幕間「始まりと終わりの物語」 パート12

 イリヤスフィールは人間では無い。さりとて、ホムンクルスでも無い。人間とホムンクルスとの間に生まれた奇跡の存在、それがイリヤスフィールという少女だ。
 アインツベルンの当主、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンはそんな彼女を『最高傑作』と呼んだ。彼女ならば、未だ嘗て無い程完璧な『聖杯の器』となれる筈だ。そう確信した彼の手によって、イリヤスフィールは母の母胎にいる間から様々な魔術的調整を受けるに至った。全てはアインツベルンの悲願、|天の杯《ヘブンズフィール》に至る為。
 しかし、前回の聖杯戦争でアインツベルンのマスターが召喚したサーヴァントが全てをぶち壊しにした。稀代の魔術師・モルガンはイリヤスフィールの肉体の再調整を行い、彼女が聖杯の器としてでは無く、人間として生きられるようにしてしまった。
 ところが、彼女は一つのミスを犯した。いや、もしかすると、遠い未来に訪れるであろう危機に瀕した時、イリヤスフィールが自らを守れるようにと思い、敢えて残したのかもしれない。イリヤスフィールの内には小聖杯の機能が残されていた。
 結局、アインツベルンに連れ戻されてしまったイリヤスフィールは再び調整を受ける事となり、今に至る。
 もし、モルガンがイリヤスフィールの内から小聖杯の機能を完全に取り除いていれば、あるいは両親と共に死ぬ事が出来たのかもしれない。それが、彼女にとっての幸福だったのかもしれない。
 けれど、彼女は生きている。そして、今、戦っている。
 
 モルガンの知識が私の中に流れ込んで来る。それはとても不思議な気分だった。まるで、初めて読む筈の小説の内容が既に頭の中に入っているみたいな不思議な感覚。疑問を抱くと、その答えが直ぐに湧いて来る。今、何をすればいいのかが分かる。
 モルガンの知恵が私という存在の使い方を教えてくれる。願望機たる聖杯を身に宿す私の魔術回路は『祈りを叶える』事に特化している。その力をフルに発揮すれば、ありとあらゆる魔術を理論を無視して再現する事が可能となる。
 必要とされる要素は二つ。一つは再現する魔術に要する魔力。もう一つはイメージする事。
 叶えたい祈りを強固にイメージする事で私の魔術回路はイメージと一致する魔術を――例え、ソレが未知の理論によるものであろうと――再現する。

「じゃあ、三人共、私に捕まって!」

 ライダー達が待つアーチャーの黄金の舟に私は移動したいと願った。すると、私の魔術回路は転移の魔術を再現する。ドラゴンの炎による空間の歪みを物ともせず、私達は舟へと降り立つ。
 驚きに目を瞠る凛とライダーに微笑み掛け、ライダーの傍で苦悶の表情を浮かべるフラットに視線を向ける。さっきまで分からなかった事が分かる。彼の容態が如何に危険な状態にあるかが分かる。
 
「フラット。直ぐに助けるから、もう少しだけ待ってて」

 彼はとても強力な毒を受けている。このままでは一日と保たずに死を迎えてしまうだろう。けれど、今の私なら彼を癒す事が出来る。だけど、今は駄目だ。今、優先すべきは地上の脅威を排除する事。
 アレの狙いは明白だ。私達を皆殺しにする事。理由は単純明快。アレの主がサーヴァントだからだ。それ以外にココにドラゴンが襲来する理由が無い。
 アレの狙いが私達を皆殺しにする事である以上、アーチャーを囮にして逃げる事に意味は無い。彼一人ではあのドラゴンを倒す事は出来ないだろうし、彼が居なければ私達に勝機は無い。
 戦うのは今だ。この状況こそが私達が生き延びる唯一にして絶対のチャンス。
 
「じゃあ、行くよ、モードレッド」
「オーケー。えっと、イリヤでいいよな?」
「うん」

 モードレッドは腰に差す鞘から輝く剣を抜き放つ。煌く銀光。その剣は一点の曇り無く輝いている。
 
「たまには英雄らしい事をしてみるのも悪くねぇ。行くぜ、イリヤ!」
「うん!」

 二人で同時に舟から飛び降りる。慌てて止めようとする凛とライダーに一言だけ。
 
「行ってきます!」

 ちょっとコンビニに行って来る。そんな風に聞こえるよう、明るい声で言った。
 落下しながらついつい笑みが零れる。可愛いドレスを身に纏い、魔法で戦う今の私はまるで、父と一緒に見たアニメの魔法少女みたいだ。
 
 ――――魔法少女……、なんだろう?
 ――――何だっていいよ! 今、凄く気分が良いわ。何の不安も無い。全てが上手くいくって気がするの。

 世界が色鮮やかに輝いて見える。キラキラしていて、まるで万華鏡を覗いているみたい。それか、昔、まだ小学校に通っていた頃に理科の授業で見たプリズム。
 
 ――――思いついた。プリズム・イリヤって言うのはどう?
 ――――もう一捻り欲しいかなー。
 ――――じゃあ、プリズマってどうかしら?
 ――――プリズマ?
 ――――ほら、理科の先生が言ってたじゃない。ちょっとした雑談で、プリズムと良く似たイタリアの言葉で、虹を意味してるって。虹の魔法少女なんて素敵じゃない?
 ――――いいね!
 ――――じゃあ、魔法少女プリズマ・イリヤに決定! 
 
 私は抑制が効かない程の高揚感に包まれていた。その理由は何となく察しがついている。憑依させているモルガンの魂が歓喜しているからだ。彼女の時間は願いが叶った直後で停滞している。
 妹を幸福にする。その願いが叶った事で彼女は喝采を上げている。その感情が私に伝わって来ているのだ。
 
「アハッ! とっても素敵な気分だわ」
「お、おいおい、今からドラゴンに挑むってのに、随分余裕だな」
「大丈夫よ。私達はきっと勝てる。あんな図体ばっかりでかいトカゲになんかに負けたりしない!」
「ッハ! 頼もしい事だな」
「じゃあ、一気に飛ぶよ、モードレッド!」
「おう!」

 イメージする。大空を舞うイメージ。鳥のように、自由自在に空を飛び回るイメージ。難しくなんて無い。だって――――、
 
 ――――魔法少女が空を飛ぶなんて当たり前!

 今の私は魔法少女。だから、空を飛ぶ事だってお茶の子さいさいよ。
 私のイメージが魔術回路を通して現実に展開する。私とモードレッドの背中に美しい光で編まれた翼が産まれる。
 
「お、おお!? 何か生えた!?」
「翼を乗り物だと思って操って! 出来る筈よ。貴女には優秀な騎乗スキルがあるのだから」
「いやいや、騎乗スキルとか関係無いだろ、コレ!」

 そう言いながらも、モードレッドは必死に背中に生えた光の双翼を羽ばたかせる。その動作に実の所、意味は無い。翼自体が空を飛ぶというイメージを強固にする為のただのイミテーションに過ぎない。重要なのはイメージだ。大空を羽ばたくイメージが飛行の魔術を成功に導く。

「くっそ、これ難しいぞ!?」

 モードレッドが錐揉み回転しながら落下していく。
 
「ちょ、ちょっと、どこに行くの!?」

 慌てて追い掛ける。しかし、重量が大きいせいか、モードレッドの落下速度が速い。このままだと距離を離される一方だ。
 だから、イメージする。さっき、アーチャーがライダーとフラットを鎖で引き寄せたアーチャーの姿をイメージする。
 
「掴まって!」

 掌から光で編まれた鎖が飛び出す。鎖は瞬く間にモードレッドの身体を絡め取ると、私のイメージに従い、縮んでいく。私とモードレッドの距離から零になる。
 
「ッハハ、何でもありだな」

 呆れたように私を見るモードレッド。
 
「このまま行くよ!」

 イメージする。作るのは足場。虚空に不動の足場を作り出すイメージ。空気が凝縮され、イメージ通りの足場が出来る。
 私はその足場を強く蹴った。それと同時に魔力を放出する。
 モードレッドの言う通り、今の私は何でもありだ。小聖杯としての機能と魔女・モルガンの業が合わさり、ありとあらゆる不可能が可能となる。
 
「アーチャー!」
「馬鹿者! 直ぐに凛達の下に戻れ!」

 アーチャーは傷だらけだった。でも、生きている。ドラゴンという圧倒的過ぎる強者を前にして、生き延びている事実が彼の強さと偉大さを証明している。
 ドラゴンという種は伝承によって姿が異なる。翼を持つものもいれば、持たないものもいる。手足を持つものもいれば、持たないものもいる。
 ドラゴンとは初め、蛇であった。原始宗教において、神として崇められていた蛇が悪魔の象徴に貶められた時、蛇は新たな神の使い、天使に抗うべく、翼を手に入れた。そして、戦う為に牙と爪を手に入れた。頭部には強さの象徴たる角を生やし、あらゆる幻想種の頂点に立つもの、それがドラゴンである。
 ドラゴンの強さはその姿によって量られる。角と翼を生やし、爪と牙を持つ、あのドラゴンはおよそ、ドラゴンの特徴とされるものを全て持ち合わせている。
 それはつまり、あのドラゴンがあらゆる伝承の中でもトップクラスにカテゴライズされる種である証。
 
「でも、負けない!」

 恐れは一欠けらも無かった。まだ、奇妙な高揚感は続いている。
 頭は冴え冴えとしていて、何をするべきかが全て把握出来ている。
 
「逃げんか、馬鹿者!」
 ドラゴンの顎が開かれると同時にアーチャーが私達の下に駆けつけてくる。
 私は彼にとって敵である筈なのに、どうしてこんなにも彼は必死になるのだろう? 不思議で仕方が無いけど、今は気にしている暇が無い。
 
「アーチャー。一緒に戦うわ」
「不要だ! さっさと離脱しろ、クソ!」

 ドラゴンの炎を吐き出す。それに対抗すべく、アーチャーは盾の宝具を展開する。
 
「アーチャー。あなた、一人であのドラゴンに勝てるの?」

 その不躾とも言える問いにアーチャーは「無論だ」と返した。
 けれど、私は首を横に振る。
 
「嘘ね。勝てないと分かってるから、私達を逃がすために全力を尽くしてる。そうでしょ?」

 今度は答えが返って来なかった。
 
「それは私達が加わっても同じ事。だから、あなたは私達に帰れと言う」

 そう、私達が加わっても、あのドラゴンには決して敵わない。これは動かしようのない事実だ。だけど、それがイコール敗北を意味しているわけでは無い。

「でも、勝つ手段はある」
「……無理だ。貴様はコレの主を倒そうと画策しているのだろう? だが、主の方へ向かおうとすれば、コレは確実に気付く。コレに背を向けるという事は死を意味するぞ。それに、これほどマナが淀み、空間が歪んでいる状況では我が宝具をもってしても見つける事は出来ん」
「大丈夫。如何に淀もうと、魔力である以上、今の私になら御しきれる。主の居場所を見つけるくらい、お茶の子さいさいよ」
「……ならば、何故ここに来た? 直接、主の下に向かえば良かったではないか」
「だって、私とモードレッドじゃ、彼には敵わないもの」

 それが結論。必要なのは役割分担だ。
 
「あのドラゴンを召喚した犯人は多分、セイバーよ」

 確証があるわけではない。そもそも、彼はドラゴンを討伐する側の人間だった筈。だけど、ドラゴンに纏わる逸話を持つ英霊は今、ステータスが判明しているサーヴァントの中では彼だけだ。
 未だに遭遇した事の無いランサーも犯人の候補ではあるものの、犯人がセイバーであった場合、私達ではどうあっても勝てない。
 あのドラゴンがサーヴァントの宝具である以上、主であるサーヴァントを倒せば消滅する筈だ。その為にもセイバーを倒せる人に向かってもらう必要がある。
 
「……お前達でコレの相手をすると言うのか?」

 ドラゴンの炎を防ぎ切った盾は直後、まるでクッキーのように崩れ去った。
 
「絶対に勝てない。けど、命を賭ければ時間稼ぎなら出来ると思う」
「……そうか」

 アーチャーは迫り来るドラゴンの尾を巨大な紅の剣で防ぐ。
 
「イリヤスフィール」
「なに?」
「お前は凛を好きか?」

 唐突な質問。けれど、ドラゴンに向かって無数の宝具を放ちながら問うアーチャーの瞳はとても真剣だった。
 
「……うん。凛の事は好きよ? けど、それが――――」
「なら、何としても生き延びろ。そして、凛の友達になれ」
「……えっと?」

 アーチャーは途惑う私を尻目に言葉を続ける。その間にもドラゴンを相手に無数の宝具を放ち続ける。
 
「凛は引っ込み思案に見えるが、その内には強い芯がある。だが、長い幽閉生活や苛烈な調教を受けたが為に自分が分からなくなっているのだ」

 アーチャーは羽をはためかせ迫ろうとするドラゴンの眼前に山の如き大きな槌と槍を降らせた。そこに無数の鎖や布が殺到する。
 
「我も昔、似たような時期があった。絶対的な力を有するが故に我は誰の事も理解する事が出来ず、誰にも理解を得られず、自分というものが分からなくなっていた。それを救ったのは友の存在だった。奴は我という存在を理解し、我もまた、奴を理解する事が出来た。そして、我は自分というものを取り戻す事が出来た」

 ドラゴンの爪が伸びる。そこに桜色の光を放つ盾が現れる。
 
「凛にも友の存在が必要だ。互いに互いを理解し合える友がな。お前ならば、そんな存在になれる筈だ」

 アーチャーの言葉は私の心を大きく揺らした。
 けれど、それは無理だ。
 
「アーチャー。私は……」
「故にこれは命令だ」

 アーチャーが私達を取り囲むように盾を何重にも展開する。そして、その向こうで光が溢れた。
 壊れた幻想。アーチャーがドラゴンに向かって放った無数の宝具が一斉に幻想を解放したのだ。
 
「生きろ、イリヤスフィール。そして、凛の友となれ。その為ならば、この英雄王・ギルガメッシュが活路を見出してやる」
「アーチャー……」
「モードレッドよ」

 言葉を失う私を尻目にアーチャーはモードレッドに言葉の矛先を向ける。
 
「これを使え」

 アーチャーは背後の揺らぎから次々に宝具を取り出した。
 
「貴様のステータスを底上げ出来る筈だ。貴様も英雄を名乗るからには使いこなしてみせろ」
「ッハ、大盤振る舞いだな、王様」
「財宝は使ってこそ。これもまた、友から教わった事だ」

 アーチャーは私にも夥しい量の宝具を押し付けてきた。それらを装着するのを確認し、アーチャーはドラゴンを見た。
 無数の宝具による一斉爆発を受けたドラゴンは尚も健在だった。多少のダメージは受けたようだが、その戦意は些かも衰えていない。むしろ、怒りを滾らせているように見える。
 
「イリヤスフィール。貴様は生きて、凛に多くを教えろ。そして、凛からも多くを教われ。英雄王の命をよもや聞けぬとは言わさん」
「……うん」

 私は頷きながらサーヴァントの気配がする方角を指差した。
 
「あっちにサーヴァントが潜んでる。お願いね、アーチャー」
「ああ、直ぐに終わらせる。それまで、決して死ぬな」

 アーチャーはそれだけを言い残すと、あっと言う間に私が指差した方角目掛け飛んで行った。
 残された私達は改めてドラゴンを見る。
 
「ッハハ、コイツ相手に時間稼ぎとは……」
「無理・無茶・無謀は承知の上よ! でも、やるの! 行くわよ、モードレッド!」
「はいはい」

 ドラゴンが雄叫びを上げる。けれど、今の私に恐怖は無い。奇妙な高揚感とは別に、新たな感情が私を突き動かす。

 ――――生きたい。

 純粋な思いが私を後押しする。私は必要とされている。その事が私の中で革命を起こしたらしい。今まで、心の奥底に仕舞いこんでいた筈の願望が胸を満たす程に広がった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。