第五十六話「最強」

 それがルーラーの言う奥の手の正体。
 
「相変わらず、無茶をするな、凛」

 現れたのは紅の外套を身に纏う弓の英霊。その顔、その姿、その声は紛れも無く、嘗て、共に戦場を駆け抜けた相棒。
 けれど、あり得ない。
 
「凛!」

 クロエが叫ぶ。振り返ると、彼女は乱入者に向かって疾走を開始していた。騎士はバゼットが見張っている。
 
「ま、待て、私は!」
「問答無用! |人形《イリヤ》を使って、同情心を煽ろうとした直後に嘗ての相棒を使い油断を誘う! やり口がえげつないにも程があるわ!」
「違う! 私は――――」
「|射殺す百頭《ナインライブス》!!」

 一気呵成に責めるクロエに乱入者は堪らず後退し、声を荒げた。
 
「ルーラーから聞いてないのか!?」
「奥の手があるとは聞いた! けど、この状況で『君』が救援に駆けつけるなどという状況はあり得ない!」

 ライネスが断言する。

「敵に知られたくなかったからとは言え、情報を隠匿し過ぎだ、ルーラー!」

 頭を抱え、乱入者は言った。
 
「分かった! 証拠を見せる!」
「証拠……?」

 乱入者の言葉にクロエは一瞬、刃を止める。
 
「夢幻召喚を解く。それで、誤解も解けるだろう」
「夢幻召喚……? って、やっぱり敵じゃない! 私以外に此方の勢力で夢幻召喚を出来る人間は居ないんだから!」
「居るんだ! だから、少し待て!」

 乱入者の体が光に包まれる。やがて、姿を現したのは……、
 
「カレン!?」

 銀色の豊かな髪と金色の瞳。そこに立っていたのは確かにカレン・オルテンシアだった。
 
「何と言う役立たず振りですか、衛宮士郎」

 大袈裟な溜息を零し、彼女は私達を見た。
 
「仕方がありませんね。私からキチンと説明を……、あら?」

 やれやれと肩を竦めながら話し始めようとするカレンにクロエが剣の矛先を向けた。
 
「カレンはルーラーの寄り代よ。そんな彼女がエミヤシロウを夢幻召喚しているなんて、道理が合わない」
「いえ、ですから、その説明を今から……」
「そう言って、時間を稼ぐつもりね?」

 聞く耳持たぬとばかりに刃を振り上げるクロエ。
 カレンは溜息を零し、言った。
 
「私は言峰士郎です」
「は?」

 赤い柄の奇妙な短剣でクロエの剣を受け止めながら、カレンは言った。
 不可解な彼女の言葉にクロエは目を見開き、その隙にカレンは距離を取る。
 
「元々、この世界にカレン・オルテンシアは存在していないのです。キャスターはイリヤの祈りの為に私をこの世界に取り込まねばならなかった。けれど、同時にキャスターのマスターであった私をそのままの状態にしておくわけにもいきませんでした。何故なら、ここには既にキャスターとそのマスターの代理品である|人形《イリヤ》と|騎士《モードレッド》が居たからです。故に彼らは私に命じました。言峰士郎という正体を秘匿し、カレン・オルテンシアという人物として、この世界の住人を演じろ、と」

 早口で捲くし立てるように言うカレン……、否、士郎にクロエは呆気にとられた表情を浮かべ、刃を下ろした。
 
「ちなみに、カレンは私の義父、言峰綺礼の実子です。直接、会った事はありませんが、知人から彼女の事は僅かですが、聞いていたので、その通りに演じてきたわけです」

 士郎は言う。
 
「私が何故、この姿をしているのか? その疑問の答えは私の固有結界にあります。『|祈りの杯《サング・リアル》』は他者の祈りに呼応し、私の肉体を作り変える。キャスターの祈りによって、私は仮初の姿であるカレン・オルテンシアのソレに変化しました。嘗て、アンリ・マユを孕む為に女の肉体に変化した時のように」
「な、なるほど……」

 徐々に士郎の言葉はゆったりとしたものに変わり始めた。
 
「私が夢幻召喚を使えるのは起源がイリヤやクロエと同じ『聖杯』だからだ。私は魔術を過程を無視して完成させ、発動させる事が出来るのです」

 士郎は言う。
 
「後、ルーラーに関してですが、彼女は正確にはルーラーでは無かったのです」
「ん? どういう意味だ?」

 ライネスが問う。彼女の説明の仕方があまりにも必死そうだったから、気勢が削がれたらしい。
 
「ルーラーは抑止の使者では無く、抑止そのものなのです。本来、彼女に寄り代は必要無い。滅びを招く根源を消し去る現象。それが彼女の正体です。その事に気がついた時、私達は分離しました。そして、私はアーチャーから身隠しの宝具を借り受け、姿を隠していました」
「ア、アーチャーは知っていたの!?」

 驚く私に士郎は頷いた。
 
「私達の事で彼に判断を仰ぎたかったのです。その結果、彼は私に姿を隠すよう命じました。そして、可能であれば衛宮士郎の魂を敵から奪い取り、夢幻召喚せよと……」
「ア、アーチャーの策だったの!?」

 私が声を張ると、士郎は頷いた。
 
「衛宮士郎と私は始まりを同じくする者同士。私の祈りの杯の能力と合わせれば、彼の力を万全な状態で発揮させる事が出来ると睨んだのです。結果は上々。一切の劣化無く、彼を顕現させる事が出来ました」

 どこか自慢げに胸を逸らす彼女に私は違和感を感じた。
 
「貴女……、本当に士郎なの?」
「ええ、嘘ではありませんよ?」
「でも、何て言うか……」
「言いたい事は分かります」

 頬を掻きながら、士郎は言った。
 
「二十四年間……」
「え?」
「それが私がここでカレンとして過ごした時間です」
「に、二十四年……!?」

 その告白に私達は衝撃を受けた。
 
「さすがに、それだけの時間、女として過ごしていたら、仕草や思考も女性よりになりますよ。もう、男として生きた時間より大分長くなってしまいましたからね……。それに、それだけ生きてると、色々と変わるものみたいです。信じて貰えるか分かりませんが、今の私は自らの意思で貴女方を救いたいと願っています」

 この世界で二十四年もの時間が経過している事。カレンの変化。
 アッサリと呑み込む事は出来ない大き過ぎる事実に私は言葉を失った。
 
「とまあ、これで説明は終わりです。あまり、ここで時間を掛けてもいられないでしょう? 先に進みましょう。夢幻召喚・衛宮士郎」

 光に包まれ、士郎の姿が衛宮士郎の姿に変化する。
 
「えっと……」

 私が言葉を捜して視線を泳がせていると、衛宮士郎はゴホンと咳払いした。
 
「話したい事は色々とあるが、今は先を進もう。君達が疑い深いばっかりに余計な時間を掛けてしまった」
「いや、アンタ達がちゃんと事前に説明しなかったのが悪いんじゃない!」
「その事で私を責めるのは筋違いだぞ、凛。そもそも、私もついさっき夢幻召喚された時に初めて事情を知ったのだ。まったく、何でこの世界の私はあんな事になってるんだ……」

 まあ、自分が女の子になってて、|赤ちゃん《アンリ・マユ》産もうとしたりしてるなんて、彼にとってはツッコミ所が満載なのだろう。
 頭を抱える彼に同情しながら、私は視線を彼から外した。彼が敵で無いなら、今はより優先すべき人物が居る。
 
「イリヤ!」

 嘗ての相棒と再会出来た事は確かに嬉しい。けど、正直言って、前周回や今週回で私は彼と戦い過ぎた。彼を最初に殺した時点で私は彼を慕う資格を失っている。
 それに、今、彼との再会を喜んでしまうと、それで満足してしまう恐れがあった。私の運命を捻じ曲げた十年前の闘争。その中で唯一、光り輝いていた時間。私とお父様と綺礼とアーチャーとアサシンで食卓を囲んでいた時間。あの頃を思い出し、私は満足してしまうのが怖かった。
 今、満足したら、イリヤを救う気力が失せてしまう気がする。それだけは駄目だ。あの子は何が何でも救わなければならない。心に余計な椅子は作らない。座らせるのは一人だけだ。
 私が思うべきは一人だけだ。
 
「イリヤ!!」

 体を震わせ、蹲るイリヤに駆け寄る。
 
「大丈夫!?」
「り、凛……?」

 誰かが離れるように叫ぶ。けれど、離れたくない。今、この子から離れたくない。
 
「わ、私……」
「イリヤ!」

 私は彼女を抱き締めた。彼女の正体が人形であろうと、何らかの罠が張られていようと、そんな事は関係無い。
 イリヤが泣いている。なら、泣き止ませてあげなきゃいけない。守ってあげなきゃいけない。その結果、私自身が死ぬ事になろうとも……。
 
「凛……?」
「私が守るわ……」
「え?」
「イリヤは私が守る。本物も偽物も全部。イリヤを泣かせるなら誰だろうと容赦はしない。誰だろうと叩きのめすわ」

 だから……。
 私はイリヤから手を離し、暗闇の向こうに視線を向ける。
 
「出て来なさい、キャスター!! イリヤは返してもらうわ!!」

 叫ぶと同時に暗闇が晴れた。そこに現れたのは巨大なステンドグラス。
 中央には……、
 
「イリヤ!!」

 そこにイリヤが居た。今度こそ、本物のイリヤがそこに居る。

「素晴らしい!!」

 拍手の音が鳴り響く。
 
「やはり、君はここまで辿り着いたな」

 音の方に顔を向けると、そこには衛宮士郎によって射抜かれた筈のキャスターの姿があった。
 
「あんた、不死身?」

 私の問いにキャスターは微笑むばかり。
 
「最初は君の相棒が英雄王・ギルガメッシュだからだと思っていた。君自身には何の取り得も無く、此度の戦争の参加者の中でも最もお粗末な能力を持ったマスターだからね。けれど、違った」

 キャスターは言う。
 
「どんな戦況であれ、君は常に勝利し続けて来た。信じられないよ。どんな不利な状況にあってもだ! 君は勝利の女神に愛されているとしか思えないよ!」

 キャスターの言葉を私は鼻で嗤った。
 
「勝利の女神に愛されていたら、私はもっとマシな人生を歩んでいたわよ」
「そう思うかね?」
「どういう意味?」

 キャスターの物言いに私は首を傾げる。
 
「君はこの状況を望んでいたのでは無いかね?」
「はあ? そんな訳ないでしょ。十年も蟲に犯される日々を送るなんて……」
「妹の苦しみ」

 キャスターの言葉に私は言葉を失った。
 心の中の深い部分を弄られたような気分だった。
 
「君は知っていた筈だ。本物の間桐桜が第四次聖杯戦争を生き抜いた場合、どうなるのかを」
「な、何を……」
「君は妹が味わう筈の苦しみを背負う事で、苦痛を共有し、彼女の慰めとしたかったのではないかね?」

 馬鹿な事を言うな。そう言おうとして、声が出なかった。
 
「君はやろうと思えば間桐の家を出る事も出来た筈だ。だが、それを良しとしなかった。妹が別の世界で耐え抜いた苦しみから逃げる事は妹から逃げる事だと思ったからだ」
「ふ、ふざけた事を……」
「本当に素晴らしいよ。こんな人間は恐らく他に居ない。蟲に犯され、醜い男達に拷問され、子供が与えられるべき全てを奪われながら、その高潔さを一切失わずに此処に居る」

 何なんだ。いきなり、私を褒めて、動揺でも誘っているのだろうか?
 
「君は苦しかった。不幸だった。そう口にしながら、実のところ、まったく心が折れていない」
「好き勝手言わないでくれない? 私は本当に気が狂いそうな日々を送って……」
「ああ、常人ならばな! 本質を捻じ曲げられていただろう。気が狂っていただろう。どんなに心優しき娘も勇猛果敢な少年も心に深い闇を抱いた筈だよ。だが、君はどうだ?」
「はあ?」
「同じ境遇のイリヤスフィールが解離性同一性障害という病を発症したのに対して、君は一切、心の病を発症していない! それ所か、君を苦しめる張本人である間桐慎二や間桐鶴野に対して同情心すら抱いていた」
「あ、アンタは何が言いたいのよ?」
「称賛だよ! 君と言う『人間』に対する惜しみない称賛を送っているのだよ。口で何を言おうと、君は常に勝者だった。何故、二週目以降、君が姿の違う英雄王を召喚したのか? その理由を君達はネガティブに捉えているようだが、違う」
「違うって……?」
「君は|この世全ての悪《アンリ・マユ》に呑まれて尚、染まらなかった。それどころか、この世界の仕組みに無意識に気付いていた。だからこそ、君はこの世界そのものを滅ぼすという意思を抱き、世界を滅ぼす力を有した乖離剣を持つ英雄王を呼び出した」
「何を言って……」
「魔術を根本から滅ぼしたい。そう、願うに至った根源はこの世界の仕組みに無意識に気付いていたからだよ。憎しみが理由などでは無くね。まあ、君自身が勘違いしてしまったのは全くの笑い話だが……」

 何を言っているのか理解出来ない。私は……、
 
「だからこそ、君は此処に居る。今回だけでは無かったよ。この世界の真実に触れる寸前まで行った事は何度もあった。そして、偶然とは言え、この世界に穴を穿ち、ルーラーという侵入者を引き入れたのも君だ」

 キャスターは言う。
 
「故に私は君に対して敬意を示そう。遠坂凛。最強のマスター。絶対の勝者よ!」
「……アンタ、誰?」

 そんな言葉が私の口から無意識に飛び出した。
 違い過ぎる。私の知っているキャスターというサーヴァントの人物像と目の前のキャスターの人物像があまりにも食い違っている。
 
「分かるだろう?」

 キャスターは微笑む。その口振りは確信に満ちている。
 
「……|この世全ての悪《アンリ・マユ》?」

 戸惑いがちに呟いた言葉にそいつは心底嬉しそうな表情を浮かべて頷いた。

「大正解」

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