第五十二話「正体」

「……貴女は誰ですか?」

 ルーラーは鏡に向かい合い問う。その先に見ているのは鏡に映る自分の中に居るパートナー。
 
『私が誰か……、ですか。随分と今更な問い掛けですね』

 自らの内から響く声にルーラーは苦笑する。確かに、今更過ぎる質問だ。けれど、問わずには居られない。彼女の存在があまりにも不可解だからだ。
 カレン・オルテンシア。嘗て、この冬木に居を構えていた神父、言峰綺礼の実子であり、自らに宿る異能、被虐霊媒体質を使い聖堂教会の為に尽くす信心深いシスター。
 彼女はルーラーが憑依した時、冬木市に居なかった。そもそも、彼女は私が憑依した事で、前任者と入れ替わる形で聖杯戦争の監督役となり、生まれて初めてこの街に足を踏み入れたのだ。
 ならば、彼女が一週目の世界で聖杯戦争に巻き込まれ、命を落とすという事態は発生しない筈。ならば、ここに居る彼女は何者なのか? 最も可能性が高いのはヴァルプルギスの夜が招いた魑魅魍魎の一匹が擬態しているというもの。
 だけど……、
 
「仮に貴女がヴァルプルギスの夜に招かれた魑魅魍魎が化けている存在なら、私には分かる。いえ、そもそも、私の憑依対象にはならない筈……」
『私が何者なのか、もう、貴女は分かっている筈』
「……既にヒントは提示されていると?」
『ええ、答えに至る標は既に貴女の中にあります』

 ルーラーは瞼を閉じた。彼女の正体に至る標を見つけ出す為に記憶を検索する。彼女との出会いから今に至るまでの全記憶を検証し、彼女は一つの結論を出す。

「……降参です」
『あらあら、分かりませんか?』

 失望したような声にルーラーは肩を落とした。
 
『仕方ありませんね……』

 少し不満そうな声にルーラーは縮こまった。すると、クスリと内なる声が微笑んだ。ルーラーは困惑した表情で自らの胸元に視線を落とした。
 
『冗談です』
 
 実に愉しそうに内なる声は言った。
 
『貴女の反応があまりにも可愛いので、ついついからかってしまいました』
「せ、性格が悪いですよ……」
『ごめんなさい、ルーラー。何だかんだで、もう24年と少しですから』
「24年……?」
『私がここで、この姿で過ごした時間ですよ』
「なっ!?」

 ルーラーは言葉を失った。
 
『この世界はこの周回で1298回目になるんです。その間、私は最初にイリヤとキャスターに頼まれた通り、本来の私とは全く異なる存在に姿を変え、その人として生きて来ました』
「貴女は……、一体!?」

 ルーラーの問いに内なる声は静かに答えた。
 
『言峰士郎。それが私の名前です』

 第五十二話「正体」

「こ、言峰士郎ですって!?」

 ルーラーは内なる声によって明かされた真実に驚愕の表情を浮かべた。そんな彼女に対して、士郎は平然と言葉を続ける。
 
『別に不思議な事では無いでしょう? むしろ、私以外に貴女が憑依する上で都合の良い人間は他に居ませんし、カレン・オルテンシアとの関係性もこの世界に招かれた人々の中で一番深いのは間違いなく私です』
「し、しかし……」
『まあ、落ち着いて下さい。……と言っても、私の事を御疑いになる気持ちも分かります』
「い、いえ、私は――――」

 慌てふためくルーラーに対して、士郎は穏やかな口調で言った。
 
『正直、私自身、少し驚いているんです』
「どういう事ですか?」
『私の性質はクロエが語った通りです。だから、どうしても誰かに祈られたら、それを叶えずにはいられない。それが、どんなに破滅的な願いであろうと……。けれど、この性分は一生治らないだろうと思っていました』
「……シロウ?」

 士郎の声は震えていた。

『24年です……。その間、私はずっとカレン・オルテンシアとして、彼女達の戦いを見続けて来ました。ずっと、何もせずに……』

 まるで、道に迷った幼子のように声を震わす士郎にルーラーは胸を痛めた。
 
「シロウ。貴女は……」
『強い祈りを抱き、必死に戦う彼女達の姿から、いつの頃からか目を離せなくなっていました……』

 それはまるで懺悔をする咎人のようだった。
 
『ずっと、見て来ました。全ての真実を識っていながら、ただずっと、傍観者に徹していました』
「貴女はその事を悔いているのですね?」

 ルーラーの言葉に士郎は「分からない」と応えた。

『ただ、繰り返し死に行く彼女達を見続けている内に私は自分が分からなくなりました。でも、どうしても彼女達を救う選択が出来なかった。そもそも、そんな力が私には無かったし、イリヤとキャスターの祈りを反故する事も出来ませんでしたから……』

 頬を涙が伝う。けれど、ソレはルーラー自身が零したものでは無かった。
 士郎が泣いている。言峰綺礼によって、聖杯の欠片を埋め込まれ、全てを失った筈の空白の少年が涙を零している。
 
『時間というのは人を少しずつ変えるようですね。二十四年の歳月をカレン・オルテンシアとして過ごし、彼女達の死を見続ける内、私はじっくりと自分の在り方を見つめ直す事が出来ました。自分が如何に罪深い人間なのかを理解しました……。だから、毎日祈りました』

 士郎の嘆きをルーラーは黙って聞き続けた。
 
『矮小な身で誰も彼もを救いたいと願った度し難い愚か者である私を罰して欲しかった。彼女達を救って欲しかった……。だから、貴女が私に憑依した時、心から嬉しかった。神が私の声を聞き届けて下さったのだと……』

 ルーラーは漸く理解した。士郎は人並み外れて信仰心の厚い人物だった。その理由を理解出来た。
 それしか方法が見つからなかったのだ。神に縋る事しか出来なかったのだ。だから、彼女は神に祈り続けた。
 
『私は英霊を憑依させる上でとても都合の良い存在でした』

 士郎は語る。
 
『まず、何よりルーラーというクラスの性質上、信仰心の高い人間が寄り代に選ばれ易い。それに、私はイリヤやクロエと同様に夢幻召喚を使えるのです』
「夢幻召喚を!?」
『驚く事では無いでしょう。義父が私に埋め込んだ聖杯の欠片を通し、私はユスティーツァと繋がっている。故に、イリヤとも繋がりがあるのです。それに、イリヤ同様、私も聖杯を起源とするので、既存の魔術を過程を無視して再現する事が出来ます。故に、イリヤに出来る事ならば、私にも出来るのです。加えて、私は固有結界によって、肉体を変化させる事が出来る。つまり、イリヤ以上に夢幻召喚したサーヴァントの力を万全な状態で発揮させる事が出来るわけです』

 漸く分かった。士郎が如何にルーラーの寄り代に相応しいか……、では無い。
 最初に寄り代とする人間を検索した時、三件がヒットした。そして、その内の一件にイレギュラーがあり、残った二件の内、より信仰心の高い人間が選ばれた。
 その三件とは、士郎とクロエ、そして、イリヤだったのだ。彼女達は皆、夢幻召喚を行える。それはつまり、彼女達がルーラーのクラスを召喚する上で最適な存在だったという事。イレギュラーは恐らく、イリヤ。彼女は黒幕であり、今は既に常時キャスターのサーヴァントを夢幻召喚している状態にある。故にクロエと士郎のどちらかから選ぶしかなかった。
 そして、二人の内、信仰心がある人間は士郎の方。だからこそ、ルーラーは彼女の下に現れた。

「シロウは……、どうしたいのですか?」

 ルーラーは問う。
 
『……私は』

 心の中で士郎は大きく息を吸い込んだ。気配が変わる。彼女は覚悟したのだ。これから、自らにとって大きなモノを壊す覚悟を……。
 ルーラーはただ、黙って彼女の答えを待つ。
 
『彼女達を救いたい……。あまねく全てをでは無く、彼女達を救いたいのです』

 それは自らの在り方の否定。あまねく全てを救いたいと願った筈なのに、今の彼女は救うべき対象に優先順位を設けている。その事がどれほどの苦痛を彼女自身に与えているのか、ルーラーには分からなかった。
 けれど、彼女の慟哭を聞き届ける事は出来る。
 
「貴女の願い……、聞き届けました」

 体に光が満ちる。自らの正体を知ったルーラーはもはや、サーヴァントという殻を必要としない。既に、この世界に入り込めた時点でルーラーというクラスは用済みだ。

「……ルーラー?」
「シロウ。いえ、今生のマスターよ」

 ルーラーは士郎の体を離れ、一個の英霊として、彼女に手を差し出した。
 
「貴女の願いは私の願いだ。私も彼女達を救いたい。だから、私は抑止力としてでは無く、貴女のサーヴァントとして、戦いたい」
「ルーラー……」

 士郎は儚げに微笑みながら、彼女の手を取った。
 
「ありがとう、ルーラー」
「共に彼女達を救いましょう」
「……はい」

 出会ってから初めて、直に顔を合わせた二人。互いに微笑み合いながら、その時を待つ。戦いの始まりまで、後二時間……。
 
 間桐慎二は自らを目覚めさせた存在に目を丸くしていた。
 
「ライダー?」
「ふふふ。おやよう、寝坊助さん」

 彼の手には一冊の本。ありとあらゆる魔術を打ち破る英雄・アストルフォの宝具である。彼はこの本を使い、彼を眠りから覚ましたのだ。
 
「僕に何か用かい?」
「……ちょっと、心配でさ」
「心配?」

 慎二は目をパチクリさせた。彼にとって、ライダーはそれほど親しい間柄の人間では無い。そもそも、一週目を含めて、まともに会話をするのはこれが始めてだ。そんな彼がどうして自分を心配するのか、慎二にはサッパリ理解出来なかった。
 
「ほら、さっき吐いちゃってたじゃん? やっぱり、人を食べちゃったって、結構トラウマになってる?」
「……人の傷口を抉りに来たのか?」

 ゲンナリした表情を浮かべる慎二にライダーは「まさか」と応えた。
 
「君は今、何者だい?」

 その質問に慎二は目を見開いた。
 そして……、クスリと微笑んだ。
 
「聊か……、予想外だったな」

 髪をかき上げ、慎二は言った。
 
「気付くとしたら、凛だと思っていたのだがな」

 口調が変化し、気配までも一変させる彼にライダーは軽薄な笑みを浮べて言った。
 
「生憎、今の僕はいつもと違うよ。知らないかな? 僕の伝承を……」

 ライダーは一本の小瓶を手に言った。
 
「理性か……」
「そうさ。これが僕のとっておき。これを飲むと、僕は蒸発した理性を一時的に取り戻せる。だから、今の僕に虚言は通用しない」

 ライダーの鋭い眼光を向けられて尚、慎二は笑みを崩さない。
 
「わざわざ、私の為にとっておきを使ってくれるとは、光栄の至りだ」

 慎二はそう言いながら立ち上がる。
 
「では、その事に敬意を示し、名乗らせて頂こう」

 男は言った。
 
「間桐臓硯。それが私の名だよ、ライダー」

 男の言葉にライダーは眉一つ動かさなかった。
 
「そして、同時に間桐慎二でもある」

 男は問う。
 
「どうして、私の事に気がついたのかね?」

 ライダーは答える。
 
「まず、気になったのは一週目における間桐臓硯の動向だよ。彼は聖杯に対して、並々ならぬ執着心を持っていたらしい。そんな彼が己のサーヴァントに裏切られたからと言って、アッサリと退場するとは思えない」

 それに、とライダーは続ける。
 
「一週目のアサシン、ラシード・ウッディーン・スィナーンは決して軽率な男では無かった筈だよ。何せ、彼は指導者としても一角の人物だったらしいからね」

 ライダーは鋭い眼差しを男に向けながら言う。
 
「そんな彼が自らの主を裏切る時に生半可な真似をするとは思えない。特に相手が狡猾で油断なら無い男であるなら尚更だ」

 ライダーは言う。
 
「だから、僕はこう思ったんだ。スィナーンは臓硯の殺害をキャスターに依頼したのではないか……、とね」
「ほう……」

 男は興味深げに笑みを浮かべた。
 
「だが、キャスターがそう都合良くアサシンの頼みを聞き入れ、同盟相手であるマスターを殺害するかな?」
「キャスターとアサシンが共謀していたとクロエちゃんは言っていた。けれど、そうだとすると、どうしても無視出来ない疑問点が湧く」
「疑問点?」
「そうさ。普通、魔術師が同盟相手に自らを遥かに上回る力量を持つ魔術師のサーヴァントを選ぶ事はあり得ない。何せ、キャスターには策謀に優れた英霊が選らばれる。いつ、自らが裏切られるか分からないからね」
「なるほど、正論だな」
「加えて、キャスターのマスターは他者と同盟を組むタイプでは無かったらしい。とすると、キャスターとアサシンの同盟はマスター同士が締結したものでは無く、サーヴァント同士が勝手に結んだものではないか? と思うわけだよ」

 男は何も言わず、笑みを深めた。
 
「だから、キャスターはアサシンの願いを聞き入れた。より厄介なマスターを排除し、代わりに御し易そうな未熟な魔術師を彼のマスターに据える事はキャスターにとっても利になるからね」
「それで?」
「間桐臓硯は完全に死亡している。そう考えると、奇妙なのはクロエちゃんの発言だ。彼女は彼の生死を不明と称した。つまり、これはイリヤちゃんが知り得ない情報だったわけだ」

 ライダーは疑問を提示した。
 
「何故、イリヤちゃんはその事を知らなかったのか? それはキャスターが黙っていたからだ。ならば、何故、彼は黙っていたのか? その答えは――――」

 ライダーは人差し指を男に突きつけた。
 
「間桐臓硯がキャスターに対して、何らかの取引を持ちかけたか、あるいは……、彼に何かを祈ったかだ」

 その言葉に男は突如哄笑し始めた。
 目を丸くするライダーに男は満面の笑みを浮かべて言う。
 
「素晴らしい! 大正解だ、ライダー! 理性を取り戻したアストルフォはとても聡明だったそうだが、伝承の通りだな」
「お褒めに預かり光栄だよ」

 ライダーが微笑むと男は言った。
 
「そう、私はアサシンに裏切られ、キャスターに殺された。だが、私は死の間際に彼に願ったのだ。『まだ、死にたくない。若かりし頃に戻り、永遠を生きたい』とな。すると、気がついたらこうなっていた。いや、記憶を取り戻した時は実に驚いたよ。自分にこんなにも奇妙な現象が起きている事にね」

 男の言葉にライダーは「だろうね」と言った。
 
「ちなみに、君の事について考える切欠になったのは他にもあるんだ」
「聞かせてくれるかい?」
「勿論だよ。何より気になったのは君がアサシンを召喚出来た事さ」

 ライダーの言葉に男は首を傾げた。
 
「それは、慎二がライネスの肉を喰らったからだろう?」
「違うよ。ライネスも言ってたじゃない、『不可解だ』って」
「どういう意味かな?」

 男は面白がるように問い掛ける。
 
「だって、自己改造っていうスキルは別に魂を書き換えるスキルじゃない。自らの肉体を改造するスキルだ。それに、魔術回路も魂では無く、肉体に根付くものだ。なら、死後の魂を元に生成されたコピーに後付けされたライネスの魔術回路が付属する筈が無い。なら、彼がサーヴァントを召喚出来た理由は他にあるんじゃないか? そう考えたんだよ」
「まったく、大したものだ。またもや、大正解だ。まあ、私の魔術回路も既にボロボロだった。故に魔術行使の際は蟲を回路の代用として使って来た。召喚する度に倒れたのも私の朽ちた回路には荷が重かったからだ」

 惜しみない称賛を送り拍手する男にライダーは問い掛けた。
 
「それで、君はどうするつもりなんだい?」
「どうするとは?」
「慎二として、凛ちゃんを助けるのかい? それとも、臓硯として、自らの望みを叶えるのかな?」

 ライダーの問いに男は答えた。
 
「慎二として凛を助ける。そして、臓硯として、自らの過ちを正す為に戦う」

 その返答にライダーは初めて動揺した。
 そんな彼の様子に男は嬉しそうに微笑む。
 
「睨む君も実に美しかったが、そうした顔も実に愛らしい。男とは思えない程だ」

 そんな軽口を叩きながら、男は言った。
 
「私も昔から邪悪だったわけでは無いのだよ」

 男は言う。
 
「最初は違ったんだ。私はただ……、ユスティーツァと共に……。いや、これは言い訳だな。慎二と魂を同化させた事で臓硯の魂に何らかの影響があったのだろう。とにかく、今の私にとって、この数百年は誤りでしかなかった。こうなる前に死ぬべきだった……。だが、外法に手を染め、生き延びてしまった。その結果、多くの運命を捻じ曲げてしまった。死をもってすら、贖い切れぬ罪だ。だが、せめて私が不幸にしてしまった凛の手助けをしようと思う。その為に、私は私の持つ全てを慎二に委ねる」

 男は――――、臓硯は微笑んだ。
 
「感謝するよ、ライダー。最後にこうして|私《・》の思いを聞いてくれて、本当に感謝している」

 そう言い遺し、彼は瞼を閉ざした。そして、再び開いた時、彼は言った。
 
「胸糞悪いな……」

 そんな彼にライダーは言った。
 
「好きな女の子を守る為なら、少しは我慢しなきゃだよ、慎二」
「……だな。使えるモノは何だって使ってやるさ。それで、少しでも凛の助けになるというなら……」
「その意気さ」

 慎二は自らに同化していた臓硯の魂が消え去るのを感じた。否、自らの中に溶けて行くのを感じた。
 彼が本当に望んでいた祈りを知り、その為に彼が追い求めた悲願を知り、彼の持つあらゆる知識と術を知った。
 少年に苦悩している暇は与えられない。戦うべき時は直ぐそこに……。
 日付が変わるまで、残り一時間――――。

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