Act.28 《Golden Days》

 夢を見ていた。遠い昔の夢だ。まだ、私に妹がいた頃の記憶。
 公園でお母様に見守られながら走り回った。時には取っ組み合いをした。宝石のような日々だった。
 ある日、妹は赤の他人になった。お父様の決定だ。魔術師の家に後継者は二人も要らない。先に生まれたからという理由で私は残され、妹は捨てられた。
 私はただ見ているだけだった……。

「……ここ、どこ?」

 遠坂凛は見知らぬ場所で目を覚ました。
 頭がボーっとする。体がダルい。

「えーっと……」

 なんとか前後の記憶を取り戻そうと眉間に皺を寄せる。
 寝起きは頭が働かない。もどかしく感じながら、唸り声を上げる。

「……あっ、そうだ! セイバー!」

 五分掛けて漸く頭が冴えてきた。記憶はセイバーと共に円蔵山へ向かった所で途切れている。
 山門で固まる三騎のサーヴァントに宝具を使った事までは覚えている。その後から現在に至るまでの記憶がない。

「……なるほど、負けたわけね」

 瞼を閉じる。魔術回路を起動し、全身の状態を確認する。回路、刻印、共に問題なし。

「逆に怖いわね……」

 周りを見回す。和風の部屋だ。

「柳洞寺……?」

 ゆっくりと立ち上がる。すると立ち眩みを覚えた。足に上手く力が入らない。

「肉体に異常は無い筈……。どのくらい寝ていたのかしら……」

 気合を入れなおして部屋を出る。すると、ここが柳洞寺ではない事が分かった。
 明らかに住宅街の一画だ。

「ここは……」

 何度か来たことがある。こっそりと中の様子を伺う為に……。

「桜が通っている……」

 一つ下の後輩が足繁く通う男の家だ。

「どうして……」

 分からない。どうして自分がここにいるのか、見当もつかない。
 
「……起きたか」

 突然、目の前に赤い外套を纏う男が現れた。

「サーヴァント!?」

 咄嗟に身構える。そして、漸く自分の身に起きた異変に気がついた。
 目を見開き、腕にある筈の刻印を探した。

「セイバー……?」
「彼女は死んだ」

 アッサリと男は言った。
 セイバー。十年待った彼女の聖杯戦争のパートナー。
 彼女が抱いていた理想を体現したような少女だった。最優のサーヴァントと呼ばれるに相応しい最高のサーヴァント。
 
「死んだ……? セイバーが……」
「私も詳しい事は知らない。故に推測が混じる事を許してくれ。君達は山門を宝具で消し飛ばした後にキャスターを討つべく柳洞寺に乗り込んだ。そこでキャスターと彼女のマスターである葛木宗一郎に反撃を受け、敗北した。あの男の拳法は少々特殊で、初見ではまず見切る事が出来ない。恐らくセイバーは彼に足止めを喰らい、その間にキャスターが君を拘束したのだろう。その後、奴の宝具によって君達の契約は断たれた。アレの宝具は《|破戒すべき全ての符《ルールブレイカー》》と言って、あらゆる魔術契約を解除してしまう。その後、君を人質に取られたセイバーはキャスターによって精神を汚染された」

 淡々とした口調で埋められていく空白の時間。
 嘘だ。そう叫びたかった。
 だけど、彼の話は筋が通ってしまっている。

「……セイバーを殺したのはアンタ?」
「違う。彼女は自らの手で命を絶った。敵対し、戦った事は事実だがね……」

 悔しい。セイバーが自害した。そんな結末を迎えさせてしまった事が腹立たしい。
 国の為に戦い続けた少女。例え自分の存在が歴史から消え去る事になっても、故国の繁栄を聖杯に願おうとした王。
 間違っていると思った。彼女は十分によくやった。なら、もう休んでいい筈だ。
 絶対考え方を改めさせてやる。そう思っていた。

「……冗談じゃないわ」

 サーヴァントの癖に食べる事が何より大好きな子だった。
 凛が作る料理に毎回瞳を輝かせ、お代わりを何回もして、その時ばかりは仏頂面が崩れる。
 その顔を見る事が何より楽しかった。

「冗談じゃないわよ!! なんで……、セイバー……」
「……ここは安全だし、その部屋は君の為に用意されたものだ。落ち着くまで休んでいるといい。必要なら食事を運ぶ」

 その言葉に凛は困惑した。

「安全……? ねえ、私はどうしてここにいるの?」
「桜が君を助けると決めた。そして、助けた。それだけの事だ」
「……桜が?」

 目を見開く凛にアーチャーが頷いた。

「桜が……、私を」

 立っていられなくなった。
 だって、それは理屈に合わない。

「あの子が……」

 間桐の家に引き取られていく背中を私は見ているだけだった。
 彼女と同じ学校に通うことになっても、私は彼女を見ているだけだった。
 
「どうして……?」

 赤の他人として接してきた。姉として、彼女の為に何かしてあげた事など一度もない。
 
「……知りたいのなら彼女自身に聞くことだ。今は朝食を作っている最中だから、その後ならここに呼ぶ事も出来る」
「桜が……、ご飯を?」
「食べるか?」

 凛はゆっくりと立ち上がった。

 ◇

 桜はいつも通り起きて、いつも通り朝食の準備に励んでいた。

「うん! 会心の出来!」

 スープの味見をしてガッツポーズを決める彼女の顔に悲壮の色は欠片も見えない。
 一週間後に死ぬ。そう告げられた筈なのに……。

「桜……」
「アーチャー。姉さんはどう……、姉さん」

 振り向くと、そこに姉がいた。不安そうな顔で桜を見つめている。
 桜はニッコリと微笑んだ。

「おはようございます、姉さん」
「桜……。お、おはよう」

 凛は泣きそうな顔で挨拶を返した。
 姉さん。再びそう呼んでもらえる日を何度も夢に見た。

「座って待ってて下さい。もうすぐ支度が出来るので」
「う、うん。分かったわ」

 素直に食卓の前で正座をする凛。何度も台所に視線を向けている。

「……手伝うよ」
「はい、お願いします」

 アーチャーは彼女が手渡す食器を机に並べていく。今日は洋食のようだ。
 
「アーチャー……」
「ん?」
「ありがとうございます。姉さんの事……」
「君の決めた事だ。サーヴァントとして、マスターの選択を尊重したまでだよ」
「……そこは『君のために頑張ったよ』くらい言って欲しいです」
「さ、桜!?」

 目を丸くするアーチャーに桜はクスクス笑った。

「抱きしめてくれましたね」
「……お、おう」

 スープを手渡しながら、桜は言った。

「私の勘違いじゃないですよね?」
「……う、うん」
「じゃあ、恋人同士って事ですよね」

 笑顔でとんでもない事を言い出す桜にアーチャーは咳き込んだ。

「違うんですか?」
「ち、ち、違わないぞ!」

 哀しそうな顔をされて、アーチャーは咄嗟に否定してしまった。

「良かった」

 途端に笑顔を浮かべる桜。

「……ず、ずるいぞ」
「だって、こうでもしないと誤魔化したり、無かった事にするでしょ?」
「そ、そんな事は……」
「だって、先輩だし」

 唇を尖らせる桜にアーチャーは負けた。
 こんなに可愛い顔をされたら、もう何も言えない。黙って従う以外の選択肢などない。

「……君のために頑張ってお姉さんを助けに行ったよ。これでいいか?」
「うーん。特別に合格点にしてあげます。でも、自分から言い出せなかったから赤点ギリギリですよ?」
「しょ、精進する」

 スープを乗せた盆を持って凛の待つ食卓に向かうと彼女はジトーっとした目でアーチャーを睨んだ。

「今の会話は何かしら?」
「……き、聞こえていたのか?」
「なんで聞こえてないと思うのよ……」

 凛は溜息を零した。

「……アナタ、サーヴァントよね?」
「そうだが?」

 凛はしばらくアーチャーを見つめた後、再び溜息を零した。

「なんでもない。今の言葉は忘れてちょうだい」
「ん? あ、ああ」

 凛はアーチャーが並べたスープを見つめながら思った。
 何を言うつもりだったの? そんな資格があるとでも思っているのかしら……。
 
「おはよー!」

 ドタドタと足音を立てて大河が現れた。

「やっほー、遠坂さん!」
「ふ、藤村先生!?」

 凛は目を丸くしながらアーチャーを見た。

「彼女は一般人だが事情を知っている」
「せ、先生が……」
「おはようございます、先生」

 驚く凛を尻目に台所から出て来た桜が大河に挨拶をする。
 すると、士郎とアストルフォが縁側の方の障子を開いて入って来た。

「おはよー!」
「おはよう、みんな。遠坂! 本当に無事だったんだな」
 
 揃って食卓に座る衛宮家の面々。凛は不思議な光景を見るような表情を浮かべた。

「どうした?」

 士郎が尋ねる。

「えーっと、なんでもない」

 まるで家族の団欒に紛れ込んでしまったような気分だ。
 桜の料理に釣られて来てしまった事を少し後悔した。

「それじゃあ、いっただきまーす!」

 大河の掛け声と共に食事が始まる。サーヴァントとマスターが当たり前の顔をして食事を取り、談笑している。
 戸惑いながら、凛は桜の料理を口に運び、セイバーと過ごした日々を思い出した。
 
「美味しい……」

 桜の料理は今まで食べたどんな料理よりも美味しかった。

「……姉さん。ありがとうございます」

 思わず漏れてしまった声を聞かれ、凛は顔を真っ赤に染め上げた。
 そして、桜の笑顔に曖昧な笑顔を返す。

「料理……、上手なのね」
「えへへ、先輩に教えてもらったんです」

 ドヤ顔を浮かべる桜に凛は目を丸くした。
 学校ではこんな表情を浮かべる彼女を見た事が無かった。

「うーん。でも、完全に追い越されたな……。洋食に関しては完敗だ……」

 へこむ士郎をアストルフォが「よしよし」と慰めている。

「世界中の料理を食べ歩いたものだが、桜の料理はまさしく絶品だ」

 真剣な表情を浮かべ、まるで戦いに挑むように料理を食べるアーチャー。
 その妙な迫力に凛は少し引いた。

「うんうん。サクラの料理は世界一!」
「桜ちゃんの料理が食べられるだけで私の世界は満天の青空よ!」
「照れちゃいます……。えへへ」

 嬉しそうな笑顔を浮かべる桜。
 
「そうだ! 藤村先生。その……、少しお願いがあるんですけど」
「なになに? なんでも言ってごらん! 桜ちゃんの為なら不詳藤村大河! なんでもする所存だぞー!」

 ドーンと胸を張る大河に桜は少し照れたような仕草をしながら言った。

「わ、私も……その、藤ねえって呼んでもいいですか?」
「……へ?」

 目を点にする大河。士郎達も固まっている。

「駄目ですか……?」

 哀しそうな表情を浮かべる桜。
 まさに一撃必殺。誰も逆らえない。

「だ、駄目じゃないですよ! も、もちろんオーケーよ! 他ならぬ桜ちゃんだもん! た、試しに呼んでごらん」
「は、はい! じゃあ、藤ねえ!」

 その瞬間、大河はよく分からない感情に襲われた。
 感動とか、感激とか、そういう言葉が脳裏を過ぎる。
 今まで彼女からは《先生》か《藤村先生》とばかり呼ばれていたから一気に距離が近づいたように感じた。

「も、もう一回」
「藤ねえ!」
「もう一声!」
「藤ねえ!」
「バイプッシュだ!」
「藤ねえ!」
「余は満足じゃー」

 至福の笑みを浮かべながら寝転ぶ大河。
 普段ならだらしないと叱る士郎も今回ばかりは目を瞑った。

「今日は元気だな、桜」
「……はい! 元気です、先輩」

 その笑顔に士郎も釣られて笑った。

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