Act.4 《Nothing ventured, nothing gained》

「マスター。一つだけ質問をしてもいいか?」

 アーチャーのサーヴァントは頭を垂れるまでの僅かな時間に多くの事を考えた。
 その結論がこの質問に集約されている。

「な、なんですか?」
「君にとって、勝利とはなんだ?」
「勝利とは……」

 彼女が聖杯を望むというのならば構わない。憎き相手を滅ぼしたいと願うのならば、それでもいい。
 だが、もしも彼女がアーチャーの想像した通りの解答を返せば、その時は……。

「生き残ることです」

 桜は言った。

「私は先輩と先生を守って、これから先も一緒にいたいんです!」

 不思議な感覚だった。相手は聖杯を求めて召喚に応じたサーヴァント。ただ生き残りたいなどと言っても呆れられるだけだ。
 分かっているのに、何故か口から本心が飛び出した。隠したり、偽る気になれなかった。

「――――そうか」

 アーチャーは瞼を閉じた。彼には一つの目的があった。それだけを希望に絶望の中を彷徨い続けてきた。
 腕をほんの一振りするだけ……いや、それすら必要ない。ただ、念じるだけで彼の望みは叶う。それほど、彼の標的は無防備だ。
 主である少女の背後に立つ少年。彼を殺す事こそが彼にとっての至上目的。

「勝てば……君は幸福になれるのか?」
「え……? は、はい!」

 その強い決意を宿した眼差しを見て、アーチャーは自らの目的を果たす事を諦めた。
 なぜなら――――、

「ならば、是非もない。サーヴァント・アーチャー。名はエミヤシロウ。如何なる難敵も討ち倒し、君を……君達を守り通そう」

 |家族《サクラ》の幸福を踏み躙る事など、もう二度と御免だからだ。

「……え?」

 桜はキョトンとした表情を浮かべている。
 それは背後に控える大河や士郎、アストルフォも同様だ。

「……あの、聞き間違いですか? その……、今……」
「エミヤシロウ。それがオレの真名だよ、桜」

 彼女の幸福を守れる可能性がある。ならば、自らの《|自分殺し《よくぼう》》を満たす機会を期待する暇などない。
 全身全霊を持って、あらゆる敵を殺し尽くす。

 嘗て、彼は彼女を切り捨てた。ずっと一緒に居た癖に彼女の苦しみを分かってやれず、挙句の果てに命を奪った。
 その彼女に召喚され、その彼女が幸福になろうとしている。
 ならば、選択の余地などない。

「せ、先輩……? だって……、え?」

 桜は混乱している。後ろに立っている士郎を見て、助けを求めている。

「……お前が、俺?」

 士郎も混乱している。だが、その混乱は桜や大河達のものと些か異なる。
 アーチャーがエミヤシロウである事。その事に何の疑問も抱かず納得してしまった。
 目の前の存在が己自身であると理解してしまったが故に混乱している。

「し、士郎……?」

 大河も混乱している。彼女もアーチャーが士郎と同じ存在である事に納得してしまった。
 獣の勘とでも言えばいいのか分からないが、彼がエミヤシロウだと理解してしまった。
 だからこそ、許容量を超えてしまった。

「どーいうことなのー!?」

 ひっくり返る大河をアストルフォが慌てて支える。この中で一番冷静なのは皮肉にも理性が蒸発していると謳われる彼女だった。

「……あー、君達。とりあえず落ち着け」

 大混乱を巻き起こした張本人が咳払いと共に言った。

「落ち着けって……あの、本当に先輩なんですか? ど、どうして……、その」

 おどおどしている桜にアーチャーは少しだけ後悔した。
 真名を名乗ったのは一種の決意表明だった。二心など持たず、彼女の味方として戦い抜く為の……。
 
「そこの未熟者の夢を知ってるか?」
「……えっと、正義の味方ですか?」

 恐る恐る答える桜。士郎自身があまり語りたがらない為にあまり口外した事は無かった。

「その夢をいい年して追いかけ続けた結果がオレだよ」
「せ、正義の味方になれたって事か?」

 士郎の言葉にアーチャーは不機嫌そうな表情を浮かべた。

「目的は果たせんが、矯正くらいはさせてもらうか」
「は?」

 アーチャーは士郎の頭を掴んだ。
 突然の暴挙に全員が声を上げるが、彼は直ぐに手を離した。
 戸惑う士郎にアーチャーは言った。

「今夜見る悪夢の内容は全て事実だ。そこから先は悩み続けろ。少しはマシになる筈だ」
「あ、あの……えっと、先輩?」
「私の事はアーチャーでいいよ、マスター。些かハメを外し過ぎたな」
「で、でも――――」

 その時だった。突然、大河が悲鳴を上げた。

「どうした!?」
「どうしました!?」
「どうしたんだ!?」
「どうしたの!?」

 一斉に顔を向けられた大河は泣きそうな顔をしていた。

「ど、どうしよう……。もう、こんな時間……。遅刻だぁぁぁぁ!!」

 揃ってズッコケそうになった。

「遅刻って、どこか行く予定だったの?」

 一人呑気なアストルフォ。

「学校よ! どうしよう……。急いでも絶対に間に合わない……」

 しおれていく大河にアストルフォはふふんと胸を張った。

「なんだかよくわからないけど、ボクに任せておきたまえ!」

 そう言うと、ライダーは虚空に向かって声を張り上げた。

「おいでー!」

 すると、上空にまるでガラスをトンカチで叩いたかのような亀裂が走った。
 そこから一頭の幻馬が姿を現す。鷲の顔と馬の体を持つ幻想の生物が今、衛宮邸の庭に降り立った。

「この仔に乗れば地球の裏側だってひとっ飛びさ!」
「ちょ、ちょっと待て、アストルフォ! 真っ昼間からそんなのに乗ったら――――」
「間に合う!? 間に合うのね!! 乗せて、アストルフォちゃん!!」
「ちょ、藤ねえ!?」
「よしよしオーケイ! マスターも何か心配事があるなら一緒に乗ればいいさ! 行くよ、二人共!」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ!!」
「ゴー!! |この世ならざる幻馬《ヒポグリフ》!!」

 アストルフォの華奢な体躯からは想像もつかない力で幻馬に強制的に跨がらされた二人は一瞬の内に天空高く舞い上がった。
 あまりの事態に呆気に取られるアーチャーと桜。

「……桜。ところで、アイツが召喚したのは誰だ?」
「え? えっと、アストルフォさんですけど……」
「……セイバーじゃないのか」

 もはや見えなくなった主従プラスワン。
 アーチャーは今更な疑問を抱いたのだった……。

 上空三千メートル。普通、生身の人間がそんな場所にいたら凍死してしまうが、何故か三人は快適な空の旅に興じていた。

「いや、どこに向かってるんだよ!?」
「え? ……どこだっけ?」
「学校!! 学校よ!!」
「学校って、どこにあるの?」

 結局、学校に辿り着けた時、完全に遅刻の時間帯になっていた。
 アストルフォは一人にしておくと何をしでかすか分からない。僅かな時間でその事を実感した士郎は一人煤けた背中で歩く大河を見送り二人で再び天に舞い上がった。

 ◆

 その光景を一人の少女が見ていた。

「リン。たった今、ライダーを捕捉しました。マスターと思しき者が二人居ますが、どうします?」

 大河が泣きながら駆け込んだ学校。その屋上に佇む少女がラインを通じて自らのマスターに問い掛ける。

『思しき者が二人って、どういう事?』
「言葉の通りです。ライダーは幻想種を操り、一人の女性を裏の林で降ろすと、別の男性を乗せたまま天に駆け昇って行きました」
『ちなみにその女性の特徴は?』
「些か目を引く装いでした」

 少女が告げた女性の特徴を聞き、リンと呼ばれた彼女のマスターは該当者を割り出した。
 
『藤村先生……? うーん、接触してみるべきか否か……』
「ちなみにどういった人物なのですか?」
『竹を割ったような人。裏表が無くて、私が知る限り魔術師とは正反対の人柄よ』
「……ですが、ライダーと繋がりがある事は確実です。なんらかの対処をすべきでは?」
『……考えてみるわ。とりあえず、使い魔で監視をしておく』
「それでは手緩いのでは?」
『あの人の事、少し苦手なのよね……。って、好き嫌いしてる場合でもないか。そうね、様子見は一晩だけにする。それで何も分からないようなら仕掛けるわ』
「では、今晩は昨日と同じく?」
『ええ、新都に足を伸ばして敵捜しよ。なんなら、ちょっと挑発でもしてみましょうか』
「……それも悪くありませんね」

 セイバーのサーヴァントはマスターとの念話を終えると街を見下ろした。
 嘗て、彼女はこの地に来た事がある。今回と同じく、聖杯戦争に招かれたサーヴァントとして……。

「のどかだ……」

 聖杯戦争が始まっても、学生としての生活を維持すると主張したマスター。
 前回のマスターとは似ても似つかない。人質を取ったり、無関係な一般人を巻き込むような手を彼女は厭う。
 戦争を勝ち抜く為には捨てるべき甘さだと思うが、同時に好ましいあり方でもある。
 
「……必要ないか」

 彼女は前のマスターとは違う。影で動く必要などない。甘さを捨てる必要もない。
 真正面から堂々と勝ちにいける強さを持っている。
 ならば、彼女の剣として己の為すべき事はひとつ。

 その夜、未遠川に沿う遊歩道で彼女は挑発行為を行った。何の事はない。殺意と魔力を適当にばら撒いただけだ。
 その挑発に乗った者が一人。

「いいね、その殺意。最高だぜ」

 青き槍兵が真紅の槍を携え現れた。

「よくぞ来たな。貴様が今回の聖杯戦争の最初の脱落者だ」
  
 戦端が開く。マスターから供給される莫大な魔力を糧に、最強のサーヴァントが最初の獲物に牙を剥いた。

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