教会を後にした士郎達はその足で円蔵山に向かっている。キャスターから聞いた遠坂凛の居場所はその地下に広がる龍洞。
「シロウ、大丈夫?」
アストルフォが心配そうに声を掛ける。教会を出てから士郎の顔色が良くない。
「……少し診せてみろ」
アーチャーは士郎のおでこに手を当てた。
「どう?」
「単純に魔力切れだな」
その言葉にアストルフォは胸を撫で下ろした。
「なら、休ませてあげれば大丈夫なんだよね?」
アーチャーが頷くと、アストルフォはヒポグリフを喚び出した。その背中に士郎を乗せる。
「……アス、トルフォ」
「シロウ。頑張ったね」
「お前こそ……」
微笑み合う二人。
「……お前達は先に家に帰っていろ」
「え? でも、サクラのお姉ちゃんは……」
「彼女の事は私達に任せろ。キャスターとセイバーが脱落した以上、戦闘になる事も無かろう」
「うーん……」
アストルフォは桜を見つめた。
「大丈夫ですよ、アストルフォさん」
桜は言った。
「どうか、先輩をお願いしますね。助けてくれて、ありがとうございました」
「……サクラ」
アストルフォは言った。
「任せて」
片方は託し、片方は託された。
アストルフォは自らもヒポグリフに跨ると天に向かって駆け出した。
その姿を見つめながら、桜は寂しそうな表情を浮かべる。
「……桜」
「行きましょう、アーチャー」
「ああ……」
しばらく歩いていると、桜が口を開いた。
「……もうすぐ、終わりですね」
「そうだな……」
残る敵はバーサーカーのみ……。
それは聖杯戦争の終わりが近い事を意味する。
「アーチャー」
「なんだ?」
「サーヴァントを聖杯戦争終了後も維持する方法はありますか?」
士郎とアストルフォは愛し合っている。
だけど、今の生活はやがて終りを迎える。
「……難しいな。アストルフォは比較的負担の少ないサーヴァントだ。だが、聖杯の補助無しに維持し続けるとなれば相当の魔力が必要になる」
「どのくらいですか……?」
「単純計算でも小僧の約二十倍。それでもギリギリだな」
「二十倍……」
それはあまりにも絶望的な数字だ。桜の魔力をもってしても、|二騎《・・》の英霊を維持する事は不可能。
暗い表情を浮かべる桜にアーチャーは困ったような表情を浮かべた。
「聖杯が正しく機能してくれていたら簡単に解決する問題なのだがね」
「でも……」
「ああ、聖杯は穢れている。第三次聖杯戦争でアインツベルンが犯した反則行為によって……」
嘗て、アインツベルンは本来喚べない筈の神霊を召喚しようと企んだ。
結果として、試みは失敗。|神霊《アンリ・マユ》の名を背負う一人の少年が喚び出され、開戦四日後に死亡する。
その時、全ての歯車が狂ってしまった。
魔王であれと願われた少年は聖杯の力で本物の魔王になった。その力に汚染された聖杯は全ての願いを呪いに変える魔の杯に変貌してしまった。
「……アーチャー」
「なんだ?」
「私は我儘になっちゃいました」
桜は言った。
「私はアストルフォさんに残ってもらいたい。それに……、アーチャーにも」
「桜……。だが、私は……」
「先輩……」
桜はアーチャーの胸に飛び込んだ。
「……あなたの夢を見ました」
その言葉にアーチャーは苦悩の表情を浮かべる。
「異なる道を歩んだ私の未来も……。先輩がその事に苦しんだ事も……。全部、見ました……」
「だったら分かるだろ!」
アーチャーは桜を引き離し、叫んだ。
「私が如何に救い難い愚か者か! 勝手に諦めて、君を……、君を斬り捨てた」
あの時、本当に見捨てる以外の選択肢は無かったのか?
この世界の己を見つめながら、アーチャーはいつも考えていた。
「散々苦しんだ君を殺し、自己満足に耽った男だ! 私が苦しんだ? 君の苦しみに比べたら、そんなものに価値などない!」
もっと、努力していたら……。
もっと、足掻いていたら……。
もっと、考えていたら……。
救えたかもしれない。その可能性を彼は見てしまった。
「本当なら君の傍にいる資格すらないんだ……」
「先輩」
桜はアーチャーの手をから抜け出す。まるで壊れ物を扱うように触れるものだから簡単に振りほどく事が出来た。
そのまま彼の傍に寄ると、爪先立ちになって、戸惑う彼の唇を啄んだ。
「さ、桜!?」
目を白黒させるアーチャー。
「資格なんて要りません!!」
桜は叫んだ。
「私を見てください!!」
涙を流しながら、桜は訴えかけるように言った。
「私はあなたに何度も救われました! あなたがいたから、私はここにいるんです!」
「……違う。君の思っている男は私では――――」
「先輩です!」
桜は言った。
「衛宮士郎! 私に料理を教えてくれた人です! 私に笑顔を教えてくれた人です! 私の為に泣いてくれた人です! 私の為に怒ってくれた人です! 私が好きになった人です!」
「違う……。違うんだ……。私は君を悲しませた。苦しませた。死なせてしまった……」
「一度もあなたに苦しめられた事なんてない!!」
その言葉にアーチャーの目が見開かれる。
「あなたがいるから、私は笑顔になれるんです。どんなに苦しくても、辛くても、あなたに会えるだけで私は幸せになれるんです。あなたが斬った時、私は嬉しかった筈です。だって、他の誰でもない、あなたが私を終わらせてくれたから!」
「やめてくれ……。お願いだ……。オレは……、オレは……」
アーチャーは顔を歪めた。まるで幼子がイヤイヤするように首を横に振り続ける。
「私の傍にいて下さい!」
それは彼女が今まで内に秘めていた|本心《ことば》。
「私をもっと助けてください!」
抑えていた蓋が外れれば、もはや止まらない。
「私を幸せにして下さい!」
「……桜」
気付けば、アーチャーは桜を抱き締めていた。
許されない。許されてはいけない罪。
なのに、彼女は赦した。
「桜……。オレは……」
桜を守りたい。
桜を助けたい。
桜を幸せにしたい。
「オレは……」
その感情は果たして単なる義務感なのか……。
否、そんな筈はない。
むしろ、己を突き動かす|正義の味方《しょうどう》はその感情を否定する筈だ。
不特定多数よりも個を尊重するなど、彼の歩んだ|理想《みち》は決して許さない。
だから、この感情は彼にとって特別なもの。
人間の振りをするロボットが初めて手に入れた|心《きもち》。
人はそれを――――、《愛》と呼ぶ。
「――――ああ、実に感動的だ」
その光景を嘲笑う者がいた。
月の光を浴び、一人の少年が拍手を送る。
「貴様は――――ッ」
アーチャーは桜を背中に庇い、干将莫耶を投影する。
「アーチャーのサーヴァントよ。キミでは役者が違う。力不足だ」
少年は堂々とアーチャーに距離を詰める。なのに、アーチャーは迎え撃つ事が出来ない。
足元から這い寄る暗闇が彼の体を縛っている。
「やあ、久しぶりですね」
「あなたは……?」
「以前お会いした時、ボクはこう言いました。『今のうちに死んでおけ』と」
その言葉に桜は目を見開く。
「あの時の……? え、でも!?」
「今は若返りの秘薬を使っています。そんな事よりもコレを御覧なさい」
そう言って、彼は一本の瓶を彼女に見せた。
「これを使えばアーチャーを受肉させる事が出来る」
「え?」
それは今まさに桜が欲していたものだった。
「条件を呑み、ボクの頼み事を完遂してくれたら、これをアナタにあげましょう」
「条件……?」
「衛宮士郎とそのサーヴァントを殺しなさい」
「……え?」
少年は言った。
「アナタを選ばなかった者とアナタから愛しい男を奪った者。躊躇う必要などない。彼等を殺せば、アナタはアナタを愛する男と共にいられるようになる」
それは甘い言葉で人を誑かせる悪魔の囁きだ。
「お断りします」
桜は言った。
「先輩の事も、アストルフォさんの事も私は大好きです! その人達を殺すなんて、出来る筈がありません!」
「……なるほど、まるで別人だ」
嬉しそうに少年はクスクスと笑う。
「なら、仕方ありませんね」
そう言って、影で彼女を縛ると、彼は別の瓶を彼女に飲ませた。
「桜!!」
アーチャーが幾ら藻掻いても影はビクともしない。
瓶の液体が彼女の体内に全て入ると、少年は言った。
「さっき、彼女に言った事を今度はアナタに言いましょう。アーチャーのサーヴァントよ。衛宮士郎とライダーのサーヴァントを殺しなさい。さもなければ……、一週間。それが期限です。時が過ぎれば君の愛する少女は死ぬ」
「なっ……!?」
少年は微笑んだ。
「時間はたっぷりあります。精々、後悔しない選択をしなさい」
そう言って、少年は闇の中に消えた。
すると彼等を縛っていた影も消える。
アーチャーは慌てて桜に駆け寄った。
「……先輩」
「桜……」
「……お願いします、先輩」
桜は言った。
「一週間。ずっと私の傍にいて下さい。私が死ぬ時、一緒に笑顔で振り返る事が出来る一週間を過ごしましょう」
その言葉と共に彼女は意識を失った。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!!!」
アーチャーのサーヴァントの悲痛な叫び声が夜の闇に延々と響き渡った。