Act.3 《Bad luck often brings good luck》

 聖杯戦争。たった一つの聖杯を巡り、七人の魔術師が七人のサーヴァントを使役して殺し合う戦いの儀。
 桜が一連の説明を終えると、いつもは賑やかな衛宮家の居間が静まり返った。

「そっか……。もしかして、最近噂になってるガス漏れ事故とか通り魔も?」
「はい。十中八九、聖杯戦争の参加者が引き起こした事件だと思います」
 
 士郎は手の甲に視線を落とした。そこには真紅の模様が浮かんでいる。
 令呪と呼ばれる三回限りの絶対命令権。これを使えば、サーヴァントに対していかなる命令でも強要する事が出来る。
 これは殺し合いの為のもの。

「桜ちゃんが魔術師……。士郎も魔術師……。しかも、街中で殺し合い……」
「藤村先生。信じられない話かもしれませんが、事実なんです」

 なんなら証拠を見せますよ。そう言い掛けた桜を手で制して大河は言った。

「桜ちゃんの言葉だもの。疑ったりしないわ。ただ、ちょっと整理し切れていないの……」

 普通の人ならこんな話、冗談か嘘だと断じて取り合わない。だが、大河は疑う素振りすら見せなかった。信じたからこそ、考え込んでいる。
 桜は複雑だった。荒唐無稽とも言える話をアッサリ信じてくれた事を嬉しく思うと同時に大河を魑魅魍魎が跳梁跋扈する魔術の世界に引き込んでしまった事に恐怖を感じている。
 後悔はしていない。大河はおおらかな性格だが、その実鋭い感覚の持ち主でもある。彼女は決して人を騙さず、決して人に騙されない。召喚とか、サーヴァントという単語を聞かせてしまった時点で、いつか辿り着かれてしまう。その時、彼女は思うだろう。士郎の身の安全や街の保安の事を。
 その時、桜や士郎が傍にいればいい。だけど、どちらも傍にいられなかった時、彼女が動けば最悪の未来が待ち受けている。魔術協会や聖堂教会は神秘の漏洩を決して善しとしない。良くて記憶の消去、悪ければ……。
 寒気がする。桜にとって、この家は特別だ。一緒に団欒して過ごした士郎と大河。二人の内、どちらを失っても耐え切れなくなる。

「先輩。藤村先生。出来れば、二人には逃げて欲しい……、です。しばらく、この街を離れてくれればいずれ闘争に決着がついていつもの日常が戻って来ますから……」
「……でも、人が死ぬんだよな?」
「この街が……」

 この街から離れて欲しい。だけど、二人の性格を考えると……。
 二人はどこまでも善良だ。赤の他人の不幸を見捨てて置けない程優しい性格をしている。

「なあ、桜。一つ聞かせて欲しい」
 
 士郎は言った。

「十年前の火災。あれもひょっとして……」

 士郎の言葉に大河が目を見開く。
 桜は震えながら頷いた。

「……そうか」

 士郎は何度も悪夢を見ている。子供の頃から何度も、何度も、何度も……。
 その事を桜と大河は知っていた。そういう時、二人は必死に励まそうとしてきた。
 家族や友達、住んでいた家すら失った少年。その原因が聖杯戦争にあると分かり、彼の意思は固まってしまった。

「なら、俺は……」

 士郎の瞳が黙って三人の話に耳を傾けていたアストルフォに向けられる。

「戦う。戦わなきゃいけない……」

 事情を完全に把握出来たわけじゃない。それでも、その瞳に宿る強い意思を見て、アストルフォは微笑んだ。

「一緒に……、戦ってくれるか?」
「もちろんだよ、マスター! その為のサーヴァントさ」

 過去に偉業を為した英雄。その絶大な力に抗うには同じ力を持つ存在をあてがうしかない。
 桜にそう説明されたが、イマイチ実感が湧かない。なにしろ、アストルフォは花のように可憐な少女だ。守るというより、守られるべき存在に見える。

「うーん……」

 大河は悩んでいる。出来れば士郎に危ない事などしてほしくない。だけど、何もしなければ死人が出てしまう。
 生まれ育った街で誰かが悲劇に見舞われる。
 彼女の実家は藤村組という極道組織であり、彼女自身は教師だ。それ故に横の繋がりが果てしなく広い。この屋敷や藤村邸が彼女の家なら、冬木市全体が彼女の庭なのだ。
 単なる正義感ではない。親愛なる隣人達を守りたいという情が彼女を悩ませる。

「……今から、私もサーヴァントを召喚します」
「え?」
「はい?」
「おー!」

 反応は三者三様だった。

「ちょ、ちょっと待てよ桜!」
「桜ちゃん! サーヴァントを召喚するって、それってつまり、桜ちゃんも聖杯戦争に参加するって事でしょ!?」
「いいねいいね!」

 止めようとする二人。煽る気まんまんの一騎。
 桜は手をパンパンと叩いて静かにさせた。時折、大河は暴走する。士郎も稀に暴走する。そういう時、彼女はこうして二人を止める。
 
「私が二人を守ります」

 聖杯戦争に参加する理由なんてなかった。ただ、命じられたからその為の準備をしていただけだった。
 今は違う。参加する理由が出来た。
 桜は縁側に出ると、置いてある中庭用の靴を履いて土蔵に向かう。士郎や大河、アストルフォも慌てて追い掛ける。
 土蔵の中に入ると、桜は地面を見つめた。そこにはサーヴァント召喚用の魔法陣が刻まれている。
 これは家の持ち主である士郎も管理していた大河も知らなかった事だが、十年前にここでサーヴァントの召喚が行われた。
 士郎の父である衛宮切嗣はこの場所でセイバーのサーヴァントを召喚し、迫り来る敵を悉く完封したという。
 未遠川という冬木市を二分する川の中腹にある壊れた船は当時の名残だ。あそこで切嗣が召喚したセイバーが天空を舞うドラゴンに跨る騎士を打ち倒した。

「……桜。やっぱり、お前は遠くに逃げて―――――」
「お断りします!」

 士郎の言葉を遮り、桜は自らの意思で初めて魔術回路を起動した。

「先輩と先生は私が守ります!」

 この二人を置いて逃げるなんて、出来るわけがない。この家があるから、この二人がいるから私は人であれた。
 桜は決意を固めて陣の前に立ち、呪文を唱え始める。
 士郎は必死に止めようと声を荒らげた。大河も同様だ。それでも、桜は止まらない。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 その祝詞が土蔵を満たした時、明らかに空気の質が変化した。
 士郎がアストルフォを召喚した時、彼は眠っていた。だからこそ、この変化に大河と同じくらい驚いている。
 渦巻くエーテルが嵐のように荒れ狂い、その空間を異界化している。

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るベに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」

 サーヴァントを召喚する際、英霊の触媒が必要となる。
 桜は知らない。大河も知らない。士郎は気づいていない。
 この場にサーヴァントの触媒となる聖遺物が《二つ》も混在している事に――――。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 光が迸る。二つの聖遺物は二騎の英雄に糸を伸ばした。その二つの内、桜が自らの意思を持って手繰り寄せた縁は一つ。
 光の中からそのサーヴァントは姿を現した。

「サーヴァント・アーチャー。召喚に応じ参上した。……ふむ、こういう事もあるのか」

 金糸の刺繍が交じる真紅の外套。褐色の肌。逆立つ白い髪。
 アーチャーのサーヴァントは皮肉げに笑みを浮かべながら自らのマスターに頭を垂れる。

「これより我が身は御身の剣となり、盾となる。ここに契約は完了した」

 ◆

 それから殆ど間を置かず、衛宮邸から少し離れた場所で知り合いの神父にせっつかれた一人の少女が召喚を行った。
 現れたサーヴァントは青い衣に白銀の鎧を纏う少女。

「問おう。貴方が私のマスターか?」

 最強のマスターが最強のサーヴァントを引き当てていた。

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