Act.18 《Walls have ears; wall have ears, sliding doors have eyes》

 学校に辿り着くと、校門の傍に立っていた美綴綾子が桜に声をかけてきた。

「おーい!」
「美綴先輩。おはようございます」
「おう、おはよう! じゃなくて、どうしたんだ? 二日も続けて無断欠席なんて、らしくないじゃん。心配したんだからね?」
「すみません……。今日からは普通に登校しますので」
「まあ、深くは聞かないけどさ。それと、慎二の事で何か知らない?」
「……兄さんの事ですか?」
「うん。今日、誰よりも早く来て、ずっと弓を引いてるの。普段なら一年生をイビったりとか、やかましく女子とお喋りしてるのに」

 あんまりな物言いに苦笑しながら、桜は首を横に振った。

「私も詳しくはわかりません」
「そっか……。まあ、アイツの事だし単なる気まぐれかもね。それにしても、これで心配の種が一つ減ったよ」
「他にも何か?」
「衛宮と遠坂だよ。二人共……っていうか、衛宮についてはどうなの? 何か知ってる?」
「先輩ならちょっと用事があって……。病気とか怪我ではないのですがしばらく休む事になると思います」
「……慎二の事は知らなくて、士郎の事は知ってると」
「え!? いや、それはその……」

 真っ赤になる桜に綾子は遠い目をした。

「ついにあのブラウニーがキラーパンサーになったのかい?」
「違います! 何を想像してるか知りませんが、違います!」
「おやおやー? 私はドラクエの話をしてるだけだよ? なーんで、赤くなっちゃってるのかなー?」
「もう、美綴先輩! それより、遠坂先輩がどうかしたんですか?」
「おっ、強引に話を切り替えたね。いやー、大人になったんだねー。寂しいような、嬉しいような……」
「せ・ん・ぱ・い?」
「……えっと、遠坂の事でしたね」

 桜から得体のしれないオーラを感じ、綾子は冷や汗を流しながら言った。

「遠坂が来てないんだよ」
「来てない?」
「いつもならとっくに来てる時間なのに教室にもいないし……」
「たまたまじゃないんですか……?」
「……そうなのかもしれないけど、なーんか、胸騒ぎがするんだよね。虫の知らせってヤツ? だから、ずっとここで待ち構えてるわけよ」

 恐らく、聖杯戦争に関連している事は確実。
 最後に彼女が現れたのは士郎がキャスターに攫われた晩。その後の事は解らない。
 
「……心配ですね」

 あの人が易々と敗北するとは思えない。
 士郎の事が気に掛かる。ランサーを討伐し、バーサーカーと戦い、アーチャーとアサシンを纏めて消し飛ばそうとした。恐らく、キャスターとも戦った筈。
 彼女が戦っていない唯一の相手。それは士郎のサーヴァントであるライダー。
 もう少し校門で待ってみると言う綾子と別れ、桜はアーチャーに念話を送った。

『先輩の下に向かった可能性は?』
『……十分に考えられるな。あれだけ好戦的な性格だと何をしでかしても不思議じゃない。セイバーなら、大抵の敵と真っ向から打ち合っても負けないだろうしな。だが、ライダーの機動力なら特に心配する必要も無いだろう。異次元空間に潜るあの幻馬の疾走を止められる者はいない』
『でも……』
『言っておくが、君から離れる事は出来ない。マスターを狙う事は聖杯戦争の定石だ。特にキャスターには前科がある』
『……ここから先輩の居る場所は視えますか?』
『問題なく射程範囲内だ。いざとなれば逃走の猶予くらいは作れるさ』
『その時はお願いします』

 アッサリと言いのけるが、その視力の良さは尋常ではない。
 本当に人ではなくなってしまったのだと桜は胸を痛めた。
 夜、寝る度に彼の夢を見る。当然、己の末路も視た。この世全ての悪と呼ばれる存在と同化し、全てを壊そうとしていた。
 可能性の一つに過ぎず、今の自分がああなる事はないと分かっていても、恐怖で涙が零れた。
 
『アーチャー……』
『どうした?』
『……ありがとう』
『ん? あ、ああ』

 私を殺してくれて、本当にありがとう。あんな醜い姿になって、その挙句、先輩を傷つけたりしたら……。
 他の誰でもなく、彼が止めてくれたからこそ、|間桐桜《わたし》は救われた筈だ。
 
 私を殺した人。
 私を選んでくれなかった人。
 私を救ってくれた人。

 今度こそ守ると言ってくれた。私を選んでくれた。
 
『アーチャー』
『なんだ?』
『……ありがとう』
『ど、どうかしたのか?』
『ふふ……、なんでもありません』

 ラインを通じて彼の困惑が伝わってくる。彼の今の顔を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれた。
 
 ◇

 昨日と同じように士郎は帰ってくると同時に布団に倒れこんだ。
 調子に乗って、行けるところまで行こうと躍起になった結果だ。
 後は曲がりや反りを直して鑢を掛けるだけだ。明日には完成品を拝む事が出来ると宮本に言われた。
 楽しみだと思った。こんな風に感じるとは思わなかったけれど、胸が高鳴っている。

「楽しみだね!」

 アストルフォは士郎の隣で寝転びながら言った。

「ああ!」

 アストルフォは思った。
 楽しみで仕方がない。

 何度も夢を視た。とても嫌な夢だ――――。
 嘆きと悲しみと苦しみばかり。
 炎の中を歩く少年。広い屋敷で一人過ごす男の子。 
 何度も抱きしめてあげたいと思った。慰めてあげたい。許してあげたい。一緒にいてあげたい。
 
 彼の未来を視た。とても嫌な未来だ――――。
 決して救われない、報われない人生。
 死後も永遠に終わらぬ苦しみを背負わされ、その果てに自らを憎むようになる。
 それは人として、哀しい程に|歪んで《くるって》いる。

「シロウ」

 アストルフォは言った。

「明日、デートしない?」
「デ、デート!?」

 おかしいくらい真っ赤になる士郎。
 アストルフォはクスクスと笑った。

「ボク、シロウとデートしたいなー」
「ぅぅ……、わ、分かった! デートだな! うん、行こう!」
「わーい!」

 もう、寂しいなんて思わせない。
 一人で苦しませたりしない。自分を憎ませたりしない。
 
『俺、お前と出会えて本当に良かった』

 あの時の言葉が心に染み渡る。

「一緒だよ! ボクと一緒だからね!」
「わ、わかってるよ。デートだもんな、うん」

 何があってもキミを守ろう。
 何があってもキミと共にあろう。
 ボクはシャルルマーニュ十二勇士。ボクはアストルフォ。ボクはライダー。ボクは……キミの、キミだけの|相棒《サーヴァント》だ。

 ◆

 魔女は嗤う。これで準備は整った。
 彼女の前には海を思わせる紺碧を闇を思わせる漆黒に塗り替え、聖剣を魔剣に貶めたセイバーの姿があった。
 魔女に心を壊され、その属性を反転させられた嘗ての騎士王はただ盲目的に主に忠誠を誓う。
 
「――――待っていなさい、ライダー。あの時の屈辱は何倍にもして返してあげる」

 魔女の掲げる水晶の中にはマスターと歩き笑顔を浮かべるアストルフォの姿があった。

 ◆

 生を受けたモノがやがて等しく死を迎えるように、始まりと終わりは同義であり、どんな旅もいつかは終わるもの。
 その結末を幸福なものに出来るか、不幸なものにしてしまうかは本人次第。
 ただ一つ。途上で足を止め、諦めてしまうモノには決して幸福など訪れない。

「さあ、試練の時ですよ、お兄さん」

 万物を見通す者。聖杯戦争において、あり得ない筈の存在。
 第八のサーヴァント。アサシンのマスター。原初の理を司る覇者。
 英雄王ギルガメッシュ。彼もまた手駒と共に動き出す。

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