第三十七話「淫夜」

 間桐の屋敷に到着した私達を出迎えたのは異様な気配だった。傍目から見て直ぐに分かるような外見的変化は無い。しかし、屋敷全体を異様な魔力が覆っている。

「これは――――」

 ギルガメッシュは|天翔る王の御座《ヴィマーナ》を屋敷の上空で滞空させると、一本の剣を手に取った。

「ちょ、ちょっと、何する気!?」
 
 中にはまだ慎二が居るかもしれない。あの剣が何であれ、英雄王の蔵に眠る至宝の一つ。一瞬、崩壊した屋敷の光景が脳裏に浮かんだ。

「だ、駄目! 中には慎二が居るの! 殺さないで!」
「ッハ、案ずるな。これは境界を断つものに過ぎん。端的に言えば、結界を破る為のモノだ」
「結界を……?」
「お前も感じたのだろう? あの屋敷に覆う異様な気配を」

 私が頷くのを見て、ギルガメッシュは言った。

「恐らく、固有結界だ」
「なっ――――」

 |固有結界《リアリティ・マーブル》――――。 本来、自然、あるいは世界の触覚たる精霊が持つ|空想具現化《マーブル・ファンタズム》という読んで字の如く、空想を具現化する能力の亜種である。
 術者の心象風景で現実世界を塗り潰す禁呪。本来は悪魔が持つ異界常識だが、永きに渡る研鑽の果てに『固有結界』を形成する魔術を行使出来るに至った魔術師達の存在が確認されている。
 まあ、中には天然物の担い手も居るようだが、それはあくまで例外だ。ちなみに、私の前回のパートナーだったアーチャーのサーヴァント、エミヤシロウはまさにその例外であり、固有結界・無限の剣製の担い手だった。
 何が言いたいかというと、いきなり我が家に固有結界が展開しているという展開があり得ないって事――――。

「まさか、慎二!」

 可能性としてあるのは三つ。一つは臓硯が罷り間違って固有結界の担い手を己の餌として屋敷内に招き入れてしまったか、あるいは、固有結界の担い手が間桐の屋敷に攻め入ったのか、もしくは、慎二が固有結界の担い手をサーヴァントとして喚び出してしまったかの何れかだ。
 如何に臓硯といえど、固有結界を扱えるクラスの魔術師を屋敷内に招き入れるなどという暴挙には出まい。ならば、可能性として高いのは二つ目か三つ目。何れにせよ、慎二の身が危ない。担い手が襲撃者だとすれば、良くて人質にされているか、悪くて既に殺されているかの二択。担い手が召喚されたサーヴァントであるなら――――。

「急いで、アーチャー!」
「喚くな!」

 ギルガメッシュが剣を一振りした瞬間、世界に亀裂が走った。虚空に別の景色が嵌め込まれた歪な光景。その向こうに広がっているのは無限に広がる砂礫の大地。そこに無数の人影が立っていた。

第三十七話「淫夜」

「――――このままでは死んでしまうな」

 男は冷静な口振りで呟いた。英霊として現世に招かれ、いきなりマスターが死に掛けているという状況を前に彼は一切の動揺が無かった。元々、感情が希薄である事も一因ではあるが、それ以上に彼は生前、死体というものを数限り無く見て来たが故に冷静に主の状態を分析し、判断を下す事が出来た。
 このままでは死んでしまう。だが、今、何らかの処置を行えば死なせずに済む。あまり、魔術という代物に対して造詣が深いわけでは無いが、聖杯によって与えられる知識から彼の状態をある程度推し量る事が出来る。今、彼は中身をすっかり失ってしまっているようだ。恐らく、英霊召喚の儀を行った際、持ち得る全てを使い果たしたのだろう。

「――――マスター、頼れる魔術師は居ますか?」

 己では対処する事が出来ない。即座に判断を下し、取り合えず、魔力の供給をストップさせ、主が辛うじて口を聞ける内に必要な情報を聞く事にした。
 主たる少年は囁くような声で呟いた。

「……り、ん」
「……リン、ですね? では、もう一つだけ――――」

 彼はそっと己の懐から短刀を取り出して瀕死の主に問い掛けた。

「――――あの老人は?」
「……敵だ」

 それで必要な情報は全て得られた。探すべきは『リン』。排除すべきは『目の前の老人』。主が何故、このような状態になってまで、己を召喚したのかについては分からない。リンという人物がどのような存在なのかも分からない。
 だが、喋る度、主は激痛に苛まされている様子。これ以上、彼に負担を掛ける訳にはいかない。
 他愛ない。男は口元に笑みを浮かべる。この身は間諜に特化した英霊。最低限の情報を下に最大限の成果を得てみせる。その為に、まずは眼前の敵を排除しよう。
 ダークと呼ばれる投擲用の短刀を構える彼に老人はカカと嗤った。

「止せ、儂は慎二の祖父じゃよ」

 慎二とは、主の名だろうか? だとすれば、怒りが湧く。未だ、己と主は名を交し合っていない。にも関わらず、他者の口から主の名を聞かされるなど、屈辱ですらある。
 老人の表情が変わる。彼が一切動きを緩めずに老人に向け、ダークを振り上げたからだ。老人の体はあっと言う間に細切れにされ、肉片で地面を汚した。

「――――慎二め、狂犬を呼び出しおったか。しかし、慎二は桜を縛る鎖よ。手放すわけにはいかぬ」

 だと言うのに、老人は再び姿を現した。饒舌に口を動かす怪翁に彼は忌々しげな舌打ちをした。最初の一撃で奴の正体は分かった。アレは蟲だ。無数の蟲が老人の肉体を象っているに過ぎない。本体を叩かぬ限り、キリが無い。
 生憎、彼には無数の蟲の群を一気に焼き払う術が無い。まあ、持っていたとしても、今の主の状態では到底使えなかっただろうが――――。

「――――諦めたか?」

 男はダークを懐に仕舞いこんだ。そして、まるで眼前の相手に対し、敬意を示すかの如く、右手を心臓に沿え、片膝をついた。

「なるほど、儂の術を見て、儂と慎二の関係を理解したか――――」

 老人が何かを囀っている。どうでもいい。己はただ、殺すのみ――――。

「――――何をする気だ?」

 慎二の下へ向かおうとする老人の足が止まる。
 瞬間、暗闇が広がる蟲蔵の景色が一変した。いつの間にか、老人は砂礫の大地に立ち尽くしていた。澄み渡った青い空と灰色の地面がどこまでも続く世界。
 老人は慄く。あり得ないと叫ぶ。

「馬鹿な! アサシン風情が固有結界じゃと!? あり得ぬ! なにより、こんなモノを使っては、慎二の身が持つまい! 何を考えておる、アサシン!」
 
 世界を塗り変えた下手人たるアサシンは薄く微笑む。

「案ずるな、翁。今は主との|供給経路《パス》を閉じている。これは我等の魔力のみで形成した世界だ」
「――――貴様の魔力のみで固有結界を張っただと?」
「違う。我等の魔力で、だ」
「我等……?」

 老人の疑問は直ぐに氷解した。いつの間に現れたのか分からない。老人や彼が使役する無数の蟲の群を取り囲むように同じく無数のサーヴァントが立ち並んでいた。
 体格も性別も年齢も纏っている装束の種類までもがバラバラ。唯一つ、共通点があるとすれば、その存在の希薄さだ。

「……全てがアサシン。ハサン・サッバーハだとでも言うのか!?」
「――――否。我等は同じ志を持つ|戦士《フィダーイー》だ」
「――――ッカ、儂の様な老人一人を相手に固有結界を持ち出すとは」
「謙遜するな。数多の戦場を潜り抜けた経験が言っている。貴殿は実に危険な男だ。出し惜しみなどせず、今ここで全力をもって叩き潰さねばならぬと私は今、確信している」

 老人の顔が忌々しげに歪む。アサシンのサーヴァントはキャスターのサーヴァントと並んで最弱とされている。しかし、最弱とはいえサーヴァント。人の身で敵う相手では無い。
 その上、固有結界を持ち出して来るなど想定外も甚だしい。

「フィダーイーだと……」

 アサシンのサーヴァントは基本的に暗殺教団と呼ばれる組織の長を務めた歴代の指導者、ハサン・サッバーハの中から選ばれる。それはアサシンという名詞が暗殺教団の名前に由来するからである。
 だが、元々、暗殺教団とは幾つかの説が結びついた結果、作られた逸話だ。
 一つ目はハサン・サッバーハが指導者を務める暗殺教団。
 二つ目は山中に築いた楽園の如き秘密の園で老人が里の若者を戦士に作り変えるという民話。
 そして、最後の一つはラシード・ウッディーン・スィナーンという男が創り上げた自己犠牲を厭わぬ戦士の集団。
 確かに、ハサン率いる暗殺教団もスィナーンが創り上げたフィダーイーも双方共にアサシンの語源の一端を担う存在ではある。だが、本来、両者は別個の存在だ。つまり、ハサン・サッバーハではなく、フィダーイーがアサシンとして選ばれる可能性も零では無いのだ。
 スィナーンが創り上げたフィダーイーの恐ろしさは自己犠牲を厭わぬ精神性にある。如何なる状況、相手であろうと、己の命を顧みず戦う彼らを十字軍は恐れたという。
 この固有結界は彼らフィダーイーが共通して心に描く風景なのだ。臓硯が最初、彼らに気付けなかったのも無理は無い。フィダーイーは常に平静な態度で人を殺す。そこに殺意など存在しないが故に戦闘態勢に入ろうとも、彼らは常に気配遮断のスキルを発揮し続ける。
 見えていても見えない。臓硯の顔が恐怖に歪む。アサシンの群が動く。にも関わらず、どこから来るか分からない。分からないまま、臓硯を構成する蟲共は一つ残らず潰された。要した時間は僅か数分足らず。
 本体を潰せたかどうかは分からないが、屋敷内の蟲はこれで全て殺し尽くせた筈だ。

「――――誰だ?」
 
 固有結界の空に突如亀裂が走った。その向こう側に何者かの視線を感じる。

 亀裂の先に立つ一人の男が私達を睨み付けた。瞬間、亀裂が消え、男と慎二が屋敷の玄関前に姿を現した。黒い装束に身を包むサーヴァントは私達を絶えず睨み付けている。

「慎二!」

 けれど、私にとっての一番の関心事は慎二だった。固有結界と聞いた時は最悪の事態を想像していた。あれほど釘を刺したにも関わらず、慎二が英霊を召喚してしまったのではないか、そして、己が召喚したサーヴァントに喰われてしまったのではないか――――、と。
 故に彼の姿を確認出来た事で安堵の溜息を零した。私の想像は半分当たり、半分外れていた。彼は確かに英霊を召喚したらしい。けれど、彼は今、生きている。一応、確認を取ろうと思い、ルーラーに視線を向けると、彼女は大丈夫というかのように力強く頷いてくれた。
 
「――――あそこに居るのが凛だ」
 
 息も絶え絶えに慎二が私を指差して言った。すると、サーヴァントは小さく頷き「了解」と呟いた。

「慎二!」

 ギルガメッシュが輝舟を降下させると、居ても立っても居られず慎二に駆け寄った。彼のサーヴァントに対する警戒はギルガメッシュとルーラーに任せる。
 手を翳し、彼の容態を確認する。かなり不味い状態だ。中身が殆ど枯渇してしまっている。

「ごめん、アーチャー。ルーラー。直ぐに話し合いたい所だったけど、先に慎二の方をどうにかしないと」
「どうするのですか?」
「ラインを繋げる」

 それが一番手っ取り早い解決策だ。

「――――待て」

 直ぐに慎二を屋敷内に担ぎ入れようとして、慎二のサーヴァントが制止の声を上げた。心臓が大きく跳ねた。慎二の事で頭がいっぱいで、彼の事を忘れていた。
 ギルガメッシュが双剣を抜いて対峙するが、サーヴァントは臆した様子も見せずに私に問いを投げ掛けてきた。

「――――貴殿が『リン』か?」
「……ええ、そうよ。私は遠坂凛。普段は間桐桜を名乗っているけど、それが私の真名よ」
「……嘘は吐いていないな。失礼した。マスターをよろしく頼む」

 雰囲気が全く変わっていないから、警戒心を解いてくれたのかどうか分からない。まるっきり、感情らしきものが欠片も伝わってこない。隠すのが上手なのか、元々感情を持ち合わせていないのかは分からないけれど、とりあえずこれ以上の問答をしなくて済むなら行幸だ。
 慎二の容態は一刻を争う。けれど、慎二を抱き抱えようとして、あまりの重さに持ち上がらない。

「――――失礼。マスターは私が運ぼう」
「あ、うん、お願い」

 情け無いが私の運動能力は人並み以下でしかない。平均身長を越える慎二を持ち上げるのは無理というものだ。私はサーヴァントの申し出をありがたく受ける事にした。
 彼に指示を出して、私の部屋に連れて行く。それにしても、こうなるなら昨夜の内にさっさと結んでおけば良かったと少し後悔した。
 それにしても、ギルガメッシュだけでなく、慎二が召喚したサーヴァントまで変化するなんてどういう事だろう。疑問は尽きないが、今は慎二を救うのが優先事項だ。
 彼を部屋のベッドに寝かせてもらうと、部屋を出るよう指示を出した。

「――――何故だ?」

 すると、そんな答えが返って来た。

「……えっと、ラインの繋ぎ方で一番手っ取り早い方法って、何だか知ってる?」
「……すまない。私は魔術にあまり詳しくないもので」
「簡単に言うと、セックスなのよ」
「……ああ、なるほど、分かりました」

 一言で全てを察してくれた。正直、英霊は大抵が倫理観が今とは違う時代や世界の人だから、それでも場に居座ろうとするかもと戦々恐々だった。
 私は別に構わないのだけど、慎二は人に見られながらの性交に不慣れだ。|供給経路《パス》を繋げるには二人が霊的にも肉体的にも一体化する必要がある。その為には同時にエクスタシーに達しなければならない。人に見られながらだとそれが困難になる。
 
「で、では、私達も外でお待ちします」

 ルーラーが顔を真っ赤にしながら出て行った。彼女も火刑に処される前は散々看守達に暴行されてるでしょうに、その初心さが少し羨ましい。確か、ジャンヌ・ダルクはその処刑の際に処女を失った証を示す為に性器を民の前に晒されたらしい。同じ女として、少し同情してしまう。あの様子では、少なくとも幽閉される寸前までは紛れも無い処女だったのだろう。
 少し、憂鬱な気分になった。何と言うか、自分も相当アレな立場だからか、少し、彼女にシンパシーを感じてしまっているのかもしれない。

「とりあえず、始めましょうか」

 慎二は意識が朦朧としている。あまり、激しくしない方がいいだろう。
 口元に笑みが浮かぶ。

「大丈夫よ、慎二。絶対に助けてあげる」

 とりあえず、口付けから始めよう。私は聖女と英雄王と暗殺者に待ち惚けを喰らわせながら、慎二の服を脱がせにかかった。

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