大河に向かって言った。
「言いそびれていた。出来れば、聖杯戦争が終わるまでこの家に来る事は控えたほうがいい」
「それは駄目よ! 士郎と桜ちゃんが危ない目にあってるのに、保護者として放置する事は出来ないもの!」
言うだけ無駄だと分かっていたが、あまりにも予想通りの言葉にアーチャーは苦笑した。
「ならば、あまり私やライダーと離れないでほしい」
「……分かったわ、アーチャー士郎」
「そのアーチャー士郎もやめてほしい。アーチャーだけでいいと言っただろ!」
「えー」
「えー、じゃない! おい、未熟者! その辺の事をしっかり説得しておけ!」
「別によくないか? アーチャー士郎でも赤士郎でも」
「なら、貴様がアーチャー士郎を名乗れ」
「遠慮しとく」
睨み合う同一人物同士。やがて、士郎がため息をこぼした。
「わかったよ。ちゃんと言っとく」
「……ならば、私は行くぞ」
「ああ」
「無茶はしないでね!」
「気をつけてくださいね!」
「がんばってねー!」
飛び去るアーチャーにそれぞれ声を掛けた後、士郎達はしばらくの間彼の立ち去った夜空を見つめ続けた。
「とりあえず、アーチャー士郎ってのはやめような」
「えー」
「やめような?」
「……はーい」
◆
時刻は22:00。人や車の往来があって当たり前の時間帯にも関わらず、辺りは静かだった。
聖杯戦争が始まり、街は本能的に怪異を恐れ身を隠している。
「それじゃあ、おっ始めようか!」
その掛け声と共に戦闘が始まった。
遠坂凛は目の前で繰り広げられる英霊同士の激突に魅入っている。目で追い切れない程のスピード。剣と槍が激突する度に粉砕するコンクリートや街路樹。
人智を超えた存在による、人智を超えた戦い。
彼女がまばたきをする一瞬の間に彼等は何度も相手に死を送り、自らの送られた死を乗り越える。
「これが……サーヴァント同士の戦い」
鳥肌が収まらない。
二騎の放つ気迫が突風となり大気を揺るがす。
そして、鳴り響く金属音はまるでオーケストラが紡ぐ名曲の如く心を揺さぶる。
「ッカァァッァァァアア!!!」
「ハァァァァァアアアア!!!」
ランサーの槍は点である筈の攻撃を壁の如く繰り出す。
そして、セイバーの剣はその壁を一撃の下に粉砕する。
これはもはや天災同士の激突。嵐と嵐が互いの存在を喰らい合う。
「その程度か、ランサー!!」
すでに凛は何時間も戦っていたかのような疲労感を感じている。
だが、戦闘が始まってから今の時点で経過した時間は僅か十五秒。
「ぬかせ、セイバー!!」
それは互いの実力を測るのに十分過ぎる時間だった。
セイバーは勝利を確信する。目の前の槍兵の技量は目を瞠るものがあるが、その程度では――――、
「我が剣には届かんぞ、ランサー!!」
形勢は一気にセイバーへと傾いた。一撃ずつランサーは劣勢に立たされていく。
起死回生を狙うが、その悉くを阻まれ、ランサーは舌を打った。
その一気呵成、怒涛の勢いにランサーの殺意が極限へ達する。
「――――ッセイバー!!」
凛が叫ぶ。
極大な魔力がランサーの槍に収束していく。
間違いない。それは宝具発動の前兆。
だが、セイバーは止まらない。直感の囁きのまま、彼女は声を張り上げた。
「リン!!」
その声に凛は応えた。寄せられた信頼。それに応えずして、何がマスターか!
彼女は宝具発動の前にランサーを叩くつもりだ。その為にはあと一歩疾さが足りない。
ならば、その一歩を後押しするのが自らの役目。
――――使うなら、今!!
「セイバー!!」
令呪の発動に必要なものは意思の力。今、凛とセイバーの思考はシンクロしている。
――――もっともっと疾く!!
「いっけぇぇぇぇぇ!!」
重なり合う二人の意思に二人を繋ぐ|令呪《キズナ》が輝く。
青き光がセイバーを包み込み、この瞬間、最強のサーヴァントが更なる高みへ到達する。
一歩。その尋常ならざる速度によって生み出された歩みは大地に巨大な亀裂を作り、空気を軋ませた。
そして、繰り出される必殺の一撃。
「……楽しかったぜ」
宝具の発動直前だったランサーは静かに微笑んだ。
ここに至るまで、気に入らない事だらけだった。だが、この戦いに関してだけは文句のつけようがない。
強いて言うなら、もっと戦っていたかった。
「ッハァァァァァ!!」
振り下ろされる斬撃はランサーの体を真っ二つに引き裂いた。戦闘続行のスキルを持って尚、決定的な致命傷だった。
これでは仕切りなおす事も出来ない。
聖杯戦争開始から一日目。早くもサーヴァントが一体脱落した。
「さて、残るは五人。どうしますか?」
一戦を終えて尚消耗した様子を見せず、セイバーは己が主に問う。
「さーて、どうしたものか……っと、あれ?」
凛は瞼を閉じた。そして、ニヤリと笑った。
「使い魔を通して他のサーヴァントを一騎捕捉したわ。いけるわよね?」
「無論!」
敵を一人討ち倒した直後にも関わらず、二人の闘気は冷めることを知らない。
その圧倒的な光景を一人の男が見つめていた。
目を見開きながら、アーチャーは自らの主に報告した。
「……ランサーが死んだ!」