第二話「集うマスター達」

 まだ太陽が昇ったばかりの早朝、一人の若者が買い物客で賑わうマルシェを歩いていた。
 フラット=エスカルドスは買ったばかりのリンゴに噛り付き、往来する観光客や地元民の合間を抜けて海岸へと出た。
 ここは、地中海が広がるコート・ダジュールの中心都市・ニース。
 風光明媚なこの都市は空港がある事もあって、海外からの観光客も多い。
 紺碧の海をバックに記念写真を撮影している東洋人達のグループや海岸に裸で寝そべっているイタリア人を尻目にフラットは近くのベンチに腰掛けると、肩に掛けていた鞄から一冊の古い本を取り出した。
 ペラペラとページを捲り、時折何かを呟いたかと思うと、手帳にメモを書いている。
 本を読み終え、ページを閉じると、フラットは少し離れた所で写真撮影をしている男女に声を掛けた。

「ねえねえ、俺が撮ってあげようか?」

 フラットが気さくに声を掛けると、男女はギョッとした表情を浮かべた。
 フラットは気にした風も無く笑顔を浮かべると、ベンチから立ち上がった。

「俺が撮ってあげるって言ったんだ」

 フラットが言うと、男女はさっきとは少し違った驚き方をした。
 どう見ても西洋人にしか見えない若者の口から流暢な母国語が飛び出したからだ。

「あれ? 日本人だよね? おたくら。あれれ?」

 声だけを聞けば日本人が話しているのではないかと思うほど流暢に日本語を操るフラットに日本人の男女は顔を見合わせた。

「えっと、その……」
「二人っきりでデートかい? なら、一緒に写った方がいいよ。大丈夫だって、ここは国内でも治安が良い場所だ。つまり、俺は泥棒じゃないって事。お分かり?」

 フラットが言うと、男の方が恐る恐るといった様子でカメラを差し出して来た。

「えっと、じゃあ……お願いします」
「任せておいてよ。じゃあ、そこに並んで」

 フラットは男女の写真を数枚撮ると、カメラを男の方に返しながら話しかけた。

「俺、今度日本に行くつもりなんだ」
「そうなんですか?」

 男はフラットがカメラを素直に返した事で警戒心を解いたらしく、自然とフラットの言葉に受け答えをした。

「うん。冬木って所。知ってる?」
「ああ、いえ、知りません。お仕事ですか?」
「まあ、そんな感じかな。友達を作りにちょっとね」
「業務提携ですか? お一人で、ですか? お若いのに凄いですね」
「業務……、まあ、そういう事になるかな」
「頑張って下さい」
「うん。じゃ、俺はこの辺で! ここはいい所だから、楽しんでいってね。じゃ!」

 日本人の男女に別れを告げると、フラットはその足で遠目に見える空港へと向かった。 

第二話「集うマスター達」

 三日後の夕方、慣れない異国での交通手段に戸惑いながら、フラットは日本の関西地方にある冬木の地に足を踏み入れた。

「ン、ン――――!」

 恍惚した表情を浮かべながら、フラットは自分の手の甲を見つめている。彼の視線の先には火傷の痕の様な真紅の模様が浮かんでいる。
 うっとりとした様にため息を吐く彼が立っているのは冬木の駅前広場だ。周囲の人々は奇異な目で見つめるか、あるいは関わりを持たない様にわざと視線を外して通り過ぎていくかの二通りだ。

「ヘイヘイ!」

 フラットは偶然横を通り過ぎようとしていた学校帰りらしい高校生の少年を捕まえると心底嬉しそうに自分の手の甲を見せ付けた。

「どうだい、コレ! カッコいいでしょう?」

 突然、外国人に肩を組まれて変な刺青らしきものを見せ付けられた少年はあわあわと周囲に助けを求めるが、誰一人として助けに入ろうと言う勇者は居なかった。

「えっと、それって……その、刺青ですか?」

 少年はビクビクした様子で尋ねる。海外ならばどうかは知らないが、基本的に日本で刺青を入れる人間というのはかなり限られている。裏社会に身を置く危険人物か、あるいはそれに憧れる馬鹿だ。
 ここで気をつけなければいけないのは、例え後者の馬鹿であろうと、平々凡々な一般人にとっては脅威だという事だ。むしろ、暴力団やカラーギャング、暴走族といった少年がパッと頭に閃く悪党よりもずっと身近に居て、ずっと加減を知らない。暴力に憧れてはいても、暴力の加減を知らない人間はどこまでやったら人間が壊れるのかなんて御構い無しだ。
 少年の通う高校でつい最近、悪党を気取る三年生が二年生の男子生徒に大怪我を負わせた。二年生の男子生徒は事件から半年経った今でも病院で暮らしている。
 少年の目から見て、目の前のフラットは後者に思えた。純粋な悪党と言うにはあまりにも無邪気で、爽やかな印象があるからだ。
 だが、その印象も彼が見せびらかす“悪の刻印”によって台無しになっている。

「さって、大物を釣り上げに行きますかね! じゃ!」

 お金を渡せば許しくれるかも、と少年が財布の中に入っているお札の枚数を思い出そうとしていると、拍子抜けする程あっさりとフラットは少年を解放して去って行った。

「な、なんだったんだ……一体?」

 少年の疑問に応えられる者は広場には一人も居なかった。
 広場には……。

 陽が沈んだ頃、フラットは冬木市を一望出来る高台にある工場跡に来ていた。

「うーん、ここなら一晩くらいなら……」

 崩れた天井や蔦だらけの壁を見る限り、随分前から放置されているらしい。地面や壁には地元の不良が描いたらしい奇天烈なアートが所狭しにあって、どうにも落ち着かない。
 フラットは思わず溜息を零した。

「失敗したなー」
「どうかしたのですか、少年?」

 フラットが地面に座り込みながら項垂れていると、いつの間にか目の前に赤毛の女性が立っていた。
 ハッとするほど美人で、思わず見惚れていると、女性は「ん?」と首を傾げた。

「えっと、実は、思いつきで日本に来たのは良いんですけど、宿を予約するのを忘れてまして……」
「君、少し抜けてるって言われない?」

 クスリと笑う女性にフラットは恥ずかしそうに「時々……」と呟いた。

「言われているなら、直さないといけないな」

 じゃないと……、と女性はフラットの手を取った。
 そして、ゾッとする程綺麗な笑みを浮かべて言った。

「命に関わりますよ」
「そんな、大袈裟な……」

 思わず身を引くフラットを逃がさないように女性はフラットの手を恐ろしいほどの力で引っ張った。
 そして、

「君は聖杯戦争のマスターか?」

 と、分かりきった事を尋ねた。

「えっと、その予定……ですけど……、もしかし……なくても、お姉さんも?」

 引き攣った笑みを浮かべながら尋ねるフラットに女性はニコリともせずに「そうですか」と呟くと、同時にフラットの腹部に拳を突き刺した。
 まるで爆発したかのような衝撃を受け、少年の体は木の葉のように宙を舞った。工場の壁に激突すると、壁が崩れ去り、壁の残骸ごと地面に落下した。。
 内臓が一撃で破裂し、肋骨は悉く粉砕した。
 全身がバラバラになったかの様な激しい痛みに苦悶の声を漏らすフラットの視線の先で女性が感心したような表情を浮かべているのが見えた。

「今の一撃に耐えるとは、さすがは聖杯戦争のマスターに選ばれただけの事はありますね」
「だな。俺からも褒めてやるぜ、坊主」

 そんな声が直ぐ間近から聞こえた。
 明滅する意識の中で首を動かすと、そこには青い髪の男が居た。

「ま、街中で令呪を堂々と曝してた自分の間抜けさを恨むんだな」

 そう言って、男はどこからか取り出した真紅の槍を振り上げた。
 それでようやく理解した。
 ――――ああ、死んじゃうのか、俺。
 聖杯戦争。
 極東の地で五十年周期で行われている聖杯降臨の大儀式について、フラットが知ったのは偶然だった。彼が所属している組織で同じ教授を師事する少女がその戦争に参加するという噂を耳にしたからだ。
 何でも、彼女の家門は件の戦いで当代の頭首を失い、衰退の一途を辿っているらしい。没落一直線の家門の長を務めるのは誰にとっても嫌なものだったらしく、彼女は若くして魔術師の家門の頭首の座を押し付けられたそうだ。
 可哀想だな、と思いながらも、フラットは聖杯戦争というものに興味を持った。そして、聖杯戦争に関する記述に目を通す内、彼の瞳にはみるみる好奇の光が浮かんだ。
 過去の英雄を召喚し、戦うという聖杯戦争。彼が何より惹き付けられたのは、どんな望みも思いのままに叶えられる万能の願望機たる聖杯では無く、魔術師同士の尋常ならざる武勇と知力を競う殺し合いでも無く、英雄を召喚するという聖杯戦争の参加条件そのものだった。

『過去の英雄と会えるなんて、最高にかっこいいじゃん!!』

 それが聖杯戦争への参加を決めると同時に彼が発した言葉である。
 聖杯戦争の事を知って、嘗ての英雄達に会えるなんて凄いと思って楽しみにしていたのに、まだ、全然英雄達に出会っていないのに、こんな所で死んじゃうのか、そう、少年は頭の中で考え、胸の内でソレを拒絶した。

 ――――まだ、死にたくないな。

「あばよ、坊主」

 振り下ろされる真紅の槍に少年は思わず瞼を閉じ、恥も外聞も無く叫んだ。

「誰か、助けてくれ!!」

 その叫びに応える声があった。

「――――わかった」
「これは――――ッ!?」

 驚く声はあの赤い髪の女性のものだった。
 恐る恐る瞼を開くと、フラットは奇跡を目にした。
 フラットがここに来たのはただの偶然だった。ただ、野宿に適していると思って、立ち寄っただけだった。
 着いたのも今さっきの事で、祭壇はおろか、英霊召喚用の魔法陣を描くのもまだだった筈だ。だと言うのに、今、地面で光り輝く文様があった。紛れも無く文献で読んだ英霊召喚用の魔法陣だ。召喚の祝詞を唱えたわけでも無く、魔法陣は既に起動していた。
 十年前、ここで一つの事件があった。一人の女性が一人の殺人鬼の手に掛かり殺された。殺人鬼の名は雨生龍之介。彼が冬木に来て最初に行った殺人の地。彼が刻んだ英霊召喚の陣は十年の時を経て、再び浮かび上がった。

「このタイミングで召喚だと!?」

 真紅の槍の男――――ランサーは悪態を吐きながら槍を振るったが、槍がフラットに届く事は無く、いつの間にかランサーとフラットの間に立ちはだかる金色の槍を構えた真紅の髪の騎士によって防がれた。そして、騎士はフラットの手を取ると、一足飛びで騎士は崩れた天井を抜けて工場の屋上へと舞い上がった。
 騎士によってお姫様抱っこをされた状態でフラットは夜天に浮かぶ月の明かりに照らされた騎士の顔を見て、息を呑んだ。
 その赤い髪の騎士のあまりの美しさに見惚れてしまったのだ。
 騎士はフラットに微笑み掛けると、初めて口を開いた。

「初めまして。君が、ボクのマスター?」

 騎士の問いにフラットが出来たのはただ首を振るだけだった。
 何度も何度も首を縦に振り、己が騎士の主である事を主張した。
 その応えに騎士は満足し、騎士は言った。

「よろしくね、ボクのマスター」
「君が……、俺のサーヴァント……?」

 唖然とした表情を浮かべるフラットに騎士は優雅に頷いて見せると、眼下で睨みを利かせる槍使いの男を睥睨した。

「やあ、ボクのマスターがお世話になったみたいだね」

 鼻にかかった甘い声には僅かたりとも敵意は無かった。騎士の言葉はただの確認作業であり、これから行われる宴の開幕の挨拶のようなものだった。
 英霊と英霊。時や国を隔て、交わる筈の無かった二人が武を競う。
 聖杯戦争という宴の始まりはこの日、こうして幕が上がったのだ。
 ……とフラットは思ったのだが、数分後、彼が居たのは冬木市の上空を駆ける幻獣の背の上だった。
 いざ、戦いが始まる、と思った時、どこからか現れた鷹の頭を持つ馬のような幻獣に乗せられて、冬木の遥か上空まで連れて来られたのだ。

「どう、マスター? ボクの|この世ならざる幻馬《ヒポグリフ》の乗り心地は?」

 フラットは冬木の遥か上空に連れて来た下手人は顔をフラットに向けて問うてきた。

「最高ッス!!」

 うんうんとフラットの答えに満足そうに微笑むと、騎士は言った。 

「怪我の具合はいいみたいだね。じゃあ、もっとしっかり捕まってておくれ。落ちても助けてあげられるけど、その拍子に傷が開いたら困るからね」

 騎士の言葉にフラットは心中ドキドキしながら頷いた。あの赤い髪の女に殴られて潰れた内臓や砕かれた骨は騎士から手渡された薬によってあっという間に修復されてしまった。
 だから、身体的にはしっかり捕まる事に支障があるわけでは無いのだが、これまで出会って来たどんな女の子よりも可愛い顔をした子の体にしっかり捕まるのは精神的に支障がある。
 だけど、落ちて間抜けをさらすのも恥ずかしいし、とフラットは自分に言い聞かせ、騎士のか細い腰にギュッと腕を回して己の体を確りと固定した。

「結構」

 より密着したせいで、騎士の体から香る甘い香りが鼻腔を擽り、脳みそが溶けてしまいそうになった。この時点で騎士に対するフラットの印象は初見の時とは逆のものになっていた。今のフラットの抱く騎士に対する印象は主を守る戦士ではなく、どちらかと言うと、守られる立場の可愛いお姫様だった。
 艶やかで長い髪は首の辺りから三つ編みで纏められている。首筋は滑らかで長く、肩は外套で隠れているけれど、ひ弱で華奢なイメージだ。
 細かい細工の施されたボディーアーマーが辛うじて戦う者である印象を残しているが、細い手足や磨かれた貝殻のように綺麗な爪はその僅かばかりに残された印象を吹き飛ばしてしまう。

「自己紹介したほうがいいよね? ボクはサーヴァント・ライダー。真名はアストルフォ。君は?」

 片目を閉じ、悪戯っぽい笑みを浮かべて腰に回されたフラットの手を己の両手で包み込むライダーにフラットは顔を真っ赤にしながら答えた。

「俺、フラットって言います。フラット=エスカルドス」
「フラット……。うん、覚えた。よろしくね」

 ライダーはそう言うと、ヒポグリフの手綱を操り、更に高度を上げた。何らかの加護が働いているのか、雲の中に突入し、目の前が真っ白な霧に包み込まれても、不思議と寒さは感じなかった。数分が過ぎると、不意に雲を抜け、目の前に広がる光景は一変した。
 フラットの目に飛び込んで来たのは満天の星空だった。

「ご覧よ、フラット。この空を!」

 ライダーに言われるまでも無く、フラットの瞳は空に釘付けだった。
 これほどまでに空に近づいた事は無く、視界に広がる星の海に圧倒される。

「……綺麗だ」

 フラットとライダーが去った跡、工場跡地ではランサーが苦い顔を浮かべていた。

「まさか、いきなり逃げ出すとはな……」

 頭を掻きながら呆れた様に槍使いの男は言った。

「見事に虚を衝かれましたね。ですが……」

 赤い髪の女性は眉間に皺を寄せながらライダーとそのマスターが走り去った夜空を見つめた。

「よもや、幻想種を呼び出すとは……」
「ま、次に会った時が奴等の最期だ。それより、行こうぜ、バゼット。今日は別にあの小僧を殺す為に出向いたわけじゃないだろ」
「ええ、今回はマスターの一人とそのサーヴァントのクラスが判明しただけで良しとしましょう」

 そう言うと、バゼットは腕時計を確認した。

「あまり遅いと先方に失礼ですね。少し急ぎましょう」
「確か、言峰教会だったか? 目的地は」
「ええ、協会から受けた命を遂行する上で、聖堂教会との悶着は望む所ではありませんから、しっかりと義理は果たさなくては」

 半年前の事だ。彼女、バゼット=フラガ=マクレミッツは魔術協会に召喚された。封印指定と呼ばれる一部の魔術師が暴走し、一般市民に多くの犠牲を出した際、聖堂教会が動き出す前に封印指定を保護する任にあたる“執行者”と呼ばれる役職に就いているバゼットがこの日呼ばれた理由は普段とは一風異なる内容だった。日本の冬木市で行われている第七百二十六号聖杯を巡る闘争を監視し、参加者である魔術師が魔術協会の意に沿わぬ行動を取った場合、即時にコレを処断する。それが此度、バゼットに下された、命令だった。
 監視の理由は十年前に行われた第四次聖杯戦争にある。第三次、第四次における聖杯戦争の監督役を担っていた言峰璃正とその息子の死。加えて、冬木の|管理人《セカンドオーナー》である遠坂家の断絶。本来、聖杯戦争を監視する役目を担っていた彼らの死によって、再び一般にも多くの犠牲者を出した第二次や帝国陸軍、ナチスなどが介入し、混迷を極めた第三次の時の様な事態が起こる事を懸念されたからだ。
 令呪は冬木市に入った時点で手の甲に刻まれ、その日の内にサーヴァントを召喚した。召喚した英霊はバゼットが幼少の頃から憧れを抱くケルト神話の大英雄だった。
 日本ではあまり名を知られていないようだが、発祥地であるドイツではイギリスに於けるブリテン王・アーサー=ペンドラゴンにも劣らぬ知名度を持つ、凡そランサーのクラスとしては最強の英霊だ。
 彼を召喚する為の触媒を探し出すのに半年の準備期間の殆どを費やしてしまったが、苦労の甲斐あって、目論見通りに事は進んだ。

「うちのマスターは義理堅いねえ」

 からかう様に言うランサーを無視してバゼットは冬木大橋へ向かって歩き出した。
 バゼットとランサーが言峰教会に到着したのは約束の刻限を少し過ぎた夜の十時半だった。

「ライダーとの交戦で少し遅れてしまったな……。行きますよ、ランサー」

 バゼットが重い扉を開いて中に踏み込むと、ランサーは霊体化した状態で後に続いた。中は時間が時間なだけに閑散としており、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。
 身廊を歩いた先では祭壇の前で一人の少女が祈りを捧げていた。まるで、彫像の様に来訪者に気づいた様子も無く一心不乱に祈る姿は宗教にあまり馴染みの無いバゼットから見ても信心深い人物なのだという評価を抱かせた。
 それからかなりの時間が経過した。初めこそ、約束の刻限を破ったこちら側の不備だと祈りの邪魔をする事を躊躇っていたバゼットだったが、いい加減うんざりしてきた。まるで、そういう姿勢で死んでいるかのように少女は微動だにしないまま、既に一時間が経過しているのだ。祈りという行為について知識があるわけでは無いが、こんなにも時間が掛かるものなのだろうか、とバゼットは痺れを切らせて祈りを捧げている少女の肩に触れた。
「あら……」
 
 少女は目を見開いてバゼットを見た。僅かに気づいていてわざと反応しなかったのではないかと疑念を抱いていたのだが、どうやら本当に祈りに集中していただけだったらしい。

「……その、祈りの邪魔をしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、此方こそ、客人を待たせてしまい申し訳ありません。無心に祈っていると、つい時間を忘れてしまいまして……」

 申し訳無さそうに頭を下げる少女の顔にはあどけなさが残っていた。

「私は魔術協会より聖杯戦争の監視の任を受けましたバゼット・フラガ・マクレミッツです。この度は約束の刻限を破ってしまい、深くお詫び申し上げます」

 バゼットが頭を下げると、少女は薄く微笑んだ。

「お待ちしておりました」
「貴方が此度の聖杯戦争の監督役ですね?」
「ええ、若輩者の身なれど、どうかお手柔らかにお願いします」
 
 少女の言葉にバゼットは微笑を零した。

「若い内は苦労も勉強ですよ」

 バゼットの言葉に少女も微笑で応えた。
 一泊を置き、二人は互いに背筋を伸ばすと、表情を引き締めた。

「魔術協会所属執行者バゼット・フラガ・マクレミッツ。此度の聖杯戦争にランサーのマスターとして参加を表明します」
「かしこまりました。バゼット・フラガ・マクレミッツ。聖堂教会と監督役カレン・オルテンシアの名に於いて、貴女の聖杯戦争の参加を正式に受諾します」

 たったそれだけだった。表明と受諾。短いやり取りではあったが、これによって、バゼットは正式なマスターとして聖堂教会に認められた事になる。
 用件が済み、教会を後にすると、バゼットの隣でランサーが実体化した。

「わざわざあんな面倒なやり取りは必要だったのか?」
「無論です。後々、聖杯を手に入れた後に教会が難癖を付けてくる可能性は大いにあります。少しでも付け入る隙を与えないようにしなくては……」
「時代は違えど、魔術師や宗教家っつう生き物は面倒な奴らだな」

 ランサーは呆れたように言いながら、再び霊体化して姿を消した。

「……さて、本格的に狩りを始めましょうか」

 バゼットは教会前の坂の上から夜闇に広がる冬木の街並みを一望した。

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