第三話「英霊召喚②」

 哀しくて、涙が零れた。何が哀しいのか分からない。この胸を引き裂くような深い悲しみの理由が分からない。
 暗闇の中、ぼんやりと浮かぶのは一振りの剣。あまりにも美しく、あまりにも眩く、あまりにも……儚い。
 その剣を手に取れば、この胸を締め付ける哀しみの理由が分かる気がして、手を伸ばした。けれど、届かない。
 一歩前に踏み出して、再び手を伸ばす。やっぱり、届かない。
 
――――どうして!?

 剣は私の手をすり抜け、離れて行く。嫌だ。行っちゃ嫌だ。
 ■■■■は私と一緒に居るんだ。いつまでも、どこまでも、共に歩み続けるんだ。だって、そう約束したんだもの。
 不意に剣の向こうに怪物が現れた。あまりにも巨大で、あまりにも恐ろしい怪物。剣は一直線に怪物へ向かって飛んで行く。

――――ヤメテ!! |ソ《・》|レ《・》を使わないで!!

 涙が止め処なく溢れ出す。私は必死に走った。手を伸ばし、声を張り上げた。

『世話になったな、マスター』

 駄目だ。マスターなんて呼ぶな。いつもみたいに■■■と呼べ。
 早く、その怪物から離れろ。私の事なんてどうでもいい。あんたはあんたの願いを叶えろ。
 
『お前の未来はオレが切り開く。幸せになれよな』

 剣は光を放ち、怪物を呑み込んだ。
 運命が集束し、収束し、終息していく。
 ああ、こんな筈じゃなかった。私はただ、私の愛する人達を守りたかっただけだったのに。一番犠牲にしてはいけない存在を犠牲にしてしまった。
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 もっと、一緒に居たかった。もっと、一緒に話がしたかった。もっと、一緒に笑い合いたかった。
 もう、出来ない。何も出来ない。奪われた。奪った。
 
「……取り戻さなきゃ」

 私はベッドで横になったまま、右手を真っ直ぐ天井に伸ばしていた。
 ふかふかの布団のせいなのか、全身が汗でビッショリだ。
 夢を見ていた気がする。だけど、夢の内容が思い出せない。
 ただ、凄く哀しい気持ちだけが胸に残った。涙が頬を伝い、顎から滴り落ち、パジャマに染みを作る。
 ママが呼びに来るまで、私はジッと天井を見つめたまま涙を流し続けた。

――――なんで、こんなに寂しいんだろう?

 そんな疑問を抱いたまま……。

第三話「英霊召喚②」

「いってきまーす」

 玄関先で手を振るママに大きく手を振り返しながら、私は家を出た。今朝の夢のせいで若干アンニュイ気分のまま、通い慣れた通学路を走っていると、遠目に仲良しのクラスメイトの姿が見えた。
 小学校の頃からの幼馴染の嶽間沢 龍子だ。

「やっほー!」

 声を掛けると、向こうも私に気づいたらしく、立ち止まって手を振りながら「やっほー!」と返した。
 その手には英語の単語帳が握られている。

「タッツンってば、相変わらず熱心だねー。昔は私等の中で一番おバカだったのに……」
「そんなの昔の話だぜ! ま、センターが近いし、最後の悪あがきって感じだけど……。イリヤはいいよなー、帰国子女で英語ペラペラだし」
「へっへー、羨ましいかー?」
「羨ましいぞ、このやろー!」 

 いよいよ高校生活も大詰めに入り、周囲は受験ムード一色。
 勿論、私も例外では無いが成績は学年でも上位をキープしているし、特に英語に関しては小さい頃に海外で暮らしていた経験があるらしく、日本語を操るような感覚で扱える。
 もっとも、海外で暮らしていた頃の記憶は殆ど残っていないのだが、なにしろ小さい頃の事だから仕方が無いと故郷の事を思い出せないのは残念だと思いつつも割り切っている。
 鏡を見る度に自分の銀色の髪と赤い瞳が自分を異国の人間であると自覚させるが、それでも、生まれたドイツよりも育った日本の方が故郷であるという思いが強い。ママは時折故郷の事を懐かしそうに話すが、私にとっては故郷こそが異国だった。
 いっそ、髪だけでも黒く染めてしまおうかと思った事も一度や二度では無い。小さい頃は周囲と違う髪や瞳のせいで虐められた事もあって、アルビノでも無いのに、と忌々しく思ったものだ。
 結局染めなかった理由は髪を染めると言った私に対して両親が見てて哀れになる程落ち込んだからだ。特にママは自分の髪と瞳の色を受け継いだ娘が自分の髪色を嫌がっている事にショックを受けてしばらく口を聞いてくれなくなったし、パパはパパで「イリヤが反抗期になっちゃった……」と盛大に落ち込んで自棄酒を始める始末だ。
 あんな面倒な日々を送るのは二度とごめんだ。幸い、虐めが深刻化する事は無かったしね。
 その理由は今、隣を歩いている龍子をはじめとした小さい頃からの幼馴染が常にイリヤの味方になってくれたおかげだ。
 あてにならない両親と違って、イリヤにとってとても力強い仲間達だ。そんな彼女達とももう直ぐお別れ。これまでは地元の小中高にそのまま進学して来たが、みんなそれぞれやりたい事があってばらばらに地元から去って行ってしまう。
 私自身、両親にはまだ内緒にしているが、地元から遠く離れた都会の大学を受験するつもりだ。
 地元も嫌いなわけではないけれど、やっぱり長く田舎に暮らしていると都会での生活に憧れてしまう。
 ショッピングに行くにも電車で一時間揺られなければいけないのはほとほとうんざりだ。

「なんか、いよいよって感じだね」

 龍子は寂しそうに呟いた。

「だね……。でもさ、別に永遠に会えないわけじゃないよ。また、何度でも皆であつまろ」
「勿論! でも、そう頻繁には集まれないだろうなー」
「……美々は京都、雀花と那奈亀は東京だもんね」
「魔法でも使えたらねー。扉を開けたらどこでもドアーみたいな」
「それは魔法じゃないよー」

 そう、龍子にツッコミを居れながら、私は本当にどこにでも行ける魔法があったらいいのにな、と思った。
 冬の寒気に身を震わせながら、私達は少しだけ距離を縮めながら学校へと向かった。

 放課後、登校の時と同じように龍子と一緒に家に向かって歩いていた。
 皆で図書室に篭って勉強していたせいで空はすっかり暗くなっている。

「陽が落ちるのほんとに早くなったよねー」
「ほんとほんと。ちょっと前ならこの時間でも明るかったのにねー」

 この季節の年中行事のような話題を口にしながら龍子と一緒に人通りの少ない道を歩いていると、十字路に差し掛かった。

「じゃ、また明日!!」
「うん!! まったねー!!」

 そう言って、途中、龍子と別れた。
 そして、帰路の途中、不意に足を止めた。
 否、止めたというより止まったという方が正しいかもしれない。
 突然、全身に鳥肌が立ち、呼吸が出来なくなった。
 まるで、家族で遊園地に行った時に入ったお化け屋敷のような得体の知れない恐怖。
 ただの通学路の筈が、どこからか何かが飛び出してきそうな予感がした。

――――そう言えば、龍子の家に向かう分かれ道はもう少し向こうじゃなかったっけ……。

 しかし、思考はそこで中断させられた。

「ようやく、会えたね」

 いつからそこに居たのか分からない。
 道の先に小柄な少女が立っていた。その少女の容姿に思わず目を瞠った。
 少女の髪の色は雪のように白く、瞳の色は鮮血のように赤い。
 まるで、家の居間に飾ってある小学生の頃の私の写真から飛び出したかのように、その少女は嘗ての己と瓜二つだった。

「……えっと」

 戸惑いながらも声を掛けようとした。
 もしかしたら、親戚の子供なのかもしれない。
 今まで、父方の親戚とも母方の親戚とも会った事は無いけれど、ここまで容姿がそっくりだと無関係の他人とは到底思えない。
 だが、少女は私の言葉を遮る様に言った。

「久しぶり。わたしの事、覚えてる?」
「えっと……、ごめんなさい」

 どうやら、昔会った事があるらしいのだが、生憎、記憶を漁っても少女の事を思い出す事は出来なかった。

「ふーん、覚えてないんだ」

 すると、少女は冷たく私を睨みつけた。

「なら、もういいわ。死になさい」

 直後、大きな衝撃を感じた。
 思わず目を閉じると、今度は爆弾が破裂したかのような巨大な音が鳴り響き、次いで銃声が響いた。
 何事かと目を開けると、目の前にパパの顔があった。

「えっ、なに!?」

 混乱する頭を落ち着ける暇すらない。
 比較的、同世代の中では小柄な方だが、それでも私の体重は成人男性といえども軽々と片腕で持ち上げられるほど軽くはない。
 だというのに、いつもだらしない格好をしてうだつのあがらなそうな顔をしているパパが驚く程速く私を片腕で抱えたまま走り続けている。
 その上、その手には拳銃が握られている。この法治国家である日本において、拳銃の所持が認められているのは警察官くらいのものだ。
 一部に例外はあるだろうが、パパがその例外に属するとは到底思えない。
 混乱は更なる混乱で塗り潰された。
 パパが何に対して銃を発砲しているのかを確認しようと視線を巡らせると、そこに信じられないものがいた。
 化け物。
 そう表現するしかない巨大な怪物が巨大な岩の剣を持って襲い掛かってくるのだ。

「イリヤ」

 縦横無尽に人間業とは思えないスピードで移動しながらパパは言った。

「僕が時間を稼ぐから、その間にこの場から逃げなさい」
「なに言ってるの!?」

 私の叫びを遮るようにパパは銃弾をあろう事か怪物ではなく、あの少女に向けて放った。
 信じられない思いでパパを凝視すると、パパは私をそっと降ろした。

「家に帰ったら、ママと一緒に家を居るんだ。しばらくしたら舞弥という女が迎えに来る。そうしたら、彼女と一緒に直ぐに街を出るんだ」
「街を出るって、何を言ってるの!?」
「いいから、早く言う通りにしなさい!!」

 パパはそう叫ぶと同時に掛け出した。
 銃口は相変わらずあの少女に向けられたまま、何度も火を噴いた。
 その度に怪物が盾になろうと間に割ってはいる。
 パパは少女の周りを駆けながらそんなやり取りを延々と繰り返している。

「早く!!」

 パパの叫びも虚しく、私は一歩たりとも動く事が出来なかった。
 目の前の事態に頭がついていかないのだ。
 さっきまで、友達と受験についてあーだこーだと話していた直後、これほどの非日常的な光景を見せ付けられて、混乱しない人間は居ない。
 だが、その間にも事態は動く。
 怪物は少女を抱き抱えると、その巨体からは想像もし得ない早い動きでパパに迫った。
 その瞬間、私の体は無意識の内に動き出した。気がついた時にはパパと怪物の間に割って入っていた。
 刹那、パパと目が合った。
 パパは目を見開いて私を見つめている。
 時間が酷くゆっくりと流れた。
 パパが何かを叫びながら駆けて来るが、途中で足を滑らせた。

 ――――あれ? この光景……。

 酷い頭痛がした。
 吐き気が込み上げてくる。
 しかし、吐き気が喉元を過ぎる前にあまりにも激しい痛みが全身を襲った。

「あ……れ?」

 地面に倒れこむと、生暖かい水溜りに落ちた。
 それが自分の血で出来たものなのだと自覚したのは意識が途絶えそうになる瞬間だった。
 だが、意識が途絶える寸前に逆に意識が鮮明になった。
 体の中でカチリと何かが開いた気がした――――。

「この魔力は……、駄目だ!! イリヤ!!」

 パパの叫びが聞こえるが、今はそれどころではなかった。
 まるで、壊れた蛇口のように体の奥底から何かが溢れ出してくる。

「なに、この魔力……ッ」

 怪物を操る少女すらも困惑した声を上げている。
 今がチャンスだ。
 今、この瞬間にこの訳の分からない状況を打破しなければいけない。
 そう、思った瞬間、体から溢れ出す力は何かの志向性を伴って動き出した。
 そして――――、

「お前がオレのマスターか?」

 目の前に全身を鋼で包んだ小柄な騎士が立っていた。
 混乱はここに至り極限に達する。いきなり、目の前に甲冑を来た人間が現れるなんて、あまりにも現実離れし過ぎている。
 呆然としたまま凍りつく私を尻目に騎士はパパに視線を投げ掛けた。

「おっさん。マスターの関係者か? それとも……敵か?」

 ただならぬプレッシャー。直接向けられたわけでもないのに、私の体は震えた。
 だと言うのに、パパはまるで柳に風といった感じ。信じられない。あの人は本当にパパなの? もしかしたら、パパの双子のお兄さんなのかもしれない。だって、あのいつもママや私に頭が上がらないヘナチョコ親父なパパがあんなプレッシャーを前に堂々としていられ筈が無い。

「この子の親だ。お前は……セイバーだな?」
「ああ、御名答。んじゃ、守ってやるから、その場を一歩も動くなよ」
「待てッ!」

 ああ、うん。やっぱり、あの人は私のパパらしい。やばい、パパがカッコいいとかマジあり得ない。不死身の男、ジャック・バウアーが乗り移ったみたい。
 あ、ちょっと緊張が解れた。
 頭が冷えて、漸く私の思考回路は回復の兆しを見せ始めた。
 とにかく、パパに説明を求めようと口を開き掛けた瞬間、騎士……セイバーだっけ? が単身で怪物に特攻した。何考えてるの!?
 目を丸くしていると、パパが傍まで駆け寄って来た。

「イリヤ! しっかりするんだ!!」

 パパは私の両肩を掴み、前後に揺らした。ヤメテ、中身出ちゃう。

「とにかく、ここから直ぐに離れるぞ」

 パパが私の手を取った瞬間、怪物と戦っている筈のセイバーの声が響いた。

「待てよ、おっさん」

 振り返ると、セイバーは怪物と斬り結びながら此方を睨み付けていた。
 小柄なセイバーと巨躯の怪物を見比べると、まさに蟻と象って感じ。あの体格差でどうして拮抗していられるのか理解出来ない。物理法則が仕事を完全に放棄している。

「なんだ……、セイバー?」
「オレは動くな、と言ったんだぜ?」
「しかし、お前が足止めをしている内にイリヤを安全な場所に連れて行かなければッ」
「わかってねーなー、おっさん!!」

 混乱のあまり若干錯乱状態の私を尻目にセイバーの恫喝を受けてパパは目を見開いた。
 ああ、これでジャック・バウアー・モードは終了だ。パパは小心者だから、私やママが怒鳴ると直ぐに小さくなって必死に謝り続ける。

「オレはお前にオレの目の届かない所に行くな、と命令したんだ。オレのマスターを勝手に拉致ろうとするんじゃねーよ」
「僕はこの子の親だ!!」
「関係ないねー。親子だろうが、殺しあう奴は居る!! そもそもだ」

 あれ、まだジャック・バウアー・モード続行なんだ……。
 凄くシリアスな場面な筈なのに、普段のパパとの落差があまりにも酷くて若干置いてけぼりを食らってる気がする。
 セイバーは怪物と一端距離を取ると言った。

「オレはお前を信用していない。マスターはどうやら召喚の影響で衰弱しているらしいしな。マスターが自分の口でお前を親で、身内だと宣言するまではそこを一歩も動くんじゃねーぜ」
「……わかった」

 どうやら、セイバーは私とパパの血の繋がりを疑っているらしい。
 無理も無いわね。私とパパの容姿は全く似てないもの。ハッキリ言って、傍目から見たら正に美少女と野獣って感じ。
 初対面の人に親子だと分かって貰えた事は一度として無い。その度に落ち込んで不貞腐れるパパの相手をするのは本当にメンドイ。
 とりあえず、セイバーにキチンと私とパパが親子である事を認めてもらおう。意を決して口を開くと、セイバーは再び怪物と戦い始めた。
 タイミングが外され、私は口を開いたまま動けなくなった。その間、パパは再び銃を少女に向けた。

「すまないな」

 パパは私が止める間もなく引き金を引いた。
 その銃声にセイバーと怪物は一瞬、動きを止めた。
 次の瞬間、私達の目の前で信じられない光景が広がった。

「ふーん。私をイリヤの代わりに生贄にしただけじゃ飽き足らず、今度は私を殺すんだ」

 少女は切嗣の放った銃弾を一振りの短刀で切り裂いていた。まさかの石川五右衛門だ。安堵と共にちょっと感動してしまった。
 銃弾を日本刀で――少女が使ったのは短刀だったけど――切り裂くなんて、ロマンに満ちている。
 感動に瞳を輝かせている私を尻目にパパは戦慄の表情を浮かべていた。
 フリーズしているパパは置いておこう。それより、いい加減何が起きているのかを知りたい。
 私は銀髪美少女な石川五右衛門に手を振って問いかけた。

「えっと、とりあえず貴女は誰なの?」
 
 その我ながら若干間抜けとも思える質問に少女は微笑んだ。

「誰? ああ、そうよね。ただのスケープゴートの事なんて、覚えてる筈が無いわよね」

 まるで、今にも泣き出しそうな笑顔だった。何が彼女の心を傷つけたのか分からない。けど、間違いなく原因は私の言葉にある筈。
 咄嗟に謝ろうとすると、少女は疲れたように肩を落とした。

「私は……」

 その時、少女の瞳に浮かんだ感情を私は理解出来なかった。

「あんた達が前の聖杯戦争に出発する時にアインツベルンに身代わりとして遺したホムンクルスよ」

 どうしよう……。
 ホムンクルスって何?
 少女が遂に告げた己の正体について、私は全く理解出来なかった。家に帰って、ちょっとググって来ていいかな?

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