第四十八話「ヴァルプルギスの夜」

 戦いは唐突に終わりを迎えた。敵の動きが急に鈍り、その隙を突いたセイバーがランスロットとエミヤを両断した。固有結界が解除され、景色が元に戻る。固有結界内では彼方に居たイリヤ達もほんの数メートル先に居る。
 
「イ、イリヤ……?」

 イリヤは血塗れの状態で地面に倒れ伏している。死んでいる。四肢と首が胴体から切り離され、それぞれのパーツがバラバラに分解されている。怒りよりも先に哀しみが胸を衝いた。
 
「そんな……」
「その子はただの寄り代よ」

 彼女に手を下したであろう女が言った。徐々に哀しみが怒りに塗り替えられていく。自分でも不思議な程、私はイリヤの死を悼み、イリヤを殺した相手を憎んでいる。
 
「ア、アンタ!」

 拳を握り締めて、クロエに向かって振り上げる。すると、私とクロエの間にフラットが割り込んで来た。
 
「邪魔しないで!」
「違うんだよ、凛ちゃん」
「違うって、何が!」
「彼女がイリヤちゃんだったんだ。僕にもよく分からないんだけど、とにかく、クロエがイリヤちゃんだったんだよ!」
「な、何を言ってるの?」

 フラットの意味不明な言葉に怒りが行き場を失った。
 
「なんだか、凄く複雑な事態が起きてるみたいだよ」
 
 要領を得ない彼の言葉をフォローするようにライダーが口を挟んで来た。
 
「複雑な事態って?」
「私から説明するわ、凛」

 馴れ馴れしい口調で話しかけて来たのはクロエだった。彼女の手にはイリヤを惨殺した凶器が握られている。再び、怒りが沸々と湧き上がって来る。
 
「落ち着け、凛。漸く新たな情報を得られる当てが出来たんだ。台無しにするような真似はするな」

 ライネスは素気無い口振りで言った。
 
「でも!」
「凛。あの子は死んでないわ。アレはただの寄り代でしかないの」
「寄り代……?」

 クロエの言葉に眉を顰める。
 
「説明させてちょうだい。ちゃんと、理解してもらえるように全て説明するからさ」
「……理解って」
「凛ちゃん。この世界の真実は思ったより複雑みたいだ。ちゃんと、腰を据えて彼女の話に耳を傾けるべきだよ」

 フラットは何時に無く真剣な表情で言った。
 
「……分かったわ」

 渋々頷く私にフラットは安堵の笑みを浮かべた。まるで、私が駄々を捏ねる困った人みたいな扱い。ちょっと、納得いかない。

「じゃあ、移動しましょう。どうせなら、説明は一回で済ましたい。ルーラー達とも合流しましょう。それと、道すがら貴方達が今現在把握している情報を聞かせてもらってもいいかしら? 何から何まで説明するとなると、かなり時間が掛かってしまうから」
「じゃあ、俺が説明するよ」
「ありがとう、フラット」

 私達は移動を始めた。胸中に取り巻く複雑な感情を殺し切る事が出来ない。私は極力クロエに視線を向けないようにしながら歩いた。後ろではフラットが彼女に以前、カフェで交わした議論の内容を語っている。前周回の事も含めて。
 正直、軽率過ぎないかとも思った。まだ、クロエを信用出来ると決まったわけじゃない。なのに、私達がどこまで掴んでいるのかを話すのはリスキーに感じる。けど、ライネスが何も言わない以上、口を挟むのも躊躇われる。彼女はこの中の誰よりも理性的な判断を下せる人だ。
 四時間後、私達はルーラー達と合流を果たし、間桐邸に戻って来た。
 
第四十八話「ヴァルプルギスの夜」

「どうやら、アーチャーは全て理解しているみたいね」

 クロエの言葉に皆の視線が彼に向かう。真実を識る者であるクロエのお墨付きを得た彼は得意気になるでも無く、つまらなそうに鼻を鳴らすばかり。少し不機嫌そうに見えるのは何故かしら。
 
「まず、私の事から説明しておくわね。凛の誤解も早々に解いておきたいし」
「誤解って、何の話よ……」

 意識したわけでも無いのに、声には不機嫌さが滲み出た。クロエは僅かに表情を曇らせ、小さく溜息を零した。
 
「単刀直入に言うわ。私はクロエ・フォン・アインツベルンじゃない。その名を冠する|少女《ホムンクルス》は六年前に死んでるの」
「クロエじゃない……? じゃあ、アンタは何なのよ?」
「イリヤスフィール。私の名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
「……は?」

 ポカンとした表情を浮かべる私を見て、クロエはクスリと微笑んだ。
 
「だから、私がイリヤなんだってば」
「ま、待ってよ! だって、そんな筈無いわ! だって、イリヤは……。じゃあ、あの子は一体何者なのよ!?」

 肩を強張らせて問い詰める私にクロエ……、イリヤは苦悩に満ちた表情を浮かべた。
 
「あの子もある意味では|イリヤ《わたし》よ」
「どういう意味?」
「あの子の事を正確に説明するには、まず、この世界の仕組みについて説明する必要があるわ。先に、そっちの説明をさせてちょうだい」

 正直、肩透かしを喰らった気分。だけど、必要な事なのだろう。今になって初めて、私はイリヤの目を見た。真摯な眼差し。
 私は黙って耳を傾ける事にした。私の態度に安堵の息を吐き、イリヤは言った。
 
「この世界を箱庭だと推測したアーチャーの考えは概ね正しいわ」

 わざわざ『概ね』という言葉を使った以上、それが完璧な正解というわけでは無いらしい。
 
「ただ、もっと正確に言い表す言葉がある」
「それは?」

 バゼットが尋ねた。
 
「――――|固有結界《リアリティ・マーブル》よ」
「固有結界……だと?」

 全員が息を呑んだ。特に数時間前、エミヤの固有結界を体験した私達の驚きは|一入《ひとしお》だ。
 
「馬鹿な! ここが固有結界の筈が無い!」

 ライネスが息巻いて言った。
 
「何故?」

 イリヤは表情を変える事無く尋ねた。
 
「固有結界の中に居るなら私が気付かない筈が無い! それに、固有結界の中だとすれば、あのエミヤの固有結界をどう説明する? 固有結界の中で更に固有結界を発動するなど!」

 ライネスの主張はもっともだ。さすがの私でも固有結界の内部と外部の区別は付くし、そもそも、固有結界同士は反発し合う事を十年前の戦争で目撃している。
 
「ライネス」

 イリヤは宥めるように言った。
 
「そもそも、固有結界がどういう魔術かは知ってるわよね?」
「無論だ。術者の心象風景で現実の世界を塗り潰す結界。それが固有結界だ」
「じゃあ、その原典は何かしら?」
「原典……? 自然や世界の触覚たる精霊の持つ空想具現化の事か?」
「違うわ。確かに、それもある意味で原典と言えるけど、私が聞いているのはそっちじゃない」
「もしかして、悪魔が持つという異界常識の事ですか?」

 口を挟んだのはルーラーだった。
 
「正解。元々、固有結界は悪魔が持つ能力だった。永い歳月の末、ごく一部のトップカテゴリーに位置する魔術師がソレを魔術で再現出来る様になったけど、本来は彼らの能力なの」
「まさか、この世界は……」

 ライネスの目が見開かれたまま凍りつく。
 
「そう、この世界は悪魔の異界常識によって構築された固有結界よ」
「ば、馬鹿な……」

 悪魔。あまりにも想定外過ぎる存在。直ぐに言葉を発せられた者は一人も居なかった。あのフラットやライダーですら、驚きに満ちた表情を浮かべている。
 
「小娘。言葉が足りぬだろう、それでは」

 沈黙を打ち破ったのはギルガメッシュだった。
 
「どういう意味?」

 私が問い掛けると、イリヤが頬を掻きながら言った。
 
「そうね。もっと正確に言うと、悪魔の能力を持った者。本来の聖杯戦争でキャスターのサーヴァントとして召喚された者。その者こそがこの世界を構築した元凶」
「キャスター……? それって。やっぱりモルガンの事?」

 私がこれまでの情報を下に推測を口にすると、イリヤは首を横に振った。
 
「違うわ。この聖杯戦争に彼女は参加していない。まあ、ある意味、彼女も巻き込まれた者の一人ではあるのだけど」
「どういう意味?」
「彼女が参加している可能性を考慮したのは、あの子が連れていたサーヴァント、モードレッドの事があるからでしょ?」

 私が頷くのを確認して、イリヤは言った。
 
「かなり惜しいところまで来てたわ」
「つまり?」
「モードレッドはサーヴァントじゃない。まあ、似たようなものではあるんだけど、正確にはモルガンの宝具なのよ。この世界を作り上げる為に彼女は夢幻召喚という形で喚び出された。そして、宝具であるモードレッドをあの子のサーヴァントとして宛がった」
「なるほどな」

 ライネスが呟くように言った。
 
「つまり、本来の七体目のサーヴァントは別に居たわけか……。モードレッドはその事を我々に気付かせない為のスケープゴート」
「そういう事」
「では、その本来の七体目であるキャスターの正体は何者なのですか?」

 ルーラーが緊張した面持ちで尋ねた。ここまでの話を聞いた限り、全ての黒幕は間違いなく、そのキャスターである筈。
 
「キャスターのサーヴァント。その真名は――――、ファウスト。悪魔・メフィストフェレスと契約したと伝えられている謎多き人物よ」
「ファウストだと? だが、奴は別に悪魔と契約したという伝説があるだけで、悪魔そのものというわけでは無いだろう。そもそも、その伝説も論証の無い創作である可能性が極めて高いと聞くが……」

 ライネスの言葉にイリヤは肩を竦めた。
 
「史実の彼がどういった人物なのかは知らないわ。キャスターはドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテを初めとした様々な作家や脚本家の生み出した作品『ファウスト』の主人公なの。彼曰く、『確かに、ヨハネス・ゲオルク・ファウストという人物は居たのだろうな。だが、私は違う。ただ、メフィストフェレスという悪魔……、に近い性質を持つ悪魔に憑かれただけの男だ』との事よ」
「そんな事が在り得るのか?」

 ライネスが問うと、イリヤは口元を歪めて言った。
 
「前例があるわ。知ってるでしょ? 第三次聖杯戦争の折、アインツベルンは|この世全ての悪《アンリ・マユ》を召喚しようと企んだ。けど、現れたのはその名を強制された哀れな少年だったわ」
「……なるほど。それにしても、随分と詳しいんだな。色々と」
「この期に及んで、隠し事をするつもりは無いし、そもそも、とっくに気付いてるんでしょ?」

 何の事かなんて、さすがに口にしない。彼女の問いに秘められた真意を私は理解している。そして、その疑問に対する私の解答が正しい事も……。
 
「イリヤ。アンタもこの世界を作り上げた黒幕の一人ね?」

 私の言葉にイリヤは躊躇い無く頷いた。
 
「私は祈りを叶える為にキャスターの思惑に乗った。あらゆるものを裏切ってね」
「祈りって……?」
「……待て」

 ギルガメッシュが遮った。彼の顔には実に彼らしくない表情が浮かんでいる。焦りと不安。人類最古の英雄王にはあまりに似合わない表情。
 いつもと違う彼に私は胸騒ぎを覚えた。
 
「どうしたの?」

 堪らず問い掛けると、彼は言った。
 
「これより先の真実を識るのは凛にはまだ……」

 ギルガメッシュの顔に苦悩の色が浮かんでいる。
 
「どうしたのよ、ギルガメッシュ」
「アーチャーは凛が真実を受け止めきれないと思っているのね」
「どういう事?」

 私はギルガメッシュに詰め寄った。まるで、彼に己を軽んじられたようで凄く嫌な気分。
 
「これより先の真実を識る事がお前にとって幸福とは限らない」
「ギルガメシュ……? どうしたのよ、貴方らしく無いわ! 常に私に選択するよう言ってきたのは貴方じゃない! なのに、どうして……」
「凛。貴方はどうして、前周回で今の彼とは違う側面のアーチャーを召喚したか分かる?」
「それは……」

 何故、今その話をするんだろう。その事については前にギルガメッシュが教えてくれた。
 
「私が一週目の時と違って、ネガティブな性格になったから……?」
「じゃあ、どうして、そうなったか分かる?」
「えっと、聖杯戦争中に何かがあったんじゃないかって、ギルガメッシュが……」
「その何かって、何だと思う?」

 イリヤの問い掛けに私は答えを窮した。そんな、急に問われても分かる筈が無い。
 
「心が捻じ曲げられる程の何か……、まさか」

 青褪めた表情でバゼットが呟いた。見ると、ライネスも表情を曇らせている。
 
「ど、どうしたの……?」
「……凛。この先は聞かない方がいい」

 言ったのは慎二だった。彼も何かに気が付いたらしい。まるで、死人のように彼の表情も青褪めている。
 三者は瞳に同じ絶望の色を浮かべている。
 
「ど、どうしたのよ、皆!」
「……凛。真実は時に希望を齎す事もある。だが、この真実に関しては……、齎すのは絶望のみだ。それでも、お前は真実を望むか?」

 真実に至ったであろう者達は一人残らず絶望の表情を浮かべている。人類最古の英雄王の表情をも曇らせる真実。
 正直に言えば恐ろしい。ライネスもバゼットも一流の魔術師だ。並大抵の真実では彼らを絶望させるには至らない筈。そんな真実を私は受け止められるだろうか?
 私は前周回とこの周回のこれまでを通じて、少しずつ変わって来た。前よりもずっと、地に足をつけて歩く意思が固まっている。この歩みを止めたくないと思っている自分が確かに胸の内に居る。
 真実を聞けば、歩みを止めてしまうかもしれない。けど、真実から目を背ければ、それも歩みを止める事と変わらない。私は歩き続けたい。
 
「真実を知りたい。自分がどうなってしまうか分からない。けど、このまま逃げるような事はしたくないの」
「……どうやら、我が思っていた以上の成長を遂げていたらしいな」

 ギルガメッシュはやんわりと微笑んだ。
 
「ならば、我はもう止めぬ。お前が歩みを止めようと、歩き続けようと、我は最期までお前の剣となろう」
「……ありがとう」

 さあ、これで後戻りは出来なくなった。イリヤは私をまるで懐かしむように見つめていた。
 
「な、何?」
「やっぱり、凛は素敵ね」
「は、はい?」

 いきなり何を言い出すんだ。目を丸くする私にイリヤは言った。
 
「大丈夫。きっと、貴女なら受け止められる筈。たった一人で全てを背負って、絶望に立ち向かった貴女なら」
「……よく分からないけど、とにかく、聞かせて、全ての真実を」
「ええ、全てを語るわ。だから、どうか最期まで目を逸らさず、歩みを止めず、聞いて欲しい。全ての始まりにして終わりの物語を」

 イリヤは瞼を閉じ、一拍置いた後に口を開いた。
 
「そして、終わらせましょう。この魑魅魍魎の宴。|ファウスト《キャスター》の最強宝具、固有結界『ヴァルプルギスの夜』を」
 
 イリヤは語り始めた。全ての始まりにして終わりの物語。本来の聖杯戦争の経緯を語り始めた。

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