幕間「始まりと終わりの物語」 パート7

「な、なんだ、これは!?」

 フラットは叫ばずにいられなかった。山門から寺の境内へと足を踏み入れた彼らが見たのは『異世界』だった。
 まず、中央に見えるのは巨大な松明。まるで、オリンピックの聖火のように紅蓮の炎が燃え盛っている。次に目に映るのは無数の異形。
 人に見える者も居れば、御伽噺に出て来るような怪物も居る。彼らは共に手を取り合い、炎を囲いながら踊っている。
 
「これは一体……」

 途惑う彼の目の前に翼を持つ女が現れた。
 
「おやおや、お前もあの汚い尻にキスをしに来たのかい?」

 嗤いながら去って行く鳥女をフラットは呆然と見送った。普段の彼であれば狂喜乱舞したであろう幻想的な光景も、今の彼の心には響かない。むしろ、その光景の奇怪さに不快感を抱いてすらいる。
 そんな彼をライダーは黙って見つめている。彼がイリヤの事を救いたいと思っているのは本当だろう。その為なら命すら惜しまないだろう事も。けれど、彼が彼女に抱いている感情が本当に『愛』なのかどうか、ライダーは疑問に思っている。
 彼と自分はとても良く似ている。顔つきや体つきは違うけれど、心は瓜二つだ。まるで、同じ母の下に生まれ、同じ環境で育った双子のように思考回路が似通っている。
 だからこそ、思う。彼がイリヤに対して抱いている感情は『愛情』ではなく、『友情』なのではないかと。友情の為なら、ライダーも命を惜しむ事は無い。けれど、抱いているのが愛情なら話は違う。何としても生き残ろうとする。だって、友と恋人は違うからだ。
 親しき友の死は自らの糧となるが、愛しき者の死は自らを殺す毒にしかならない。そんなモノを愛する者の心に遺すなど、どうして出来るだろう。嘆き、怒り、寂しさに惑う苦悩の日々を送らせるなど、どうして出来るだろう。
 フラットはまだ、イリヤを心から愛してはいない。だからこそ、命を懸ける。それではきっと、未来に待ち受けるのは絶望だけだ。
 
「フラット」
「なんだい?」
「手を繋ごう」
「いいけど、どうしたの?」

 ライダーが差し出した手を掴みながら、フラットは首をかしげた。わざわざ、理由を問うなど彼らしくない。握った手もとても冷たく硬い。恐らく、彼は極度に緊張している。死を覚悟している。
 
「えへへー、なんか不気味だから怖くてさー」
「あはは、しょうがないなー」

 自分に出来る事があるとすれば、それは彼を守る事。彼が彼女の為に自分の命を惜しむようになるまで、支え続ける事。
 楽しい時間は終わったんだ。本当の意味での自分達の聖杯戦争が始まる。殺し、殺される戦いが幕を開いた。本当は難しい事なんて考えず、風の吹くまま気の向くままにこの一時の夢を楽しみたかったけど、仕方無い。
 
「フラット」
「なんだい、ライダー?」
「ボクの事、アストルフォって呼んでくれない?」
「……えっと、それは」
「……お願い」

 ライダーが真名を口にする事を渋るフラット。それが彼の心の変化を如実に現している。暢気な遊び人は大いなる戦いに向け、賢者としての本性を現した。
 だけど、それでは駄目だ。彼は彼のままでなければ意味が無い。イリヤを救う為にも、彼自身が報われる為にも彼は彼のままで居なければいけない。
 
「ボク、フラットにクラス名で呼ばれたくないんだよ。ダメ?」

 小首を傾げて懇願するライダーにフラットは折れた。まだ、完全に賢者にシフトし切れていないのだ。だから、ライダーはそこに楔を打つ。
 
「わかったよ、アストルフォ」
「えへへー、フラット、だーい好き!」
「え、えへへ」

 鼻の下を伸ばすフラットにライダーは安堵する。いつもの彼だ。
 
「仲の良い主従だね」

 繋いだ手が震えた。
 
「中々素敵なスーツッスね」
「お褒めに預かり光栄だよ。それより、如何かな? 中々に愉快な光景だろう」

 まるで銀行員のような出で立ちの男。自らをファウストと名乗ったサーヴァントは燃え盛る松明を手で指し示した。
 
「ヴァルプルギスの夜を御存知かね?」

 フラットは勿論知っていた。その祭りは四月の終わり、あるいは五月の始まりに行われる。ヨーロッパでは割とポピュラーな催し物だ。
 元はケルト民族の伝承に端を発するこの祭りの趣旨は『死者を囲い込む』というもの。この|夜《・》は死者と生者の境界が曖昧となる。
 
「さっきの佐々木小次郎もここに居る異形の者達も全てはこの地に眠る死者なのだよ。彼らはこの夜の間だけ、彼岸より此岸へと境界を跨いでやって来る」
「……この世界がファウトスさんの宝具って事でいいんスか?」
「御名答。いや、中々に見応えのある素晴らしい光景だろう? 死者達は己の姿を変え、愉快に踊っている」
「あの翼が生えてるのとかも人間の霊なんスか?」
「ああ、そうだよ。彼女は生前、足を痛めていたそうでね。外を出歩く事が出来なかったそうだ。故に己の翼で空を往く鳥に憧れたらしい」

 全身にふさふさの毛が生えた猫人間や犬人間はペットとして愛玩していた動物の姿を象っているらしい。他にも人魚やデジモン、魔法少女、なんでもありだ。
 彼らは自由気ままに姿を変えてこの宴を楽しんでいる。
 
「さてさて、君達は私に用があって訪問したみたいだが?」
「あ、はい。ちょっと、相談したい事がありまして……」
「構わんよ。血の気の多いランサー君にはお引取り願ったが、対話を希望する者まで追い返しては臆病者の謗りを受けかねないしね」

 紳士然とした微笑を浮べ、ファウストは近くで踊っている少女に声を掛けた。
 
「源三郎君、お客様に紅茶を用意してもらえるかね?」
「かしこまりましたー」
「げ、源三郎?」

 あどけない笑みを浮かべる少女には不似合いな名前だ。
 
「ああ、彼は女の子になりたかったようでね。生前は武に生きた益荒男だったらしいが、ここではあの姿で過ごしている」
「あ、そうですか……」

 本当に何でもありな世界だ。フラットとライダーはポカンとした表情を浮かべた。
 
「それにしても、自由に姿を変えられるなんて凄いッスね」
「そうかね? 元々、霊魂とは無形だ。それ故に如何様にも姿を変えられる。君が手を繋ぐライダーもその姿が生前のソレである保証は無い。自らの意思であるか、他者の意思であるかの違いはあれど、サーヴァントも現界する際に姿形に手を加わえられている場合が多々ある」
「え!?」

 フラットは思わずライダーを見た。ライダーはキョトンとした表情を浮かべている。
 
「だがまあ、大多数の人々が思い描く姿と解離しているライダーは恐らく生前そのままなのだろうな」
「うん。ボク、生前もこの顔だったよ? 髪飾りも生前のままだし」
「そっか」

 フラットが安心したように溜息を零すと、ライダーはクスリと微笑んだ。
 
「でも、自分の意思で姿を変えられるなら、女の子になってみるのも悪くなかったかもね」
「ええ!?」
「だって、それなら今とはまた違った関係をボクらは築けたかもしれないじゃない? そういう可能性を考えるのは中々面白いよ」
「いやいや、アストルフォは男でも女でも関係無く魅力的だよ!」
「あはは、ありがとう、フラット」

 ライダーは力強くフラットに抱きついた。
 
「わーお、大胆だね」
「嬉しい事言ってくれるもんだから、ついつい抱き締めてしまったよー」
「えへへー、アストルフォの体、超やわらかい」

 じゃれ合う二人をファウストは楽しげに見つめる。
 
「仲良き事は素晴らしき哉。けれど、君達を長居させるわけにもいかないのでね。早々に用件を聞かせてもらえるかね?」
「あ、はい! そうッスよね。こんな夜更けにいきなりお邪魔したりしてすみませんでした」

 素直に謝るフラットにファウストは首を振った。
 
「礼儀正しい若者だ。だが、謝る事は無いよ。君達を長居させられない理由は怖い主殿が目を覚まして来たら、君達と戦わなければならなくなるからだ。出来れば、争い事など勘弁願いたい性分なものでね」
「な、なるほど」

 友好的に接してくれるのはファウストのマスターが眠っているかららしい。彼のマスターが起きた時、この世界そのものがフラットとライダーの敵に回る。その光景を幻視して、フラットは背筋が寒くなった。

「じゃ、じゃあ、単刀直入に言わせてもらいます」
「ああ、何でも言ってくれたまえ。聞くだけなら幾らでも。応えられるかどうかは分からんがね」
「は、はい! 実は明日、アーチャーとセイバーが激突するんです」
「ほう……」

 フラットは言った。
 
「だから、明日、彼らの決着がついたら、勝った方を潰したいんですよ。彼らはどちらが生き残っても脅威だ。彼らを倒せる機会があるとすれば、その瞬間を置いて他に無い筈」
「……なるほど、ライダーだけでは負傷した彼らにすら敵わないから力を貸して欲しいと?」

 ライダーは自分に下された評価に不満気な表情を浮かべるが、フラットが小声で「ごめん」と謝ると機嫌を直した。
 
「別に同盟を組もうって言うんじゃありません。ただ、出来るなら確実に彼らを明日の戦いで潰したい。だから、仕掛けるタイミングを合わせたいんです」
「君達の事も潰すかもしれないよ?」
「その辺はこっちで防衛手段を模索しますよ。言ったでしょう? 同盟を組みたいわけじゃないって」
「……なるほど、考えておくよ。確かに、此方としてもセイバーとアーチャーは脅威だ。互いに最強を名乗るに相応しい大英雄。倒せるならば倒しておきたい」
「どうも」

 それで話は終わりとばかりにフラットはファウストに背を向けた。
 
「しかし、それだけの為にキャスターの根城に来るとは肝が据わっているね」
「いやあ、別にそんなんじゃないッスよ」

 フラットは言った。
 
「俺にはアストルフォがついてるもんでね」
「……ああ、なるほど。|キャスター《わたし》など恐れるに足りぬというわけか」

 フラットは応えなかった。紳士的に持て成してくれた相手を敢えて貶める必要は無いからだ。
 彼は確信している。キャスターが相手なら、ライダーは決して負けないと。
 
「確かに、私では敵わないだろう。だが、侮らぬ事だ、フラット君。魔術師とは足りない部分を他で補い者だ。如何に対魔の力を持とうとも、私は君達を殺す術がある」
「……忠告ありがとうございます」
「さらばだ、少年。次に会う時は戦う事になるだろう」

 何事も無く、山門を抜けられた事にフラットは安堵した。隣に並ぶライダーも額から汗を滴らせている。
 ファウストの言葉に嘘は無いだろう。彼はフラット達を殺す術を持っている。それが佐々木小次郎を指しているのかどうかは分からない。ただ、ここで戦う事だけは避けたかった。
 無事、帰らせてくれたのはキャスターの人柄故なのか、余裕の表れなのか、何らかの策謀なのか、何れにせよ分からない。
 分かるのは彼が言った通り、次に会った時が戦いの時だという事のみ。
 
「……帰ろう、アストルフォ。少し、疲れた」

 フラットが呟くと同時に頭上から巨大な物体が落下して来た。それがリーゼリットのハルバードである事に気がついたのは一秒後の事だった。
 
「ど、どういうつもりだよ、リズ!」

 ライダーが頭上で幻馬に跨るホムンクルスに怒りの声を上げる。
 すると、リーゼリットは叫んだ。
 
「逃げて! 敵が居る!」

 その叫びと同時にライダーは動いた。階段の脇の暗い森の中から黒塗りのナイフが襲い掛かって来た。同時に反対側の森からも同じく黒塗りのナイフ。
 同時に二方向から襲い掛かって来たナイフによる襲撃をライダーは容易く防ぎ切った。確かに、ライダーは英霊の中では弱い方だ。だが、それでも彼は英霊なのだ。何の神秘も持たないナイフの投擲など防ぐのは容易い。
 
「出て来い! 姿を隠すなんて卑怯だぞ!」

 ライダーもこの程度の挑発で出て来るとは思っていなかった。彼はただ、本音を口にしただけだった。けれど、闇夜から一人の男が姿を現した。
 黒い外套。幽鬼の如き佇まい。咄嗟にアサシンのサーヴァントを思い浮かべた。けれど、直ぐに思い直した。アサシンである筈が無い。何故なら、目の前の男はサーヴァントでは無いからだ。
 
「こんな時間にこんな場所でいきなりナイフを投げつけて来るなんて、単なる変質者なわけないよね。あんた、マスターか?」

 男は紛れも無く人間だった。最も可能性が高いのはキャスターのマスターである可能性。けれど、直ぐにその考えを打ち消した。彼がキャスターのマスターなら、こんな場所では無く、さっきまで彼らが居た異世界の中で襲い掛かって来た筈だ。

「……ありゃりゃ、千客万来?」

 フラットの考えを肯定するかのように、背後に別の人影が現れた。同じく黒い外套を纏った少女が居る。彼らだけでは無い。暗い森の中から次々に黒い外套を被った人間達が現れた。彼らは等しく黒塗りのナイフを握っている。
 
「少なくとも、友好的な感じはしないね」

 ライダーは辺りを見回しながら言った。
 
 二人の若いカップル。彼らを襲う謎の集団。そんな異様な光景を見つめる一人の男が居た。青い髪の少年だ。彼の隣には一人の老人。
 
「凛を潰すだと? ふざけた事を言ってくれるじゃないか」
「そう猛りなさるな、マスター」
「だけど!」
「あやつらは必ず我が|戦士達《フィダーイー》が討ち取ってみせます事でしょう。貴殿はどうかごゆるりと、彼らの勝利を見守ってあげてくだされ」

 少年は鼻を鳴らした。
 
「アイツ等で大丈夫なんだろうな?」
「どうか、御安心下さい。さあ、この葉を吸って心を落ち着かせるのです」
「ああ」

 少年は老人から渡された煙草のようなものを口に咥え、火をつけた。脳髄を溶かすような心地良さに目を細める。
 
「ああ、良い気分だ」

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