第六十話「蘇生」

「なんちゃって」

 心臓を貫かれた少女は舌を突き出して悪戯っぽく呟いた。
 
「こ、これは……!」

 桜の心臓を貫いた慎二の腕が黒く染まっていく。
 呆気に取られている私達を尻目に桜は言う。
 
「この期に及んで、ライネス達を騙すのは非常に心苦しかったのだけど……、まんまと引っ掛かったわね、臓硯」

 違う。あの女は間桐桜などでは無い。
 
「貴様……、桜では無いのか!?」
「当たり前でしょ? 桜はあそこに居るもの」

 女が指差した先にあるのは蹲るイリヤの姿。
 
「唯一の生き残りだった桜は聖杯と成り、死者の願いを汲み取った。多くの者が望んだ事は『聖杯戦争を続ける事』だった」

 女は自分の胸から生えている腕を掴んだ。すると、黒の侵食が一気に進み、慎二……否、臓硯の体を覆い尽くす。
 
「哀しきかな。各々、叶えたい祈りを抱き参加した筈なのに、死の間際に願った事がそれだった。聖杯を得たいと願う欲望と敵を倒したいと願う殺意と生きたいと願う防衛本能が綯い交ぜになり、聖杯を得る為の戦いが目的と摩り替わってしまった」

 女は朗々と語る。

「そして、聖杯は飲み込んだキャスターのサーヴァント、ゲオルク・ファウストの宝具を模倣して、大聖杯の内部にこの世界を創り上げた。無限に聖杯戦争を続ける事が出来る世界」

 慎二の悲鳴が響き渡る。
 
「こ、こんな筈では……! やめろ、やめてくれ! 儂を殺すという事は慎二を殺すという事じゃぞ! それでも良いのか!?」
「別に構わないわ。未だに勘違いしているようだから、教えてあげるけど、私が間桐慎二に抱いていた感情は愛情でも性欲でも無い」
「何を……」
「同情よ。だって、あの人はあまりにも憐れだった。この世界でもそう。常に彼は憐れだった。『私』を救おうと愚かな真似を繰り返し、破滅を繰り返す。憐れで愚かな人。だけど、臓硯。貴方に|聖杯《サクラ》を渡すくらいなら、私は慎二を殺すわ」

 冷たい口調で言い切った女に慎二はその顔を恐怖に引き攣らせた。
 
「やめろ!」

 慎二の体から何かが飛び出した。それは一匹の小さな蟲だった。男性の陰茎を模したような淫靡な形状の蟲。
 その蟲を蹲っていたイリヤが抓み上げた。
 
「何度騙されても、懲りない人……」
「イリヤ……?」

 クロエが戸惑い気に声を掛ける。
 
「違うわ。イリヤは貴女よ。ライネスの推理の間違いの一つ。貴女は多重人格なんかじゃない」
「……え?」

 ポカンとした表情を浮かべるクロエにイリヤは言う。
 
「イリヤの祈り。それは全てを無かった事にする事。フラット・エスカルドスの死によって、絶望したイリヤは彼との記憶や過去の幸福だった頃の記憶全てを抹消する事を願った」
「何を言って……」

 クロエが膝を震わせながら首を振った。
 
「嘘よ。だって、私はクロエ。イリヤじゃ……」
「貴女はイリヤよ。自ら望んで、『|最初《はじめ》から何も持たないアインツベルンの駒』となった」

 クロエ……、イリヤがよろけ、倒れる寸前にエミヤシロウが受け止めた。
 
「嘘よ……」

 うわ言のように呟くイリヤにイリヤを演じていた女が呟く。
 
「それが真実。この世界はあの時死亡した者達の祈りによって出来ている。例えば、私は幸福を願ったわ。哀しい過去を忘れ、友達や家族に囲まれた日々を願った。その結果がこの姿よ。私が|間桐桜《わたし》のままでは叶わない祈りを辻褄合わせとして用意されたこの役に宛がう事で聖杯は叶えた」

 桜の言葉に凜が言葉を重ねる。
 
「フラットの祈りはイリヤの救済。だからこそ、貴方とイリヤは全ての世界で必ず出会い、絆を育んだ。もっとも、そのイリヤは桜が演じる偽物だったのだけど……」
「何だよ……、ソレ」

 愕然とした表情を浮かべるフラットに凜は続けた。
 
「ライネスとバゼットの祈りはさっき言った、戦いの継続。そして、慎二の願いは私の救済」

 淡々と告げられる真実に私達は言葉を失った。
 
「そして、士郎の願いは自らの否定。言峰士郎という『危険物』の抹消を願い、彼女は偽りの記憶と偽りの祈りによって、カレン・オルテンシアを演じ続けた。彼女の場合は本質が『願望機』だから、桜のように記憶の改竄だけで願いを叶える事が出来なかったから、苦肉の策だったみたいね」

 やれやれと肩を竦めながら、凜は話を続ける。
 
「臓硯の祈りは聖杯を手に入れる事。ある意味、一番真っ当な願いだった。だから、彼は彼のままこの世界で機会を伺う機会を与えられた」
「なら、お前の願いは何だ……?」
「聖杯戦争を終わらせる事」

 凜は私の問いに答えると共に自分の胸から慎二の腕を押し出した。
 何時の間にか、黒く染まっていた筈の彼の体は元に戻っている。
 
「だけど、私の願いだけは|聖杯《アンリ・マユ》にとって不都合だった。だって、聖杯戦争を終わらせるという事はつまり、この世界を終わらせる事。それは他の願いが叶えられなくなるという事。だから、アンリ・マユは私に一つの勝負を持ち掛けてきた」
「勝負?」
「私が|真実《ここ》に辿り着けば私の勝ち。辿り着けなければ、私の負け。私が勝てば、この世界を終わらせる鍵が手に入る。負ければ手に入らない。ただそれだけの単純な勝負」
「じゃ、じゃあ……」

 お前はこの世界を終わらせる事が出来るのか?
 私がそう問うより早く、凜は頷いた。
 
「この世界を終わらせる鍵は今、私の手の中にある。単純な話よ。聖杯を掌握していたアンリ・マユの立ち位置に私が納まっただけの事」
「……なんだと?」

 強張った表情でエミヤシロウが前に出た。
 
「それはどういう意味だ?」
「簡単な事よ。私は今、聖杯の支配権を掌握している。つまり、私が滅べば、この世界は終わる」

 理解するまでに時間が掛かった。
 
「それは……」
「ああ、安心してちょうだい。その前にやる事はちゃんとやるから」
「やる事……?」
「貴女達を甦らせる。それが私の最後の仕事」

 第六十話「蘇生」

「私達を甦らせる……、だと?」
「そして、外の世界に送る。それで終わり。私はこの世界と共に滅びる」
「ま、待ってよ! なんで、そんな……」

 血相を変えて言うフラットに凜は微笑んだ。
 
「アンリ・マユが言っていた絶望。さっき、私はアンリ・マユの立ち位置に収まっていると言ったけど、正確にはアンリ・マユと一体化しているのよ」
「アンリ・マユと一体化だと!?」

 目を見開く私に凜は頷いた。
 
「ただし、意思決定権は私にある。私が自らの滅びを選べば、アンリ・マユも滅びる」
「待ってよ……。ちょっと、待ってよ!」

 クロエ……、イリヤが声を荒げた。
 
「何で、凜が滅びなきゃいけないのよ!?」
「だって、それ以外の選択肢が無いもの」

 凜が言った。
 
「仮に私が生きたいと願ったら、アンリ・マユも生きる事になるし、外に出たいと願ったら、アンリ・マユが外に出てしまう。私は皆の祈りを踏み躙り、己の祈りを叶える。その代償として、命を捧げる。ただ、それだけの事よ」
「り、凜……」

 エミヤシロウがうろたえた表情で彼女の名を呼ぶ。
 
「久しぶりの再会なのに、ごめんね。本当はゆっくり話したかったけど、あんまり時間が無いみたい」
「どういう事だ?」

 彼の問いに凜は私達の背後を指差した。。
 
「厄介な人が来ちゃった……」

 凜が指差した先を振り向くと、そこにルーラーが立っていた。
 
「解答取得。事態収拾に向け、行動を開始します」

 様子がおかしい。普段の彼女からは考えられない程冷たい表情を浮かべ、アメジストのように美しかった紫眼が金色に輝いている。
 
「出来れば、彼女達を生き返らせるまで待って欲しいんだけど……」
「不許可。これ以上の『聖杯』の使用は許容出来ません」
「ル、ルーラー?」

 いつもと様子の違う彼女にフラットは怪訝な表情を浮かべ、近づいた。
 
「ストップよ、フラット。そいつは貴方達の知ってるルーラーじゃない」
「……え?」

 凜が指を鳴らすと同時に周囲にズラリと人影が現れた。
 
「これは……」

 誰もが息を呑んだ。そこに現れたのはついさっき、自分達の敵として立ちはだかった理性無きサーヴァント達。
 それぞれがルーラーに対して武器を構えている。
 
「最終勧告。即刻、聖杯の起動を停止しなさい」
「……駄目よ。この子達は外に送り返す」

 凜の返答と同時にルーラーが動いた。迎え撃つべく、サーヴァント達も動き出し……、一瞬にして全滅した。
 
「……は?」

 誰の声か分からない。誰もが同じような表情を浮かべている。
 目の前で起きた現象が理解出来ない。ただ、ルーラーが剣を一振りしただけで、サーヴァントが武器や防具諸共両断され、蹴られただけで胴体が分断された。

「どういう事!? なんで、ルーラーがこんなに強いの!?」

 イリヤが悲鳴を上げる。
 
「別に不思議な事じゃないわ。元々、サーヴァントは英霊本体の力を劣化させたもの。それに対して、彼女はルーラーというサーヴァントの殻を破り、抑止力として、英霊本来の力を発揮している」

 ルーラーという殻を脱ぎ去った抑止力、ジャンヌ・ダルクは凜に向かって歩み寄る。
 
「宣告。貴女を処刑し、事態の鎮圧を図ります」
「駄目だな。それは許さん」

 ジャンヌが真横に飛んだ。直後、彼女の居た空間に無数の刀剣が突き刺さった。
 
「アーチャー!」

 黄金の鎧を身に纏いし最強の英霊が凜とジャンヌの間に降り立つ。
 
「敵が突如動きを止めたのでな。もしやと思って来てみたが……」
「やっぱり、全部お見通しだったわけね」
「当然だ。それより、真実に至ったのならば聞かせろ。お前は何を選択する?」

 黄金の双剣を構え、ジャンヌを睨みながらギルガメッシュが問う。

「皆を甦らせる。そして、この世界を終わらせる!」
「それがお前の選択か?」

 ギルガメッシュの問いに凜は頷いた。
 
「この選択が出来たのはきっと貴方のおかげ。貴方と歩んだ時間があったから、私は強くなれた。でも、もう少しだけ、貴方の力を借りたい! 彼女達を甦らせ、外の世界へ送るまでの時間を稼いで!」

 ギルガメッシュは微笑んだ。
 
「凜よ。お前は強くなった」

 しかし、と彼は言った。
 
「まだまだ未熟よ。お前はまだ、学ぶべき事が山程ある。だがまあ、至らぬ契約者を盛り立てるのも仕事の内だ。ああ、任せておけ。お前が歩むべき道に聳える壁は我が宝物で砕き伏せる」

 ギルガメッシュはその腕に宿る呪印を掲げた。
 
「王律剣・バヴ=イルを使う。我が宝物庫の扉を開けよ」

 彼の背後の空間が揺らぐ。無限に等しい宝具が顔を出し、一斉に矛先をジャンヌに向ける。
 
「自らを抑止と気付きながら、自らの我欲を押し通そうとした貴様には期待していたのだが、やはりこうなったな。凜が歩む未来に障害として立ちはだかると言うのならば是非も無い。貴様はここで倒れろ、不敬!」

 戦いが始まった。抑止として、サーヴァントという枷から解き放たれたジャンヌ・ダルクを相手にギルガメッシュは初めから全開だ。無数の宝具が爆撃の如く彼女に降り注ぎ、同時に無数の拘束宝具が爆心地に向かって伸びていく。
 呆気に取られていると、凜が近づいて来た。
 
「あんまり時間が無いから、さっさと終わらせるわ」

 凜は最初にフラットの手を取った。
 
「フラット。イリヤをお願いね」
「待ってくれ! 君は本当に……」
「ごめんね。皆で一緒に遊びに行く約束は守れそうにない」

 フラットの体が光になって消えた。代わりに頭上のステンドグラスの一部が割れ、そこからフラットが落ちて来た。
 
「あれがフラットの本体か?」

 私が問い掛けると、凜は頷いた。
 それと同時にフラットの落ち往く先に光の扉が開く。
 
「さようなら、フラット」

 フラットの体が光の扉の向こうへ消えた。
 
「次はバゼットね」
「……貴女は怖くないのですか?」

 バゼットが問う。
 
「怖いわ」

 そう、平然とした顔で凜は答えた。
 
「でも、こうなった原因は殆ど私のせいだし、責任は取らなきゃね」

 そう言って、彼女はバゼットの手を取った。バゼットの体がフラットと同じように光に変わり、頭上のステンドグラスの一部が再び割れた。
 
「次はイリヤね」
「り、凜……」

 何かを訴えかけようとしているみたいだが、言葉が見つからないらしい。
 口元をもごもごと動かす彼女に凜は言った。
 
「幸せになってね。今度こそ……」
「凜!」

 イリヤが光に呑み込まれ、ステンドグラスが割れた。
 
「慎二も送ったし、後は貴女ね」

 凜が私の下に向かって来る。
 
「なあ、凜」
「何かしら?」
「私は聞きたい事が山程残っているよ」

 解き明かされていない謎がまだまだ大量に残っている。例えば、間桐桜の事。凜は私で最後と言ったが、まだ、桜が残っている。
 
「彼女の事はどうするんだ?」
「……桜は甦る事を望んでいないの」

 哀しそうに言った。
 
「イリヤとして過ごした時間は確かに楽しかったわ。でも、姉さんが代弁してくれた私の気持ちは本物よ」

 イリヤの姿のまま、桜は座り込んだ状態で呟いた。
 
「甦りたくなんて無い。だって、私の人生は十年前に完結した。なのに、無理矢理墓場から叩き起こされて、正直、迷惑でしかないわ」

 桜の言葉に凜は顔を伏せた。言いたい事が山程あるだろうに、自分の気持ちを押し殺している。
 それが何だか腹立たしかった。
 
「凜。自分の気持ちに正直になれ」
「ライネス……?」
「自分を押し殺しても良い事なんて何も無い」

 思わず笑ってしまった。どの口がほざいているんだろう。
 自分を押し殺して、アーチボルト家の当主の座を継ぎ、こんな場所まで来てしまったけれど、私が本当にしたかった事、成りたかったもの、行きたかった場所はこんなんじゃなかった筈だ。
 
「願い。夢。祈り。それらは全て、欲望と同義だ。皆を甦らせたり、皆の願いを終わらせたり、そんだけ欲望を撒き散らしたんだから、どうせならもう少し、我侭になってもいいと思うぞ」

 視界がぼやけていく。光に包まれる寸前、彼女の声がかすかに響いた。
 
「ありがとう」

 感謝されるいわれは無いが、受け取っておこう。それが彼女に対する私の感謝だ。一度は失った命を二度までも与えてくれた事に感謝している。
 目が覚めると、私は洞窟の中に居た。周りにはイリヤやフラット達の姿の他に見知らぬ人間の姿がチラホラ見える。
 
「凜……」

 イリヤは立ち上がると、聳え立つ高台の向こうに見える禍々しい塔を見つめた。
 
「やっぱり、駄目だよ。凜が居なきゃ、駄目なんだよ」

 彼女は呟いた。
 
「夢幻召喚……。力を貸して、モルガン」

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