Act.20 《Over drive》

「――――さて、待たせてしまったかな?」

 学校からの帰り道、桜が衛宮邸に続く路地を通ると、そこには青い陣羽織を纏った侍が待ち受けていた。
 アーチャーが実体化して、干将莫耶を構える。
 油断なく睨みつけるアーチャーにアサシンのサーヴァントは心底嬉しそうな笑みを浮かべる。

「……どうやら、新たなマスターを見つけたようだな」
「ああ、雌狐などよりいくらか上等な主を見つけたよ。おかげで、こうしてお前と再び剣を交える事が出来る」

 あまりにも突然の事に動揺する桜を背に庇い、アーチャーは戦術を組み立て始める。
 一度戦った相手ならば、アーチャーは相手の性格や癖から勝利に至る道筋を見出す事が出来る。
 それの道筋を大抵のサーヴァントは乗り越えてくるが、この男はそれ以前の問題だ。
 この男の剣筋からアーチャーは癖や性格を見出す事が出来なかった。そんなモノを悟らせる程チャチな剣は振るっていないと言わんばかりの卓越した技ゆえだ。
 だが、関係ない。初見と変わらぬ相手だろうが、勝利するのがサーヴァントの役目。
 守ると誓った。

「貴様はここで倒す。いくぞ、アサシン!!」
「来い、アーチャー!!」

 二騎のサーヴァントの激突。それを遠目に見ながら、少年は微笑む。

「これで一人、邪魔者は遠ざけた。後は……、ボクも一仕事しますか」

 そう呟くと、少年は闇に紛れて消えた。

 ◇

 炉を片付け、宮本はトラックでマウント深山に帰っていった。
 家まで送ると言ってくれたが、歩きたい気分だと士郎達は断った。

「そうだ! 折角だし、お祝いをしようよ!」

 アストルフォが言った。

「お、お祝い?」
「うん! シロウの剣が完成したお祝い!」
「い、いや、そんな大袈裟にする必要は……」
「あるの! それとも、シロウはお祝い……、イヤ?」

 不安そうな表情を浮かべるアストルフォ。士郎の答えが決まっていた。

「イヤなわけない。……そうだ。イリヤもどうだ?」
「え?」

 目を丸くするイリヤ。

「その……折角だし、一緒にどうかな? 俺の家でパーティー」
「……わたしは」

 陽は落ちた。本来なら、ここに二人のマスターがいる以上、すべき事は一つ。
 だが、イリヤはバーサーカーを喚び出す気になれなかった。
 ずっと会いたかった相手。ずっと殺したかった相手。
 目の前にいるのに、彼と話した回数分、接した回数分、あまりにも純粋であまりにも儚くてあまりにも無防備な彼を殺したくなくなってしまう。
 
「……ええ、折角のお誘いだもの」

 イリヤは彼の手を取ろうとした。
 そして――――、

「……あっ」
「どうした?」

 突然、血相を変えるイリヤ。彼女の視線は遙か森の向こうを見つめている。

「バーサーカー!!」

 現れる巨人は士郎やアストルフォに目もくれず、イリヤを持ち上げると森の中へ走って行く。

「イ、イリヤ!?」
「ごめんなさい、シロウ! パーティーには出席出来ないわ!」

 そう言って去って行く彼女の後ろ姿を呆然と眺めていると、不意に尋常ならざる殺意を感じ取った。
 振り返ると、そこには見覚えのある少女が立っていた。
 だが、様子がおかしい。
 
「セイ、バー……?」
「逃げて、シロウ!!」

 セイバーが動く。咄嗟に士郎の前に割り込んだアストルフォの体から鮮血が飛び散る。

「あ……、え?」

 頬に付着した生温かい彼女の血液に目眩を感じる。

「アストルフォ……?」

 倒れこむアストルフォに士郎は呆然となった。

「簡単に殺してはなりませんよ、セイバー」

 頭上から降り注ぐ声には聞き覚えがあった。

「キャスター……」

 濃紫のローブに身を包んだ魔女が士郎を見下ろしている。

「ご機嫌よう、坊や。いつぞやの返礼をしに来たわ」
「なんだと……? また、アストルフォを手駒にしようとしてるのか!?」

 士郎の言葉に魔女は嗤う。

「もう、そんな雑魚に興味はないわ。ただ、私に屈辱を与えた罰を与えるだけよ」

 そう言って、魔女が降りてくる。士郎が掴みかかろうとすると、セイバーに殴り倒された。
 たったの一撃で呼吸が出来なくなり、士郎は立ち上がる事さえままならなくなった。
 そうしていると、魔女はアストルフォに手を伸ばす。

「ただでは殺さないわ。この私を愚弄した罪はその身で払ってもらいます。痛みと屈辱を存分に……、あら?」

 魔女は驚いたように言った。

「あなた……、男だったのね」

 魔女の蛮行に怒りを燃やしていた士郎はその言葉に目を丸くした。

「ああ、その様子だと坊やも知らなかったのね」

 アストルフォは魔女を睨む。

「とんだ英雄様ね。女の格好をして、あんな純情な坊やを誑し込むなんて」
「何を言って……」

 アストルフォが男。何を言っているのか、士郎には理解が出来なかった。
 だって、彼女は女だ。そうじゃなきゃおかしい。辻褄が合わない。

「なら、この場で脱がしてあげましょうか?」
「……やめ、ろ」

 アストルフォが拘束から逃れようと身を捩る。
 だが、セイバーから受けたダメージが大き過ぎる。苦痛に表情を歪め、悲痛な声をあげる。

「ア、アストルフォに手を出すな!!」
「あらあら。自分を騙していた相手を気遣うなんて、優しいのね。でも、残念ね。あなたの恋は決して叶わぬ禁断の――――」
「離せって言ってるんだ!!」

 士郎は起き上がった。魔女の言葉が真実かどうかなんてどうでもいい。
 それよりもアストルフォが苦しんでいる事が気に入らない。
 セイバーに与えられた痛みなど無視する。その程度で寝転がっている暇などない。 
 炉に火を入れるように、魔術回路に魔力を流し込む。

「呆れたわ。この期に及んで抗うなんて……」

 魔女はアストルフォの傷口に指を突き立てながら言った。

「遊んであげなさい、セイバー」

 アストルフォの苦痛の声が聞こえる。それだけで怒りが頂点に達した。
 
「やめろぉぉぉぉぉ!!!」

 作り出したのはアーチャーの双剣。
 干将莫邪で襲いかかるセイバーを迎え撃――――、

「その程度の宝具で我が剣の止められるとでも?」

 アッサリと砕かれた。そのまま、腕を掴まれて乱暴に振り回される。

「ぁ……」

 禍々しく変貌した嘗ての聖剣が士郎の体を引き裂く。舞い散る血潮に魔女は嗤う。

「どうかしら、ライダー。嬉しいでしょ。己を騙したあなたを必死に守ろうとして、彼は死ぬわよ」
「……ぃやだ。シ、ロ……ゥ……ヤダ、死んじゃ……」

 体を必死に動かそうとするが、魔女は彼女の足に精製した巨大な氷を落とした。
 強力な対魔力を持つアストルフォにも有効な一撃だ。
 悲鳴が響く。その声に士郎は再び立ち上がった。胴を斜めに斬られ、夥しい血を流しながら、それでも彼は新たな剣を投影する。
 
「……無駄な足掻きだ」

 セイバーは魔剣を振り上げた。
 再び砕かれる干将莫耶。
 死が迫る。今度こそ、彼女の魔剣は士郎の命を終わらせる。

 その瞬間――――、

             彼は己の中の時を止めた。
 

 衛宮士郎の内部を総加速させ、刹那を永遠に偽装する。
 最優のサーヴァント。この聖杯戦争において、紛れも無く最強の白兵能力を持つ彼女に衛宮士郎が勝てる道理などない。
 そんな事は先刻承知。それでも尚、抗わなければならない。
 一秒後に彼は死ぬ。これは確定した運命だ。
 この状況に陥った時点で詰んでいる。
 それでも尚、諦めてはならない。
 何故なら、彼の死は愛する者の苦痛に満ちた死を意味するからだ――――。

 撃鉄が落ちる。     

――――検索する。

 そんな暇はない。

――――アルトリア・ペンドラゴンに対向する手段を模索。

 そんな都合の良い物などない。

――――ならば、創り出せ。

 アストルフォを救いたい。その為の手段が存在しないなら、新たに創り出すしかない。
 
――――既にヒントは十分に得た。

 意識がぶれる。現実を見ながら、夢を見ている。
 迫るセイバーの魔剣。森の中にあるナニカ。
 
――――体は剣で出来ている。

 己を造り変える。

――――血潮は鉄で、心は硝子。

『超えてみせろ』
『今の貴様では精々一つの技術を身につける事が出来るかどうかだ。ならば、一つの最強を見つけてみろ』

――――幾たびの戦場を超えて不敗。

『ボク達人間はどこまでだって行けるんだ! 限界なんてどこにも無いよ!』
『誰かが誰かを助ける時、そこにあるのは感謝の気持ちだけさ』

――――剣を鍛えるように、

『日本刀を見た事があるか?』
『ならば、あの美しさも分かるか? 折れず、曲がらず、よく切れる。その三つの条件を追求した一種の芸術品だ。切れる為と曲がらない為には鋼は硬くしなければならん。だが、逆に折れない為には鋼を柔らかくしなければいけない。矛盾しておるだろ?』

――――己を燃やすように、

『この矛盾を解決する方法。それは炭素含有量が少なく柔らかな心鉄を炭素含有量が高く硬い皮鉄で包む方法だ』
『そこまでいけば、後はひたすら叩くだけだな。燃やし、叩き、冷やし、また燃やす。そして、打ち続ける。信じられるか? これは初め、単なる砂粒だった。無数の粒子が一本の刀に変わる』
『砂鉄をたたらで玉鋼にしてな。それを熱し、薄べったくのばす。そして、無数の断片に変え、その中から良質な材料となるものを選び焼き固める。見極めも大事だ』

 意識が遠のいていく。視界が真っ白にスパークする。
 気にするな。己の事など度外視しろ。お前が死のうと、アストルフォを救え。それ以外の事など考えるな。
 心を鋼で包みこめ、無数の粒子を見極め、一つに纏めろ。

――――彼の者は鉄を打ち続ける。

『……私の過去を見た筈だ。それをお前の中の|始点《ゼロ》にしろ。そこからどう限界を越えていくか、二人で相談でもするんだな』

 |限界《ゼロ》を超えろ。新しい世界を創造しろ。
 これは空の器。これは無限を内包する。
 無限にして、零。零にして、一。一にして、無限。

『私の剣技は確かに衛宮士郎にとって最適なものだ。だが、最強ではない』
『所詮、アレもコレもと手を出した挙句、何一つ芯を持てなかった半端者の業だ』

 選択肢は無限。されど、選べるものは一つのみ。
 ならば、その一つに全てを集約しろ。
 
――――収■こそ、理■の■。

 ここに幻想を紡ぐ。
 これこそが衛宮士郎に赦された魔術の真髄。
 魔術回路が臨界を超える。
 例え、このまま己が壊れても構わない。アストルフォを救ける。だって――――、

「俺はアストルフォが好きなんだ!!」

――――是、|■戟の■■也《リ■■ッド・■ロ・■ーバー》。

「――――な、に?」

 セイバーのサーヴァントは瞠目する。
 
「―――――ッ、セイバー!! 今直ぐに坊やを殺しなさい!! はやく!!」

 聖剣を阻んだもの。それは一振りの太刀だった。
 それは士郎が鍛えた剣。銘に彼の名が刻まれた不出来な真作。
 だが、セイバーはまるで威圧されたように後退る。
 
「ぁ……ぁぁ……ッ」

 細く、貧弱な太刀。
 だが、彼女の目には違うもの映り込んでいた。 
 竜の眷属を必ず殺す。一つや二つではない。無限の殺意が彼女に重圧を掛ける。
 そして――――、

「ァァァアアアアアアアアアア!!!」

 太刀はセイバーの片腕を斬り裂いた。

「――――馬鹿な!?」

 その瞬間、アストルフォは死力を尽くし、声を張り上げた。

「来い!!」

 次元の狭間から幻馬が飛び出す。
 幻想種の嘶きはキャスターのサーヴァントをわずかに怯ませ、その隙に主を攫った。

「……撤退よ、セイバー!!」

 キャスターが叫ぶ。セイバーは片腕でキャスターを抱えると猛スピードで士郎とアストルフォから離れた。
 片腕を失った今、あの得体の知れない力と戦うのは危険過ぎる。
 それは彼女の未来予知にも等しい直感の囁きだった。
 
「《|竜殺し《ドラゴンキラー》》……だと、馬鹿な」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。