Act.1 《The calm before the storm》

 目が覚めたら隣で美少女が眠っている状況。人間として壊れた部分のある衛宮士郎だが、この時ばかりは実に人間らしく慌てふためいた。
 彼女が何者なのか。どうして隣で眠っているのか。その格好はコスプレなのか。聞きたい事が山積してパニックを起こしている。
 そんな士郎の姿を見て、少女は怒るでも、困惑するでもなく、ただただ愛らしく微笑んだ。

「落ち着いてよ、マスター」

 士郎の胸が高鳴る。ときめいたのだ。太陽の下咲き誇るひまわりのような彼女の笑顔に魅入ってしまった。
 まるで底なしの沼だ。一度踏み込めばどこまでも沈み込んでいってしまう。
 彼女が声を発する度、笑顔を浮かべる度、彼は引き返せなくなっていく。
 
「わ、悪い……」

 ドキドキしながらも少女に諭された士郎は表面上を取り繕った。みっともない所をあまり見せたくない。男の意地だ。

「聞きたい事があるのなら1つずつ頼むよ」
「わ、分かった。えっと、じゃあ……、君は何者なんだ?」

 ぶっきらぼうな言い回しに嫌な顔一つ浮かべず、少女は居住まいを正す。

「うん、そこからだよね。ボクの名前はアストルフォ。シャルルマーニュ十二勇士が一人さ!」
「アストルフォって……。それに、シャルルマーニュ十二勇士?」

 疑問に答えてもらった筈が更に疑問を増やすことになった。
 士郎は改めてアストルフォを見つめる。軽装ながら甲冑を身に纏い、腰にはレイピアのような細身の剣を携えている。確かに勇士を名乗るに相応しい格好かもしれない。
 だが、ここは現代日本。時代的にも国的にもシャルルマーニュ十二勇士が存在する筈がない。

「あれ?」

 更に見つめていると不思議な事が起きた。目の前に奇妙な光景が浮かび上がったのだ。
 まるでテレビゲームのステータス画面のようなものが視界に映り込んでいる。

「な、なんだこれ!?」
「どうしたの?」
「いや、目の前に変な映像が……」

 アストルフォもピンと来なかったようだ。彼女の立場ならば知っているべき情報だが、ピンと来なかったのなら仕方がない。

「なんだろう」
「なんだろうね」

 二人揃って首をかしげている。

「……それで、君はどうしてここにいるの?」
「それはとてもむずかしい質問だね。ボクがここに存在する理由。強いて言うなら世界がボクを望んだから……、かな?」

 質問の仕方が悪かったのかもしれない。ここに居る理由ではなく、存在する理由を答えられてしまった。
 だが、士郎は惚れた弱みか世界が望んだという彼女の言葉に納得の表情を浮かべる。寝起きで頭が働いていないのかもしれない。
 それから二人は色々な事を話した。士郎は山積みの質問を一つ一つアストルフォに投げ掛ける。アストルフォはどんな質問にも丁寧に応えた。丁寧だが答えになっていない回答も多々あったが士郎は彼女に惚れている。つまり何も問題無かった。

「つまり、アストルフォはサーヴァントって事か」
「うん! クラスはライダーだよ」

 そもそもサーヴァントとはなんなのか? その質問には丁寧に「よく分かんない!」という回答を貰った。
 ただ、彼女は士郎に魔術で召喚された存在だという事だけは伝わった。

「ボクは君のサーヴァントだよ。そして、君はボクのマスター! よろしくね!」

 差し伸べられる白魚のような手。
 彼女がどうして召喚されたのか、サーヴァントとはなんなのか、彼女の服をどうするべきなのか、疑問や悩みは尽きない。
 それでも、士郎はズボンで手を拭った後にその手を取った。
 それが何を意味しているのかを知らないまま、彼はただ好きになった女の子と握手を交わした。

 土蔵から出るとヒンヤリとした風が吹いた。まだ夜が明けたばかり。士郎はアストルフォを母屋に招いた。

「ここが居間。食事とかをする場所」

 士郎は既にアストルフォがフランスの代表的な騎士道物語の登場人物である事に疑いを持っていない。
 彼の得意とする解析魔術で彼女の装備品を鑑定した結果、彼女の出自を断定するに至った。
 驚かなかったと言えば嘘になる。だが、その動揺を抑えこむほどの圧倒的な感情が彼の心の中で暴れまわっていた。
 過去の英雄が現代に現れた事よりも好きになった女の子に家の中を案内する事の方がよっぽど一大事なのだ。

「へー! この床は草? あ、タタミっていうんだね!」
「畳を知ってるの?」
「知らないよ。でも、頭のなかに浮かんだの」
 
 案内をしている間にも疑問が増えていく。
 分からない筈の知識が頭の中に流れこんでくる状況は明らかにおかしい。
 だが、そもそも言葉が通じている事自体がおかしい事に気付いた士郎は解明を後回しにした。

「えっと……。アストルフォの部屋も必要だよな?」
「ボクはシロウと同じ部屋でも一向に構わない!」
「アストルフォには洋室の方が良さそうだな!」

 士郎は一番上等な洋室をアストルフォに宛てがった。同じ部屋で寝るなどとんでもない。健全な男子高校生として、そこだけは譲れない。毎晩睡眠不足になってしまう。
 
「ボクはシロウと同じ部屋が良かったのになー」
「よ、洋室も良い部屋なんだ! っと、一応掃除はしてるけど布団とかは干しておいた方がいいか」

 クスクスと微笑むアストルフォ。慌てふためく士郎の姿を見て実に楽しそうだ。
 二人は離れの洋室を訪れ、アストルフォが生活する為の環境を整えた。

「じゃじゃーん! どう?」

 部屋を掃除して、布団を干した二人はアストルフォの服を見繕った。街中を甲冑姿で歩くわけにはいかないからだ。
 新たに買うにしても、買い物に出掛ける為に仮の服が必要になる。迷った挙句、士郎は自分の古着を貸すことにした。
 この家にはわけあって二人の女性が頻繁に出入りするが着替えの類は置いていない。士郎に母親や姉妹はいないため、必然的に選択肢が狭められてしまった。
 少し大きいみたいだが、アストルフォはゴキゲンだ。何度も回転して士郎に感想を求めている。

「そ、その……、ごめんな。俺の古着なんかで……」

 自分の古着を好きな女の子が着ている。その状況にドキドキしつつ、士郎は謝った。年頃の女の子が着るにはあまりにも地味だし、そもそも仕方のない事とはいえ男の古着を着せるなんて失礼だ。
 
「ボクは気に入ったよ! 現代の服は不思議な手触りだね。それに色合いやデザインはシンプルだけどボクはキライじゃないよ」

 この日何度目かのクリティカルヒット。士郎の心はピンク色に染まっている。大抵の人は士郎の服を地味だとか野暮ったいだとか言うのだ。
 士郎本人は気に入っているのだが、それが世間一般の評価。にも関わらずキライじゃないと言ってくれるアストルフォ。無意識に頬が緩むのも仕方のない事だった。
 そうこうしている内に時間が経ち、試練の時が訪れた。
 この家にはいつも二人の女性が訪れる。特に片方は士郎が美少女に自分の服を着せ、部屋まで用意している状況を見て、《はいそうですか》と流してくれる相手ではない。
 アストルフォが何故召喚されたのかは分からない。いつまで一緒に居られるのかも、どこか帰るべき場所があるのかも分からない。
 だが、少なくともしばらくの間は一緒に暮らす事になるだろう。その説明をしなくてはならない。士郎の胃はキリキリと痛んだ。

「大丈夫かい?」

 朝食の準備を終え、正座をする士郎。その表情は不安で翳っている。そして、そんな彼をアストルフォは心配そうに見つめている。
 その気遣いに元気づけられ、士郎は決意を固めた。そして、最初の試練が扉を開けて入って来た。
 そこに現れたのは一人の少女。常に穏やかな表情を浮かべ、士郎を慕う後輩。間桐桜は居間に入った途端、呼吸を止めた。
 いつもより早い時間帯。今日は士郎よりも先に朝食の準備を始め、彼に楽をさせてあげようと企んでいた。それなのに、既に朝食が揃っている。そしてなにより、彼の横に彼の服を着た女がいる。
 桜は悟った。恐らく、同じ状況に立たされた時、他の人間では悟りきれないような事まで全て悟った。

「……先輩」

 部屋の空気が一気に下がる。士郎は恐怖した。ラスボスが来る前にあわよくば桜を説得し仲間に引き入れようと企んでいた彼は目の前の存在こそがラスボスを超えた存在……いわゆる、裏ボスである事を悟った。
 いつも聞く慈愛に溢れた声。なのに、何故か地獄の底から響くような悍ましさを感じた。
 いつも見つめてくる穏やかな瞳。なのに、何故か闇を何重にも重ねたような昏い光が見えた。
 いつも空気を和ませる彼女の存在。なのに、何故か全身の震えが止まらない。

「|その女はなんだ?《そちらは》」
「ボクはアストルフォ! シャルルマーニュ十二勇士が一人さ!!」

 そして、士郎にとっても、桜にとっても予想外の事をアストルフォはしでかした。
 本来隠すべきものなのに、堂々と自らの身分を明かしたのだ。
 この瞬間、少年と少女の脳内に様々な思考が駆け巡った、

 実はこの二人、どちらも魔術師である。そして、互いに自らの正体を隠している。
 特に桜は様々な事情があって、何があっても士郎に自らの正体を悟られるわけにはいかない。
 アストルフォの暴挙によって、修羅場は高度な頭脳戦に様相を変える。

「やっほー! お姉ちゃん、参上!!」

 そこへ更なる火種が現れる。正体がバレてはまずいと思考を巡らせる二人の魔術師。何も考えていない英雄。そして、場を確実に混沌化させる猛獣。
 もはや数秒先すら見通せない状況。
 今、衛宮家の家族会議が始まる――――ッ!!!

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